本棚からの予言


やあ、みんな元気かい?
3週間後は来年だって、知っていたかい?

それで冬をどう過ごしているのか教えてほしいのだけども、それは何故かと言うと私が屍になっているからで、なぜ屍かといえば野球がないからだ。どうしてなんだ、私を生かすも殺すも野球次第、真冬だって野球しろよ、私の命を大事にしろよ、キャンプとかぬるいよ。

と一概に言い切れないのは、キャンプと試合は全然、違うからである。

それは例えば将棋の研究と対局が、全然違うことと同じだろう。
いつだったか強い人が、対局でしか磨けないものがあるように、日々の研究でしか得られないものがあると言っていた。終盤力は対局でこそ磨かれるが、序盤の力や構想力は、日頃の積み重ねによって得られるものだと。つまり常より延々と棋譜を並べ延々と盤に向かう、きっと将棋は延々に永遠するものなのだろう。

永遠といえば羽生善治の将棋を見ていると「なんて永遠」とか思ってしまうのは、羽生が生ける稀有だからだと思うのですが、その永遠のライバルに森内俊之と佐藤康光がいる。言い切ってしまった。なんて稀有。

佐藤康光は以前、自分の序盤に関して「佐藤さんは序盤がうまいですね、と言われることがあるのですが」と前置きして、うまい、なる表現ではなく、序盤が強いと言ってほしい。みたいな旨を表明していて、私は興奮のあまり失神した。

つまり私を殺すも生かすも将棋次第、自らの命を左右するものがこの世に二つもあって私は幸せだと思うし、佐藤の著作に『将棋をはじめよう』というのがあるのだけれども、我が家の本棚ではなぜか帯が上ずって、『将棋を始めよ』と予言めいたことになっていたので、本棚にだって性格があるのだと思った。



予言の書『将棋を始めよ』



それで何が言いたいかというと、あゝ 命が! 私の命は今後、どうなってしまうのでせうか。みたいなイベントが行なわれると言いたい。

まず12月13日、以下の将棋の対局がある。
第一期 叡王戦 決勝三番勝負 第2局 郷田真隆九段 VS 山崎隆之八段

この中継ゲストに、元阪神タイガースの今岡誠が登場するのだ。あーん。

以前、山崎隆之ファンの友人に「山ちゃんは生ける中原中也」と言ったら、どうして山ちゃんなんて呼べるの!? と驚かれ、でも、中原中也に関しては納得した様子で「山崎先生かっこいいよね」と脈絡のないことを言われた。

それで山崎は前回の対局時、佳境に突入する辺りで、ざんばらりと着物の前をはだけて頬を膨張させつつドラ焼きを食ったりしていて、いかにも「トタンがセンベイ食べて 春の日の夕暮は穏かです」とか言い出しそうであった。
この『春の日の夕暮』という詩で中也は、「瓦が一枚 はぐれました これから春の日の夕暮は 無言ながら 前進します」と書いているので、もしかしたら山崎将棋への予言かもしれない。

では郷田真隆はどうか。私の中で郷田はくまのプーさんにとても良く似ているから、『プー横丁にたった家』を見てみよう。



たまたま開いたページでプーは、いかにも長考中みたいな顔で「ほら、馬にのってる」などと馬の話をしていて、もしこれが万が一、勝敗の鍵は馬である。という予言だったらどうしよう、しかもプーは馬に続いて王さまの話までしているではないか、と思い始めると私は眠れなくなるタイプであって、あとプーさんを読むたびに泣いてしまうのだけれども、それは今あまり関係ないと思うので書かずにおいて、そうそう、郷田といえば ここ でイラストを描いたことがあるので、良かったら、あとで見てね。

要点を整理すると、将棋 叡王戦という規模のでかい対局で、阪神タイガースに所属していた野球選手がゲストにやってくるのだ。叡王戦の説明を「規模のでかい」のみで終わらせる辺りが私の特徴と思って許してほしいのだけども、ゲストに呼ばれた今岡誠は将棋二段の腕前、それから現役時代、ちょっと変な選手であった。

誰もが打つような甘い球を空振りし、誰も打てないような球をホームランする、変態と天才を足して2で割らずに味噌で割り、ミルクを足して固めてつぶす、なんじゃこの味もう一杯みたいな選手だった。つまり将棋棋士でいうと、たぶん佐藤康光に近い。

という説明は我ながら的確だと思うのだけども、私が心に持つ定規と分度器はメモリがおかしいかもしれないので、みなさんにも中継を見てほしい。あと、分度器っていいよね。森内俊之って分度器に似ているの。そこが好き。ぜんぶ好きだけど。

という感じで日々は予言に満ち、私は今を生きているのであった。




(次回に続く、可能性もある)



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