アクロス山とおじさんの向かう先。
変化と不変の関係性のお話。
先日の福岡出張、ほんの少しだけ隙間の時間があったので兼ねてからこの目で見ておきたかったアクロス福岡に立ち寄った。天神1−1-1という住所にランドマークとしての決意がにじむこの14階建てのビルは、段々になった構造の一段一段がさながら森のように鬱蒼と緑生い茂り、「アクロス山」の別名で呼ばれている。1995年の完成から四半世紀かけて緑は育ち、76種だった植物は鳥や風に運ばれた種によってダイバーシティが増し、200種類ほどになっているそう。下には土の1/3の重さで植物に必要な60日分の水分を保てる人口土壌が敷き詰められていて、余分な水はスッキリ排水。要するに、完璧に設計された土台の上に、設計以上の自然が発生している、そういう個人的にはたまらない構造体だった。
もちろん登った。山の途中の写真だけ切り出すとほら、ビルに全く見えない。軽い気持ちで入山したものの、旅先で寒い思いをしたくなかったので少し厚着気味だったのと、チェックイン前で全荷物背負いこんでいたのもあって、汗ばんだ。そんな自分を、シャツ姿のオーバー50とお見受けする勤め人が何人か追い抜いていく。このアクロス山に目的地なんてないわけで、それは「登って降りる」という運動そのものが目的ということを意味する。おそらく、仕事のある日の昼休みの日課なんだろう。ほっほっほと言いながら、何年も続けているような年季の入った昼のルーティン。なんでもないようなそういうことこそ、完璧に設計して続けられるわけで、ある日突然、青天の霹靂が我が身にたち起こって人生が大好転なんてことは妄想程度にとどめておくべきなんだろうなあとか考えてみたら、ふとアクロスとおじさんが相似な図形に見えた気がした。変化させないことが一番、変化に気づかせてくれる。パターソンが日々同じバスを運転し同じ詩をメモに書き連ねていくことが帰って、全く同じ日なんて二つとしてないということを帰って教えてくれたように。ああおじさんに一人くらい話しかけてみればよかった。
14階分のビル上り下りを、急な思いつきでしたもんだから疲れてしまって、赤坂の松下記念館でコーヒー飲んで、そのあとの仕事に行った。オリジナルブレンドを頼んだらマスターが、「あらそれが一番美味しいの」と言ってここにも不変が嬉しい。
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今日触れた映画と店。
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