パークハイアット

世の中に「親近感」を持ちたい

今年に入って増やそうと思っている時間に「エッセイを読む時間」がある。中学のころ、世の中の文章に「随筆」というジャンルがあることをはじめて知ってから、一番抵抗なく、眠気なく、すんなりと読める文章は結局、エッセイだなと改めて年末に思ったからなんだけど。どうもここ数年、力んでいたというか、「なんの意味があるか」「それをやることのメリットはなにか」みたいなことを自分の時間の使い道を決める上での重要な観点に置いてきて、それはそれで必要なことだったとも思うけど、世の中、「やる前には意味の分からないこと」がほとんどで、その中には「大変に面白いこと」も多く混ざっているっていう、とっても普遍的なことをふとかんじたからなんです。

かといって、じゃあエッセイは「意味や価値の分からない文章」かというと、それは違和感があるなあと思ったので、エッセイを読む意味を考えてみたわけです。いろいろ考えたけど、今の自分の結論は「世の中に対しての”親近感”を増やすこと」なんじゃないかなと気づいた。

さくらももこのエッセイが好きで、ひととおり中学の時に読んだけど、彼女は執筆の時に新宿のパークハイアットに缶詰めすると書いてあった。中学生の自分はパークハイアットがどれくらいのグレードのホテルで、一泊いくらで、どんなテイストで、どんな人が泊まるのかなんか一切知らないわけだけど、ただひとつ「さくらももこが執筆するときのホテル」として記憶をした。年を重ねて新宿を用事で尋ねたときに、あの特徴的な三連ビルがパークハイアットなのだとはじめて認識して、さくらももこと、彼女のエッセイと、それを読んでいた時の自分の記憶がリロードされ、なんとなく、他人じゃないような、はじめてじゃないような、そんな感覚で目の前の実体としてそびえる三連ビルを受け止められた。世の中に親近感を抱くって、こんな感覚なんです、自分の場合。

人は、多かれ少なかれ、何か自分以外の物体とか状況とか他者とかと触れないと生きていけないし、それらと触れるときに心理的な摩擦を感じる。不安とか、緊張とか、警戒とか、そういう感情。そんな時に、少しでもなにか自分が親近感を抱ける対象がその社会にあれば、きっと自分の行動の出足は少しだけ早くなると思うんです。全くの異国で、おなじような一人旅をしている日本人と会ったときみたいな、あの救われる感覚と近いかもしれない。世の中に少しでも親近感を持って日々生きることができれば、緊張とか不安とか、なんとなく減る気がするのです。

だから、今年はエッセイを読む、という整理を自分なりにしてみました。いつか「ああ、泊ったことあるけどね!」といえるくらいの親近感をもってみたいもんです。パークハイアット笑

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