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自分を鞘に納めるための、夜のポッドキャスト。

最近よく、夜にポッドキャストを聴く。大体、芸人さんによるもので、たわいもない、くだらない、日常で起きた話をのらりくらり行ったり来たり話しているだけと言ってしまえばそれまでの内容なのですが、どうも聞いてしまう。よく聴くのはこの辺。

COTTENラジオも、プロフェッショナル仕事の流儀も、TAKRAM RADIOも、聞いてはいるんですけど決まって日中、仕事の合間の移動中とかで。夜、子供も寝て仕事も店じまいした後に聞く気にならない。おそらく、いつも仕事を中心に、「主語の大きなこと」ばかりともすると考えているからだと思う。「未来」「社会」「日本」「業界」「BX」…  それらを抽象的な概念図やキーワードに昇華して企画書に定着させる。よほど気をつけないと、一日中、実態ではなく抽象しか扱わないで終わりかねないような毎日なわけで。抽象的なことを深考することは好きな自覚はあるのですが、それにしても夜一人の時にまで、そのような情報を耳は求めないということかも知れない。

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ANNが夜ふかしせずとも好きな時間に聞けるなんていい時代だなあと思いながら、この本も手に取って読んだ。

ファシリテーションやセッション設計・進行を仕事でやっている身としては、放送作家やディレクターの皆さんの「目に見えない、理解されづらい、地味で細かい大変なお仕事」への敬意が増す本であったと同時に、それでいてその細かやさを「人間のくだらなさ」にフルベットしていく心意気がすごく好きで。なんとなくラジオというメディアの本質は「人間味を仕事にする」ことな気がした。パーソナリティや裏方さんたちは「人間味をどうやって仕事にするか」を考え、リスナーは「そんな人間味を受け取って、自分の人間としての味を思い出したり、出していいんだという居場所をもらったり」している。なかなかどうして、人間味そのものが仕事のメインディッシュになる職業は稀有だと思う中で、ラジオはそれをやっている。今、ラジがまた少し盛り上がっているのは、もしかしたら世の中みんな、小さな、でも確かに実在する、自分や他者の中にある人間味の面白さの手応えみたいなものを実感し直したいからではないかと感じます。

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大きくて抽象的な主語に、頭がジャックされがちだからこそ、夜のポッドキャストで小さな主語に畳み戻す。寝る前に自分という手応えと人間味を感じ直して、鞘に納める。そういう言語化に今はなりました。くだらなさをちゃんと愛でて生きる人の人間味を大事にしたいという備忘録としての今週のメモでした。


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