あの日

夜中の3時頃帰宅して4時ごろ就寝。寝つきのいい私はすぐに深く眠った。公団住宅のすぐ横を阪神高速が通っている。大型トラックが道路の継ぎ目を通るたびゴットンと音がして10階の部屋はひどく揺れて夜中に目を覚ましたのも最初だけ。長く住むうちにそれにも慣れていた。
ゴットーンと部屋が揺れ、えらい大きなトラック通ったんかなー、と意識の奥で考えてると部屋がグラグラと揺れて、寝ている足元の本棚の上のものが降ってきた。多分地震だと気付く。木製の大きなスライド式本棚には本がびっしり入っている。これが倒れてきたらアウトやなと思いながら動くこともできずに布団をかぶる。隣のキッチンでキャスター付きのワゴンが部屋を行ったり来たりしているようだ。食器棚の扉も開いたらしく食器の割れる音がする。大きなものが落下する音。たぶん電子レンジだ。
本棚は無事のまま揺れが止まった。
キッチンに行く襖を開けると足の踏み場もなくものが落ちて割れた食器の上に電子レンジが転がっていた。
ドアを開けねばと思いスリッパを探し出し玄関を開け外に出る。不思議としんとしていてだれも外に出ていない。
停電はしてなくてテレビを付けたが画面は真っ暗の中アナウンサーが地震だと告げていた。
すぐに母に電話する。無事を確認。京都の妹宅の無事も確認。
入院中の父はたぶん病院の人が何とかしてくれるだろう。
電話がつながったのはそこまでだった。当時ラブホテルの運営の仕事をしていて上本町のホテルの担当をしていた。リニューアルしてオープンしたばかりだ。
泊り客はどうなった?スタッフは?建物は?それが気になって、電話するが全く繋がらない。
桜川の自宅から上本町のホテルまで暗い中を自転車で走った。
看板、ガラス、が道に散乱し、信号は消えている。建物の壁がひび割れたり剥がれ落ちたりしている。
上町台地に差しかかると流石に上町台地はその地盤の堅牢さを示していた。
ホテルはてんやわんやにはなっていたがスタッフも客も怪我人はなく、そそくさと慌てて何組かが帰ったあとだった。
フロント係が在室の客に安否確認をしてくれていた。あの揺れの中で気付かなかったと答えたカップルも居たそうでよっぽど激しく絡んでいた最中だったのか、というのは後の笑い話だ。
客室係は空室の点検に入っていた。優秀なスタッフを育てたことに少し自信を持った。
いくつかのホテルを経営していた社長は行方不明で連絡がつかなかった。しばらくしてわかったのは関空のホテルに逃げていて日本沈没ならすぐに飛行機で海外に飛ぶつもりだったらしい。地震の詳細がわかるにつれて、専務に箕面の社長自宅に火事場泥棒が入らないように誰か見張りに行かせろ、と電話してきて消息がわかったのだ。
この会社を辞めようと決めた日でもあった。

あの日から27年。
人の力なんて自然の前には何でもない。
トンガの人たちの無事を祈ります。

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