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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】FAN-独自性が作る道-

はじめに

大喜利のお題には、周りと違う視点や感性で向き合わなければならない。それらは個性と言う名の非常に強力な武器となり、回答者の評価へと繋がる。また、プレイヤーとしてだけではなく、大喜利会の主催を行う際にも、企画やルールで個人の色を存分に出すことが出来る。様々な顔を持ち、独自の発想で参加者や観客を魅了してきたのが、本記事の主役、FANである。

FANは関東の大喜利プレイヤーであり、数々の大会で好成績を残す実力者として知られている。また、同じく関東の大喜利プレイヤー蛇口捻流と、お笑いコンビ「デッサンビーム」を結成し、フリーエントリー制のライブに出演したり、自ら大喜利会やネタライブを主催したりするなど、アマチュアながら精力的に活動している。

大喜利界隈で、大喜利のみならず舞台でネタを披露するプレイヤーは少なくない。FANもその一人である。東京大学の落研のOBであるFANは、最近生大喜利を始めた人たちが界隈に入った時から舞台に立っている。経歴を詳しく聞いたことが無いため、掘り下げることで興味深い話が聴けそうだと直感で思った。大喜利を始めた経緯、初舞台、これからの活動、聴きたいことは山ほどある。これまでの取材と同様に、TwitterのDMで承諾を得て、オンラインでインタビューを行うことになった。

2020年10月21日20時30分、インタビュー開始。

始まりはオフ会

ZOOMを繋ぎ、軽い挨拶を交わし、レコーディングを始める。FANとはDiscordでは何度か顔を合わせているが、ZOOMでは久しぶりだ。

さっそく取材に入る。まずは、生大喜利を始めた頃の話から伺う。取材前に筆者が考えたのは、ネット大喜利を昔からやっていた、落研で大喜利を始めた、いきなり生大喜利の世界に飛び込んだ、という3つのパターン。どれなのかを訊いてみると、本人の答えはこうだった。

「ネットの大喜利はちょっとだけやったことあったんですけど、正直やって辞めてみたいな感じで。落研の方が生大喜利よりは先で、学園祭で大喜利やるとかがあったんですけど、ネットでもそんなウケて無かったし、落研の中でもそんなにウケてるわけでもないなって思ってたんで、あんま向いてないんだろうなって思ってたんですけど、いわゆる大喜利会に参加したきっかけがあって…」

詳しく聞くと、「ネット上でお笑いのネタを書いて評価し合う」活動、「ネット長文」のオフ会が生大喜利の最初だという。FANは、中学時代からネット長文の界隈にいた。ネイノー主催のその会で、FANは生大喜利デビューした。

「そこで思ったより笑ってもらえたというか、他の人も面白かったのもあるし、大喜利楽しいなじゃないですけど、『こんな変なこと言って良いんだ』みたいな感じがあって」

ネットや落研で少しだけ大喜利に触れた時よりも、周りの反応が良かった。この会に参加したのを皮切りに、生大喜利にのめり込んだ。2013年1月のことだった。

その後、虎猫主催の大喜利会や、オオギリダイバー練習会などに参加し、経験を積んでいった。また、2013年の夏に、池袋に大喜利専門のスペース「喜利の箱」がオープンし、そこに通いつめるようになる。「喜利の箱のおかげでたくさん大喜利が出来た」とFANは語る。

印象的なイベント

これまでFANは、関東の大喜利会や大会を中心に出場し、結果を残してきた。印象的だった会を訊いてみると、一つ目に虎猫と冬の鬼、鯖鯖鯖んなが共同で主催していた「重力、北京、ナポレオン」を挙げた。FANが初めて参加した、オフ会ではない会である。初対面の人の前で大喜利をすることに緊張し、会場までの道のりが不安だったことまで鮮明に覚えている。しかし、内心はそんな状態だったが、会が始まると楽しく、予想以上に笑いを取ることも出来た。

二つ目は「大喜利天下一武道会」。2021年に第17回の開催が決定したこの大会で、FANは二度本戦に進出している。誰でも出られる生大喜利の大会としては、国内最大規模である本大会。多くのプレイヤーに「絶対に勝ちたい」と思わせる大きな力がある。第15回大会の東京予選が2014年1月に行われ、当時生大喜利を始めて間もなかったFANも「周りがソワソワしているのに巻き込まれていく感じ」がしていたという。

「ビギナーズラック感はあったんですけど、予選を突破出来て、かなり嬉しかったというか。自分でもびっくりしてはいたんですけど、夢みたいだなって感じがありましたね(笑)」

その5年後、天下一が再始動する。前回本戦進出を果たし、生大喜利の経験も数多く積んできたFANは「『勝つぞ』というより『負けたくないな』が強い」という状況に陥っていた。「負けても良いや」という捨て身の気持ちで挑んだ前回とは、心境が全く異なっていた。

予選当日。回答者席に座る直前は、緊張がMAXに達していたが、いざ着席してお題が出されると、リラックスして挑むことが出来た。かなり集中していたが、不思議と周りの様子も見ることが出来ていた。「かなり良い状態」でお題に向き合い、普段通りの面白い自分を出し、FANは再び本戦に進出した。

そして迎えた本戦の日。3問のお題を4分ずつ行い、A~Fの各ブロックから、最も票を獲得した1人が最終決戦に進出するというルール。結果的に、FANは見事最終決戦に駒を進めることが出来た。優勝とまではならなかったが、充分誇れる成績である。しかし、今の本人は「かなりあの日調子が悪かった」と語っている。

「早めに会場着いちゃって、ソワソワしてて、本調子では無かったって自分では思うんですけど。そんな中でも食らいついて、3問目で取り返して、最終決戦に行けたのは嬉しかったですね」

他に印象的なイベントが無いか訊いてみると、「手短にあと2つ挙げても良いですかね、省いても良いので…(笑)」と遠慮がちな返事が返ってきた。書くつもりしかないので詳細を聞く。

「その日は僕が今まで大喜利やってきた中で、一番調子良かったというか、ゾーンに入ってたなみたいな思い出があるんで覚えてますね」

そう語るのは、2014年に行われた「第一回喜利の王決定戦」での話。喜利の箱が主催したこの大会で、FANは何度も爆笑を起こし続けた。休憩中、参加していたとあるプロの芸人に「今日調子良いね」と言われるほどだった。決勝で変わったお題が出て、田んぼマンにまくられて優勝を逃したが、強く心に残る大会となった。

もう一つは、「転脳児杯」で初めて決勝に行った回。お笑いライブなどの制作を行うK-PRO主催のこのイベントは、予選はアマチュアでも参加が可能で、決勝に進むと、オファーで出演する芸人と戦うことが出来る。

「僕はお笑いがずっと好きだったんで、知ってる芸人さんがいっぱいいる舞台で大喜利やってるのが、めっちゃ夢見心地だったなっていうのがずっと思い出ですね」

メランコリーのこと

前述のとおり、FANはプレイヤーとしてだけではなく、大喜利会の主催者としての顔も持ち合わせている。「大喜利メランコリー会」という名のその会では、FAN考案の他では体験できない独創的な企画を行う会として知られている。主催を始めた時の話を訊いてみると、2016年9月に「大喜利メランコリー杯」という大会を開いたのが最初とのこと。

「自分がネタやる場が欲しくて、ライブやろうって思って、劇場を借りたんですよ。でも昼に(会場で)何もやることないから大喜利の大会でもやるかぐらいのふわっとした動機で、ルールとか別に凝ってないシンプルな大会をやったのが最初ですね」

大会の主催をやろうという目的からスタートしたわけではなかった。では、企画大喜利会「大喜利メランコリー会」を主催した動機は何か。

「大喜利の企画みたいなのをずっとメモしてて、全然やる機会無かったのが溜まってたのと、かっちりした大喜利じゃなくて、もっとふわっとしたお笑いみたいな、面白いことみたいなやつを、やる場があったら良いなっていうので試しにやってみたんですよ」

メランコリー会の初回が2018年9月。20人のプレイヤーが参加し、目標を定めて大喜利を行う「大喜利の目的」、一人一人順番に回答し、審査員が100点満点で評価する「M-1グランプリ」、ありとあらゆる対決で勝敗を決める「全部of全部トーナメント」の3つの企画を行った。いわゆる通常の大喜利とは異なる競技もあり、どう転ぶか予測できなかったが、無事盛況のまま会を終えることが出来た。

メランコリー会はこれまで数回行われており、大喜利という枠に縛られず、様々な企画を発信してきた。特に印象的な企画を訊いてみると前述の「全部of全部トーナメント」と、回答者の頭に小型カメラを付け、回答が書きあがる過程をリアルタイムで鑑賞する「窃視(せっし)」を挙げてくれた。

「窃視は、思い付きがこんなにちゃんと実現するんだみたいな。頭に付ける小型のカメラをAmazonで見つけて『これ何か企画に使えないかな』と思って、とりあえず買ったんですよ。ダメならダメで別のことに使おうと思ったんですけど、意外と出来たんで、その場でやってみたって感じですね」

「大喜利やってる時に、他の人がどういう風に書いているか気になりませんか?」という問い掛けから始まったルール説明で、かなり参加者がざわついていたこの企画。初見のインパクトは相当だったと推測する。「(参加者が)準備出来ない方が楽しいこともあるかな」という理由で、事前に企画内容を説明しないメランコリー会だからこそ発生した反応である。FANは大喜利会の主催をする上で、嬉しく思う瞬間があると語る。

「自分が見たいものを見られるのが、一番良いことだと思いますね。それに付き合ってもらってありがとうございますって感じです。面白いと思ってるものをやってもらってる感じですね。それを共有出来て、盛り上がった時が嬉しいですね」

企画に関しては、普段の”生活”の中でパッと思い付く場合と、0から考えて生み出す場合があると語ってくれた。ちなみに、やりたいけど実現していない企画はあるのか尋ねると「全然出来ないやつもいっぱいあるっちゃある」とのこと。

「最近考えたのだと、MRIってあるじゃないですか。筒みたいなのに人が入って行って、体を輪切りにした映像を撮って、脳のどこが動いているかとかが見える測定装置みたいなやつ」

突如始まった医療設備の説明。一体それで何をするつもりなのか。

「あそこに入りながら、鉛銀(鉛のような銀)さんに大喜利やって欲しいなって思って。あの人が大喜利やってる時、脳のどこが動いてるんだろうって」

予想外の発想に思わず笑った。調べたら費用が高過ぎたという理由で断念したそうだが、仮に1万円とかで使えたら実行していたのだろうか。いつか技術が進歩した未来で、その”夢”が”リアル”になる時を楽しみにしたい。”正常”ではない変わった個所が動いていたら、それはそれで笑ってしまうが。

大学お笑い時代

東京大学の落研出身という経歴を持つFAN。入学した2012年に入部し、卒業する2018年まで所属していた。長文界隈でネタは書いていたものの、人前で発表することは考えていなかった。入部したきっかけについてこう語ってくれた。

「お笑いやってるサークルがあるってことを、校内歩いてて看板見て知って、一回話を聞きに行った時に、先輩とめちゃくちゃお笑いの話出来て、お笑いの話が出来る人がいるのこんなに楽しいんだって思って。単にお笑いの話が出来る場があるっていう所で最初は入った感じですね。それで、せっかく居るなら『舞台に立ってみるか』って一歩踏み出してみたのがきっかけですね」

個人的な話で申し訳ないが、大学入学時に音楽系のサークルを見学して、最初に会った先輩が自分の一番好きなバンドを知らないことを理由に入部を断念した筆者とはえらい違いである。FANもそこで話が弾まなかったら、入部することは無かったかもしれない。”さくら”が散り始める4月に、FANは落研の部員となった。

入部して舞台に立つ経験を積むまでは、人前を苦手としていたFAN。裏方としてサークルに携わるという選択肢も無かったわけではないが、「せっかくなら」という気持ちで演じることを選んだ。初舞台は一ヶ月後の学園祭。出るかどうか迷う暇も無く、同級生とコンビを組んで出演した。その後も二人で活動を続けていたが、「ネタの制限時間を過ぎた時の爆発音が怖すぎる」という理由で、大学お笑いの大会に相方が出てくれなくなったため、仕方なくピンでの活動をメインで行うようになる。

FANが所属していた当時の東大落研は、規模が小さかったということもあり、団体戦の大会で良い結果が残せるサークルとは言い難かった。「いつか見返してやりたい」という「『お笑い』とは真逆の気持ち」で出場していたというFANだが、その発言からは、サークルへの思い入れが感じられる。

「東大落研ではかなり濃いお笑いをやっていたので、好きでしたね。入れて良かったです」

デッサンビーム結成

「大学卒業しても、ネタやる機会あって欲しいなって思ってたんで。フリーのライブ出たりとか、ありがたく呼ばれたら出たりとか、やっていけたらなって思ってたんで」

学生芸人という肩書が過去のものになってからも、アマチュアでお笑いの活動をしたかったFAN。誰かとコンビを組むことも頭の片隅にはあった。きっかけは、2018年3月に滋賀で行われた「大喜利未来杯-BIG GAME-」というチーム戦の大喜利大会。大会終了後の打ち上げで、同じチームで出場した蛇口捻流と「一緒に何かやろうよ」と軽い感じで話していた。関東の大喜利プレイヤーである蛇口捻流は、当時はまだ愛知に住んでおり、就職して上京する直前だった。

実際に「デッサンビーム」というコンビを組み、初めて舞台に立ったのが、2018年5月。「わらリーマン」という普段は別の仕事で働きながらお笑い活動をしている人たちが出演可能な、フリーエントリー制のライブだ。デッサンビームは二人それぞれがネタを作るコンビだが、初めて披露したネタは二人の共作だった。その漫才が、共演者にとても褒めてもらえたと語るFAN。

「『面白かったよ』って言ってもらえたのがかなりデカかった気がしますね。多分お笑いサークルでの僕を見てる人はそのライブにはいたんですけど、僕がコンビでやってるのを見たことある人がほとんどいなくて、その中で『ちゃんとコンビでも面白いじゃん』みたいな感じになってくれたのがすごい嬉しかったんで。蛇口君は蛇口君で多分、東京で知らない人の中である程度ウケてたのも凄い良かったと思うんで」

コンビはその一回きりにならず、今日まで続けられた。それも初舞台での反応が良かったおかげだと言う。

2020年8月2日、「M-1グランプリ2020」の東京予選が行われ、デッサンビームが出場した。2018年から挑戦し、2年連続で1回戦を突破してきた二人だが、今年は2回戦に進むことが出来なかった。その代わりと言って良いのかどうかわからないが、デッサンビームはナイスアマチュア賞に選出された。MCがその日一番印象に残ったアマチュア漫才師に贈られるナイスアマチュア賞。諸々の事情でMC不在の今年は選出基準が不明だが、賞を贈られたデッサンビームは、公式にネタ動画がアップされた。運営から《知的に構成された漫才》というフレーズが付けられたそのネタは、10月29日現在再生回数26,000回を突破している。それなりに正統な評価はされている模様。

この人に驚いた

大喜利を始めたての頃に感じた「こんなに面白い人いるのか!!」という最初の感動は、ずっと忘れることはない。過去に取材した虎猫や羊狩りもそうだった。FANも同様に、生大喜利デビュー間もない頃に見た、とある人物の大喜利に衝撃を受けたと語る。

「一番最初はたけのくちさんです。落ち着いて、大きい答えを出すっていう人で。憧れっていう位置にずっといますね」

たけのくちは関東の大喜利プレイヤーで、第14回大喜利天下一武道会優勝という輝かしい経歴を持っている。最近では、満30歳以上のプレイヤーのみがエントリー可能な大会「SENIOR OOGIRI CLASSICS"MASTER=PIECE"2019」に運営推薦枠で出場し、ベスト4に残っている。

話は2013年7月、「重力、北京、ナポレオン」に遡る。主にネット大喜利経験者に向けたこの会にFANが初参加した際、ゲストとしてたけのくちが呼ばれていたのだ。ゆったりとしたテンポで重い回答を繰り出し、爆笑を取るたけのくちのスタイルは、FANにとってかなり大きな衝撃だった。

他に驚いた人物を訊いてみると、都の名前を挙げてくれた。

「ウケて無い所を見たことないというか、回答一個一個が凄すぎて、自分の中でかっこいいぐらいの域に入ってて」

都は関東を中心に活動していたプレイヤーで、ネット大喜利の歴も換算すると、かなりの古参の部類に入る。現在は、都と連絡を取れる者はほぼおらず、生大喜利の会にも長いこと参加していないが、それなりの歴のあるプレイヤーなら、その凄さは十二分に知っている。

「回答が凄い完成されてるっていうのもあるんですけど、それに加えて、『荒城の月』っていうアマチュアの大喜利ライブに出た時の、企画のコーナーとかで、大喜利じゃないボケや立ち振る舞いもちゃんとやってくれてて、その辺も隙が無いというか、ちゃんと全部考えてやってんだって思って、敵わんなって思ったんですよ」

都の大喜利もそれ以外の部分もこの目で見たことがないことに悔しさを感じながら、最近始めた人では誰が面白いか訊いてみた。

「最近の人…誰かな…。今いっぱいいるからめちゃくちゃ名前が浮かぶけど(笑)うーん、あんまり回数見てないんですけど、ジョイントコルテスさんです。凄い不思議な大喜利というか、あんまり自分に無い思考回路でやってるなみたいに思ってて」

虎猫主催の初心者や未経験者に向けた大喜利会「始めの一歩」で生大喜利を始めたジョイントコルテス。FANが初めて会ったのは、とある大喜利会。二人はその会で、抽選によりチームを組んで戦うことになった。

「その時初めましてくらいだったんですけど、めちゃくちゃな下ネタの絵回答をジョイコルさんが出して、全然ウケなくてポイントマイナスとか入らないみたいになって『あ、やべっ!!』って言ってて。ちゃんと多分自分の中ではイケると思って出したんだなと思って(笑)そういうのも凄い面白かったというか、自分の中に面白いと思ってるものがあるんだろうなって感じがあって。もっと見たいなって思いますね」

どのような存在でありたい

毎回このインタビューでは、事前にざっくりとしたテーマを取材対象者に渡している。そこから派生したり脱線したりしながら、毎回濃い話を聴いていく。筆者が提示したテーマの一つに「どのような存在でありたい」という項目がある。初回のゴハ以降、全員に共通して訊いているこのテーマに、FANはどう答えるか頭を悩ませたそうだ。それでもFANは、悩みながらこのように答えてくれた。

「やっぱり面白いと思ってもらいたいが一番ではありますよね。大喜利は自分が思ってる面白いこととかを出して、それを共有できる場だし、逆に他の人が面白いと思ってるやつを知れて、面白いと思えたりみたいなのが楽しい趣味だと思うんで。自分が面白いと思うことを面白いと思ってもらえるのが一番嬉しいですね」

「面白い」が第一。かなり重要な価値観である。大喜利をする者全員が、多かれ少なかれ持っている感情であるが、言葉にすると重みが生まれる。また、これはプレイヤーとしての思いだが、主催としての思いは、また別にあるという。

「最初に大会やった時は、大喜利で知り合った人と、お笑いサークルに入ってて大喜利の会に行ってない人が、半々くらいで参加してくれてて。それでお笑いサークル側の人が優勝したりして。そこの交わりというか、自分がやったからこそ起きたことだなと思ったんで。自分が面白いと思った人を、出自関係なくというか、僕が知り合ってる所からいっぱい繋げて引き寄せて、交じっていくみたいなのが、ずっとやれていけたら良いなとは思ってますね。最近はあんまり出来てないんですけど」

お笑いサークル、大喜利、東大、様々な場で多くの活動をしていたFANには、他にない繋がりがある。それがFANの強みであり、個性でもある。その部分を活かして、自分にしか出来ないことをしていく。FANの幅広い活動の源は、間違いなくそこから生まれている。

「僕が真ん中にいて、交われる人がいると凄い嬉しいなって思うので、そういうことが出来ていけたら良いなって思いますね」

おわりに

アマチュアでも舞台でネタをしている学生や社会人がいる。その事実は、大喜利を始めるまで知らなかった。少なくとも自分は。

今回の取材で、FANの経歴はもちろん、内面的な部分も知ることが出来た。「ずっとアマチュアでいるつもり」だというFANのような活動をしている人たちのことが、世間に少しでも広まることを願う。

彼らの活動を一目見たい方に、ちょっとした朗報がある。2021年4月17日、武蔵野芸能劇場小劇場にて、デッサンビームの単独ライブ「リニアモーターバックパッカー」が行われる。コロナ対策のため、席の間隔を空けて販売したチケットは”理想的なスピードで”完売したが、状況次第で席を開放する可能性もあるとのこと。興味のある人はFAN、もしくはデッサンビームのTwitterアカウントをフォローし、最新情報をチェックしてみては。

…お笑いナタリーのような締め方になってしまったが、デッサンビームの躍進を、これからも見届けたい、そう思う人が本記事を読んで増えてくれたら、何より嬉しい。

記事を読んでいただき、誠にありがとうございます。良かったらサポート、よろしくお願いいたします。