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神様のお導き【大アルカナⅩⅩ 審判】

みなさん、こんばんは。
今宵はどんなお話をいたしましょうか?

なかなかうまく物事が進まない時、あなたは何が原因だと思いますか?

人は誰でも、自分が正しいと思い込む傾向があります。
とはいえ、多くの人の人生を垣間見る占い師の立場とすれば
どうしてそんなにいつもトラブルに見舞われるんだ?と思う人が
時々存在します。

これは、責めているのではなく、内的自覚の一つのステップです。

もし、自分がどうにもうまく進まないな、と思うことが続いたら
一度立ち止まって、振り返ってみましょう。

直接的な問題ではなくて、間接的な要因が原因だったりもします。

例え話ですけど
「仕事がどうにもうまく進まなくて、お墓前りに行ったら墓所が草だらけだった。
草むしりをしたら、スムーズにことが進んだ。」とか

「会社で仲のいい人ができずに、転職を考えていたけれど、
まずは挨拶はしようと思って、挨拶だけ淡々と続けていたら、
気がついたら、ランチにも飲み会にも誘われるようになって、
転職しなくて良くなった。」とか

「人のために地域の掃除をかって出たのに、みんなに受け入れてもらいなくて、
いつもは車だけど、その日だけ自転車で待ち合わせ場所に行ったら、
ようやくみんなが話しかけてくれて、どうやらいつも自分が路上駐車して掃除していたことを快く思っていなかったらしいと、気がつけた。」とか

基本的に人は「良い人」が多いのですが、
目的だけ見続けてしまうと、周りが見えなくなってしまう傾向があります。
お墓の掃除も、挨拶も、路上駐車を止めるのも、たいしたことない事柄ですが
それが回り回って、「運気」を落とすかのような結果を招いたりもするのです。

お墓の掃除をして、物事がスムーズに動いたのは、
言い換えれば、お墓の掃除をしなくていいや、という「手を抜く傾向」が他の場面でもあったのでしょうし

挨拶をしたら、みんなに誘われるようになったとするならば、
それまで「挨拶をしなかった」わけでしょうし

路上駐車をやめなければ、それによって他人の印象がどんなに地域の掃除をしても
喜ばしく思えない人が多くいたのでしょう。

こう書き直すと、「なんだ自分自身が原因だったのか?」と思えるエピソードです。

一生懸命生きることはとても大切ですが、だからと言って迷惑をかけてはいいわけではない。
もちろん助け合って、手を取り合って私たちは生きていきます。
でもそれは「頑張っているんだから、それくらいいいじゃん」という話とは
別になります。

「頑張っているから、手伝ってあげよう。これくらい良しとしよう」と
判断するのは自分自身ではなく、相手なのです。

【大アルカナⅩⅩ 審判 神が下す判断】

とはいえ渦中の人は、それがわからないものが世の常です。

ではどうすればいいか?

自分なりに一生懸命生きて、その後神に委ねる。

そして結果が伴わなければ、その方向性を立ち止まって修正し、
結果が伴うのであれば、必ず救いの手が差し伸べられます。
しかもミラクルなタイミングで。

神様とは言葉を交わし合えなくても、
そういった「導き」で意思疎通ができるのではないか?とMahouは思います。

神や先祖に祈る時間を持ちましょう。
より良い人生にするために。

タロットMahou

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