どう生きてどう死ぬのか

2019年6月に投稿した記事の再投稿です。
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もうすぐ、叔父の三回忌だ。

とても優しい人だった。
まじめで勤勉な祖父のもとに生まれ、医者の息子として当然のように医学部に入った。
私は、母の体調の理由や社会人で一度勉強のためにキャリアを中断したこともあり、一時的に私のみ祖父母+叔父と暮らしていた時期が何年かあった。

まだ私が子供の頃だけど、ある時期を境に、かわいがってもらっていた叔父となんとなく距離ができて、部屋に引きこもっているな、と感じるようになった。そういえば大学は?なんで実家に戻ってるんだっけ?
親や祖母(祖父は先に亡くなった)はそれについて、当初は私に説明することはなかった。
叔父が統合失調症だと知ったのは、もうその違和感を感じてから10年以上後になる。病院に強制入院したと知らされた時だった。

私が聞かされた症状は、いわゆる幻覚、幻聴、被害妄想だった。
誰かが自分の悪口を言っている。常にそんな感じらしい。
ある時は家を出て100kmほど延々と歩き続け、警察につかまってようやく家に戻ったのだとか。
病院に入ったときも、暴れながら取り押さえられて注射を打たれて…という、想像を絶する状況だったらしい。

それでも、病院はベッドがいっぱいで、しばらくしたら実家に戻されてしまった。高齢で要介護の祖母とふたりきりでの生活を余儀なくされたのだ。

その数年後に、叔父は亡くなった。直接的な死因は癌だったのだけど、「ふつうの精神状態」であればおそらく違和感があったら病院に行ったりするであろうところを、気づくのが遅れ、本当に痛みがひどくなって病院に行ったときにはすでに手遅れだった、というのが背景にあったみたい。

亡くなった叔父は本当に優しい人だった。子供の頃を知る人は誰もがそう言っていた。
温厚で、まじめで、勤勉で。
だけど、病気に冒されはじめた20代の頃から、周りにほとんど何もない片田舎の家に戻り、部屋で多くの時間を過ごし、ラジオを聞き、切手を収集したり株に手を出してみたり、という生活を、50近くになるまで続けていた。
そうならなければ恐らく、東京の大学を出て医者になり、結婚し、という人生が歩めていたかもしれないところを。

生活をするにあたって、経済的な不自由はなかった。
でも、精神そのものを蝕まれている状態で、夢や希望を持つことは難しかったように思う。
その人生が、はたして、幸せだったか?

他人のことを可哀想とか決めつける権利もないし無意味なことだけど、
このことは、私に「どう生きるか」について、頻繁に強く考えさせられるきっかけになっていた。
自分の身にいつ何が起きるかわからない。
もちろん、老後に2000万だか3000万だかが必要とか言われる世の中、将来設計はきちんとしないといけないし、キャリアアップとか長期的な目標は必要だと思う。
だけど、先のことばかりを考えて、いまをひたすら犠牲にしていると、もしかしたら先送りにしている「いつかの楽しみ」は来ないかもしれない、そんな風にも思う。

全然別の話で、漫画「ちびまる子ちゃん」の、ノストラダムスの大予言というエピソードが好きだった。
1999年の7月に地球が滅亡するという説が昔はあって(今となってはもう20年も昔…!)、その説に絶望した主人公まる子は勉強も放棄して遊びたい放題。そこで放った姉の言葉が「もしその予言が外れたらあんたはただのバカだよ」、それを聞いてハッと我にかえり、ふたたび日常を取り戻す。そんな話。

「いつ死んでも悔いがない人生」と「いつ死ぬかわからないけど長期的なスパンで自分を高めていく/リスクヘッジをする(主にお金や健康の面で)」ことをバランスよくやっていかないといけないんだな。というのが今のところの結論。
そんなに簡単なことじゃないけど、いつもそれを忘れないで生きていたい。ぼーっと時間を浪費している場合じゃない。それは叔父が教えてくれたこと。

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