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ゆきおんな 第9話


#創作大賞2024 #ホラー小説部門

  ゆ き お ん な 9
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 次に私が出張を装って羽衣高原へ出かけたのは、すでに秋になってからだった。
 あの小屋まで行ってみるつもりだった。午後1時くらいには神城山へ着けるだろう。山頂から降りるのに約2~30分。30分いたとして、上がるのにおよそ1時間半から2時間。明るいうちに済ませられる。
 あの老婆の話は本当だろうか。
 神ながら村に伝わるという雪女の伝説は本当だろうか。
 9歳のときに私が見た雪女は本当に存在していたのだろうか。
 そして、
 雪子は……。

 私は神城山の頂きに立っていた。
 よく晴れていた。
 空気はその味が感じられるほどに澄み渡っていた。
 スキーに来たときには曇りだったり、吹雪いている日ばかりだった。そのため、まだ雪のないこの山からの眺望がこれほど美しいとは知らなかった。
 神城山は標高がおよそ2000メートルある。
 長野県とばかり思っていたが、この神城山や横手山のあたりは長野県と群馬県の県境に位置していた。
 冬以外でもスカイレーターとリフトで山頂に来ることが出来るのだ。
 空は青いというより少し緑がかっていた。その緑が透明のガラスのように澄み渡っているのだ。平地ではどんなに晴れていても見ることの出来ない純粋な色に違いない。
 私は山に来て初めて雲海を見た。眼下に激しく動く煙のような雲の流れは、まるで龍神の背のようだった。その雲海の上に、はるかに山々の頂きが浮かんでいた。
 冠雪の浅間山を背景に、手前には白根山と四阿山が見える。三角の峰は有名な傘岳であろう。
 連続する峰の頂はアルプス連邦の山々だ。
 御岳や八ヶ岳、乗鞍、穂高、立山、白馬と並んでいる。この山からの眺望は特に眺めが良いとして人気があるのだという。
 やや寒くなりかかったこの時期に来ている人はあまりいなかったが、それでも人の姿は所々に見られた。
 羽衣高原随一という眺望の良い横手山と神城山は、一年を通して人気スポットであるらしい。
 今から20年も昔に、ここから私と父は雪深い道を下へ滑って行ってしまったのだ。
 そこは禁断のエリアだった。
 入り口は数十メートル以上の幅があって、今もロープがしっかりと2重に張られていた。ロープの真ん中に「立ち入り禁止 この先行き止まり」の立て札があった。
 私は振り返って、冬になるとスキー客であふれる初秋のゲレンデを見た。雪のない斜面は、きれいに整理された広場となっていて、所々に草や花が生えていた。鮮やかな紫色に花開いているりんどうや、ハナイカリが咲いていた。
 澄み渡る空気というのは、冬よりもこうして雪の無い、心地よい日の方が一層うまいと思える味が感じられるものだということに気が付いた。
 私は深呼吸をした。
 五臓六腑に染み渡るという言葉があるが、五臓六腑どころか五臓六腑骨格筋肉皮膚の表面、細胞の隅々にまでその味が染み渡るようだった。都会では感じることのない本当の地球の空気なのだろう。
 戻って来てもう一度あのアルプス連邦の峰々をみつめてみたい。
 そう思いながら私は神城山の頂きから、立ち入り禁止地区の縄の中へと足を踏み入れた。
 帰ってくることができるだろうか。
 と、ふと思った。
 しかし、どうしても行かなければならない。
 冬ではあれは探せないのだ。
 冬ではそれは深い雪の下に埋もれてしまう。あれは雪が無い今の時期にしか見つけられない。
 私はそれが無いことを願った。
 もしそれを見つけてしまったら、私はどうすればいいのだろう。
 いや、どうすればいいのだろう、というのは嘘である。
 私の心はすでに決まっている。
 どうするべきか。
 何をやるべきなのか。
 それは私にしかできないことなのだ。
「あのとき、この道を降りてさえ行かなければ」
 私はつぶやいていた。
 しかし、と私は相反することをも思うのである。
 あのときこの道を降りて行ったからこそ、今の私はこの運命を背負うことができたのだ。父もまた、この宿命への橋渡しを背負っていた。父なら言うはずだ。「おまえの思う通りにするんだ」と。
 そうなのだ。
 この運命を背負うことができたのだ。
 私はその事実に感謝していた。
 たとえ自分の命がこの下で尽きようとも、なんの恨みも後悔もない。
 なだらかなスロープを100メートルほど歩いたとき、私は振り返ってみた。
 こちらの斜面の隅にも、寺院の鐘が小さく連なったかのようなりんどうが、薄紫色の可憐な花を所々に咲かせていた。4~50センチの高さに成長していた。
 同じくらいの高さに群生しているハナイカリがあった。ハナイカリの群生は初めて見た。淡い黄色の花が今にも落ちてしまいそうで、はかなげだった。
 そのほかにも、近寄ってみると、綿毛をまとってでもいるかのようなヤナギランとかワレモコウが咲いていた。
 周囲の樹木はすでにかなり赤くなりかかっていた。全山が紅葉すれば、縦横に綾なされた西陣の帯のような美しさになるだろう。
 楓が最も色づいていて、そのほかにも、ななかまどや山漆の木などの広葉樹が、さながら錦絵のように色を変えつつあった。
 私は可憐なりんどうの花が咲いている茎を一輪摘み取った。
 上から見ると緩やかに見えていたスロープは、下から見るとかなりの坂道になっていた。帰りはかなり疲れそうだ。
 涼しいと感じていた空気は、歩くに従い次第に暖かく感じられるようになっていた。これだけの坂道を歩いて下って行くだけでもかなり大変なことが分かった。やっぱりスキーは便利な道具なのだ。
 やがて道は曲がりくねって狭くなり始めた。
 歩きやすいスニーカーを持って来てよかった。革靴のままでもいいか、位に思っていたのだが、家を出る直前、突然気持ちが変わったのだ。
 明るいうちに帰って来なければならない。暗くなるとそれだけで恐ろしい。雪が無い山の夜は恐ろしいほど暗いのだ。月明かりがないと、まさに一寸先は闇といっていいほど暗い。
 学生時代、開田高原へキャンプに行ったときの事が思い出された。夜になってキャンプ場を離れた私は、仲間と4人で懐中電灯を持って細い山道を歩いたことがある。
 曇っていたため月明かりが無く、外灯などもちろんなかった。目の前は懐中電灯でかなりの光があった。
 途中で後ろを振り返った私は、そのあまりの恐ろしさに言葉を失い、ぞっとした。
 こんなところにたった一人取り残されてしまったら、恐ろしくて気が変になってしまうだろうと感じた。
 私たちが今歩いて来た道には一寸の光も無く、まさに暗黒とも言えるほど暗い闇が沈んでいた。道の幅さえはっきりとは見えなかった。
「山の夜は怖いな」
 私は恐怖に竦んだ自分を振り払うようにいった。
 光ほど人々に希望をもたらすものは無い。私はそのときそう思った。
 そうか。お雪には光が差すことさえなかったのだ。闇の中に埋もれたまま死んでいった。そのまま1000年もの間、お雪という不遇な女には光の一筋さえ差したことがないのだ。
 伝説が本当なら、そこにわずかな光でもいいから当ててあげたい。

 山の夜の怖さを考えたが、今日の私は懐中電灯さえ用意してこなかった。
 もともと明るいうちにすべてを終わらせて帰って来るつもりだったからだ。そのため朝から車を飛ばしてやって来た。
 あの小屋が残っていたとしても、とても一人であの小屋に泊まる気にはなれない。
 私はあの小屋から助け出されたとき、雪上車に初めて乗せてもらって、子供だったせいもあってうきうきしていたが、そのときは父親の死がどういうことなのかがよく分からなかったのかもしれない。
 9歳の私には、あの不可思議な父親の死は、それ以上のものではなかった様な気がする。
今なら、悲しみや恐怖や苦しみなど、色々なことを感じただろう。それが分かるには私は幼なすぎたのだ。
 あの父の異常な死に様を見て「パパどうしたの?」と、私を助けに来てくれた人に聞いたことをかすかに思い出した。
 大人には理解しがたい私の言葉だったに違いない。
 そして私はもうひとつのことを思い出したのだった。
「あの小屋には昔墓守がいてお墓を守っていたらしい」
 その墓は小屋の裏にある、といっていた。
 墓守というのは、おそらくはこれを供養していたというお坊さんのことではないだろうか。
 老婆はお雪が首を吊った小屋で100日間の供養をした僧侶の話はしても、墓守のことまではいわなかった。
 雪女の伝説が伝わるに従い、話が次第に変容して、よりおどろおどろしい内容へと変わって行ったのではないだろうか。ただ単に墓守をするだけの人がいるはずがない。供養をしていたはずだからだ。
 私が冬に来ないで、雪の無い時期にここへやって来たのはそのためだ。
 
 お雪の墓は本当に存在しているのか。
 
 あのような場所に本当に墓は、卒塔婆は立っているのか。
 私はそれがないことを確認したかった。
 この目で直接。
 冬では墓がもし本当にあったのだとしても、雪の中に埋もれてしまう。何しろこのあたりは積雪が2メートルとか3メートルもあるような高山地帯なのだ。くぼんで高い木々が覆っているとはいえ、あの小屋の当たりでも1メートル以上は積もるだろう。
 周りになにもないむき出しの小屋などは、雪のない季節には小屋から下っていた出入り口は、冬の間には雪が積もるに従い上に向かって歩くようになる。
 地面に接している墓はかなり埋もれてしまうのだ。
 私は斜面をゆっくりと歩きながら思っていた。
 いや、願っていた。
 お墓なんてないことを。
 しかし、墓があることは多分間違いないだろう。立派な墓が建っているのだろうか。
 昔、私を助けてくれた雪国の人たちの話では、墓守のことは有名な話なのだという。
 その墓はあの老婆の話では雪女・お雪の墓なのだ。
 それは今では伝説に過ぎない。
 1000年以上も昔の、世の中に神や仏や鬼や魑魅魍魎が跋扈して混在していた頃の話だ。京の都でさえ、陰陽道がまつりごとに大きな影響を与えていた頃の話だ。
 この科学の時代から見れば神話世界の話にも等しい。
 私はこのときになって、リュックを背負ってくればよかったと思っていた。リュックと一緒にハンディスコップでも持ってくればよかったと思った。
 私は、本当は見てはいけないものを見に行くのではないだろうか。
 だけど、だけど、だけど。
 そんなことはありえないことだ。
 この21世紀の時代に、ありえることではないではないか。
 小泉八雲がいた時代とでさえ、今では雲泥の差がある。
 そもそも雪女などいるはずがないのだ。
 1000年前だっていなかった。
 それはただの伝説であり、脚色され続けて変容した想像に過ぎない。
 たまたま厳寒の冬に、避難したあの小屋の中で死んだ人間を見た人が、寒い冬の妖怪のせいと関連付けただけだ。まっ白な妖怪。それなら美しい雪女がもっとも話としては面白い。
 私が9歳のときに見たあの不思議な白い女も、入眠幻覚に過ぎない。あるいは子供の想像だ。
 あまりの寒さに不思議な夢を見たのだ。開かれた入り口から舞い散るように入ってきた雪が、まるで人の姿のように見えたのだ。入眠時は脳自体が覚醒と入眠の境目にあるために幻覚が生じやすい。
 それをまだ幼なかった私は現実と混同してしまったのだ。
 あとから父の死を無理に関連付けるために、勝手に想像した可能性だってある。あの父親の死に様でさえ、子供の心が産み出した幻覚、あるいは記憶のすり替えかもしれないではないか。
 考えてみれば、あんなことがあるはずが無い。
 それじゃあなぜお前はこんな所までやって来たのか。
 確かめたかったからじゃないのか。
 雪女の話が本当かどうかを。
 もっといえば、雪子が雪女ではないということを。
 この荒唐無稽な話を信じている自分がどこかにいる。
 ばかな。
 ぼくはそんなことは信じていない。
 いや、そうじゃない。
 お前はこのことを信じているのだ。……

 相反する思いが私の胸の中をよぎっていた。
 ではあの人の話はどうなんだ。
 いや、待て。
 私を助けてくれたあの雪上車のおじさんは、私に嘘を付いたのだ。ちょっと脅かしてやろうと。
 美しい女性が助けてほしいとやって来たという話だって、あのおじさんの創作かもしれない。
 あの人たちは偶然、あの場所へやって来た。
 そこで私を見つけて、ちょっと脅してやれと、芝居を打ったのでは。
 子供の私はそれを真に受けてしまったのではないのか。
 しかし、ではあの父親の死や、消えていた火はどう説明する。
 あの中で私は何かに守られるように生き延びていた。
 一晩、あの寒さの中、私は目覚めることなく眠り続けた。
 私が助かったのは、あの白い女が私を抱きしめて、暖かくしてくれていたからではないのだろうか。私の命だけは助けてやるという約束を守ってくれたからじゃないのか。

 やがて道は分かれ道に差し掛かり、私は記憶をたどって右へ折れて行った。
 もうすぐあの小屋が見えるはずだった。

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 両側の森はかなり迫って来ていて、道幅は数メートルくらいしかなかった。それほど急な坂があるわけではないが、2キロ程度の坂道を歩くのは楽ではなかった。しかし、帰りは上らなくてはならない。
 やがて道はかなり平坦になって来て、突き当りにはロープが張ってあった。「この先行き止まり」との立て看板があり「これより10メートル先谷」と別の看板が立っていた。このあたりになると平地であり、かなり広くなっている。
 その手前の右手奥に小屋があった。雪が降っても埋もれないようにと考えたのか、小屋は数十センチほど土を盛って作られていた。不気味な静けさの中に、ひっそりと佇んでいた。小屋の手前はまばらな木と草があるだけだったが、その奥に行くに従い、生い茂る木は密集し、深い森となって溶け込んでいた。
 私はいったん立ち止まった。
 一瞬背中がぞくぞくするような悪寒を覚えた。
 ぶつぶつと肌の表面に粘りつくような悪寒が、無数に立ち上がってきた。
 私はこの中で雪女に出会い、この前で雪子と出会った。
 とにかく行ってみよう。
 小屋は非常に古い時代を感じさせ、修復された跡が伺えた。腐りかかった木でかろうじて建っているといった感じだった。
 子供の頃の記憶ではもっと大きく感じていた小屋だったが、今こうしてみると小さな山小屋に過ぎなかった。雪子と会ったあの日もそんなことを感じた。あの日からこのあたりは何も変わっていないのだろう。訪れる人もいないのだ。
 誰一人として墓のことなどを守っている人はいない。忘れ去られた存在なのだ。
 木で覆われた屋根は崩れかかり、壁も隙間だらけだった。ところどころが崩れたり穴が開いたりしていた。雪子と会ったときよりもさらに崩壊は進んでいるようだった。
 一目見て、長いこと誰も手入れなどしていないことが分かった。崩れてしまうのも時間の問題ではないだろうか。
 私は入り口の前に立った。
 引き戸に手をかけたとき、名状しがたい恐ろしい何かがそこに潜んでいるような気がした。
 私はそっと隙間から中を覗いてみた。
 中には何もいるはずがない。
 昼間というのに、背後が気になって仕方ないある怯えを感じた。
 なんとなく記憶の片隅に残る、囲炉裏の火を入れる窪みのようなもののあとが、小屋の真ん中あたりに見えた。
「この中であの日ぼくが見たものはなんだったのか」
 ここを開ければその答えがあるとは思えなかったが、私は崩れ落ちそうな扉を横へ動かした。
 ガタっと弾けるような音に私はびくっとした。扉が半分ほど崩れてしまった。
 木が腐りきっているようだった。
 中はやや薄暗かったが、ほとんど何も無かった。
 布切れだか何だか分からない切れ端のようなものが、地面にへばりつくように落ちていた。
「ここであの不思議な女を見た。親父はこの場所で干からびたようになって死んでいた。やっぱりあれは子供の想像なのか」
 ため息が出た。
 そのとき、背後に何か強烈な視線があるのを私は感じた。
 思わず背筋が凍りついた。肌の表面に浮き上がったぶつぶつは私の全身を振るわせた。
 誰かがいる。
 誰かがぼくをじっと見ている。・・・
 そっと振り返ってみた。
            
           北川 陽一郎
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#創作大賞2024 #ホラー小説部門 #雪女 #ゆきおんな #ホラー純文学

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