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八燿堂から刊行している、人と自然と宇宙の豊かさを祝福する本『mahora』のweb版です。各号の編集後記を転載しているほか、『mahora』創刊のきっかけとなったテキスト、中の人…
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[mahora_note 目次]

八燿堂の基幹タイトル『mahora』のweb版です。紙の本を補完する副読コンテンツとしてお楽しみいただけましたら。 ①『mahora』について 2018年からだいたい年1回ペースで刊行している八燿堂の基幹タイトル『mahora』と、その他の紙の本についてのご案内です。 ②(工事中) (工事中) ③各号の編集後記 『mahora』は限られた書店さん・小売店さんで販売されているため、誌面を目にする機会がなかなかありません。そこで編集後記だけでも…ということで無料公開し

[mahora 第6号]編集後記

(第6号の編集後記は、以下の詩から始まります) ……唐突に失礼しました。生まれて初めて書いた詩です。愉しんでいただけたら恐悦至極。 これはですね、本誌第2号に寄稿いただいた、こじょうゆうやさんもかかわる、お金にまつわるワーク(「エネルギー循環合宿 愛のマニーマニー」。以下、合宿)に、私が昨年から参加しておりまして(本稿執筆時も継続中)、そこで得たコペルニクス的転回的学び――ざっくり申し上げると、「エネルギーの観点からお金をとらえる」こと――への応答として書いたものです。

[mahora 創刊前夜]

幼少期~子どもの夢子どもの頃の夢は2つあった。ひとつは「刑事になること」。当時、『太陽にほえろ!』が流行っていて、渡辺徹演じるラガー刑事がお気に入りだった。正義感はいまでも強いと感じるが、「僕も!」と幼心に思ったのだろう。けれど、エレベーターのドアに挟まれ続けるという、かの有名な殉職シーンを見て、その熱はきれいさっぱり冷めた。 もうひとつは「本屋になること」だった。その頃から本に惹かれていたのだろう。本が好きというより、本のある空間が好きだったのだと思う。本と言っても、読

[日日月月]12月19日、クリエイティブに優劣はあるか

小学校中学年から浪人時代まで埼玉で、大学時代に東京に出て、東京のFMラジオ局に就職し、東京の出版社に転職し、東京でフリーランスの編集者になり、東京で八燿堂を開始し、2019年に長野に移住した。 人生の約半分を東京で過ごしたが、(サブ)カルチャー好きだったから都会暮らしは楽しかった。人、モノ、情報、お金が集まる都市は、クリエイティブの坩堝だ。あらゆるエネルギーの髄を集めた創作物には、見るものを圧倒するクオリティが備わっている。 と、思っていた。 間違っていた、ということでは

[日日月月]2009年9月、モロッコ

新卒から数えて2社目となった出版社を退社した私は、有休消化の折に行ってみたかった国々を訪ねた。そのうちのひとつがモロッコだった。 フェズ、マラケシュ、サハラ砂漠、アトラスの麓、カサブランカの港、さまざまな遺跡、といろいろとまわった記憶があるが、当時の写真を引っ張り出してみたら、記憶が混濁していて、どの町でどの写真を撮ったのか、定かではない。結果、ランダムになると思うが、少し紹介しようと思う(持参したデジカメが故障しガラケーで撮った記憶がある。画質が悪いのはその理由ということ

[日日月月]9月8日、『mahora』最新号をつくり始めている

編集ってどんな仕事か、よく聞かれることがある。もろもろの仕事のフローを逐一説明しても、そもそも出版界の構造そのものが「謎の存在」になってるから、あまり意味はない。 そんなときは、編集を料理で例えて説明している。 執筆者の書く文章、写真家の撮る写真、イラストレーターのイラスト、などが「食材」。編集者はそれを集めて編む=「料理」する。 編集者とは、言ってみれば料理家のようなものだ(ちなみに「盛り付け」はデザイン、コースとかセットとか提供される料理全体が本、スタッフが書店員ま

[日日月月]8月31日、子どものやさしさと強さに触れた出来事

以前、息子の流した涙に感動したと、少し書いた。 人の親なら誰しもわかりそうなものだが、子どもという存在は鏡のようで、親が学ぶことのほうが多い。 NVC(非暴力コミュニケーション)を実践し始めてから、うちの7歳の子どもとは、世の中の常識や理屈よりも、感情と感情で話すように心がけている。 そんな会話を通して、彼から美しい感情を何度も受け取った。 彼は、やさしさの固まりなのだ。 先日、こんなことがあった。 いわゆる「森の幼稚園」で3年間過ごし、問題や解決法を自分で見つけ、

[日日月月]関西への小さな旅③7月30日の記録、急逝した彼女のこと

2泊3日のわずかな旅の、最後の目的は、古い友人たちと再会することだった。 7月の中旬、関西行きを決めたあと、Tから数億年ぶりに連絡が入った。共通の友人であるNが、死んだというのだ。 死んだ。 意味がわからなかった。 あまりに突然すぎた。 驚くことしかできなかった。 20代の最後の頃、よく集まって飲んでいた6人組のひとりだった。看護師を辞めて、結婚し、ネイリストになって、子どもは確か3人いたと思う。 羽目を外したがって、向こう見ずにはしゃいだり、思い通りにならないことに

[日日月月]関西への小さな旅②7月29日の記録、星が星図を描いた夜

kawoleさんとは長い付き合いで、かれこれ20年近くになるんじゃないかと思うと、年月の速さにぞっとする。 というのは半分冗談だが、彼女との経緯を端的に言うと、ブログ黎明期に私がkawoleさんをネットナンパして、数年後にリアルで会い、以降は東京と関西という距離もあって数度しか会わなかったが、そのたびに、なんというか、お互いを感じながら自分の位置を確かめる、みたいな間柄だった。 前にやり取りしたのはいつだっけ、というくらいの間が空いて、突然kawoleさんからメッセージが

[日日月月]関西への小さな旅①7月28日の記録、人から望まれる仕事について

一日中、眠い日が、何日も続いていた。あれやこれやが積み重なって、なんだか気分転換したくなって、どこかに旅に行きたくなった。そんな話を、言ったか言ってないか、よく覚えていないが、古い友人であるkawoleさんに声をかけられて、行き先が関西に決まった(kawoleさんのことは次回)。 7月29日に神戸で仕事をすることになり(これも次回)、いい歳して弾丸ツアーは避けたいので2泊3日の行程とした。さらにこの機会に、長野に移住して以来やってみたかった、松本空港からの空便を実現した。

[日日月月]8月11日、多忙な夏に訪れた少しの合間に本の備忘録を

集落でトンボが飛びはじめ、朝晩は秋の虫が鳴きはじめた。 急に多忙になった夏の、エアポケット。読んだ本の備忘録。 ティック・ナット・ハン『私を本当の名前で呼んでください』(島田啓介訳、野草社) しばらく前に読んだ本だったが、ふと本棚を眺めたら、目が合ったので。 禅僧、ティック・ナット・ハンのことは、共生革命家のソーヤー海くんから教わった。ティック・ナット・ハンたちが建てたプラムヴィレッジのことを聞いたのが最初だったと思う。 訪れてみたいな、と思いつつ、多分、基本的にコミ

[日日月月]7月26日、一人出版社が未来の豊かさに貢献すること

「いま、この時代に爆発的に売れて受け入れられるよりも、200年後の人たちに発見される本をつくりたい」 2018年に八燿堂(はちようどう)という屋号で一人出版社を始めたとき、頭に思い描いたビジョンがこれだった。きっとそのほうが、自分がなした仕事が裏付けられると直感したからだ。 200年後、というのは記号で、500年でも1000年でも構わない。要するに、自分も、子どもも、孫も、いま身近にいる人たちもみんな、死んでいなくなった世界のこと。それが私にとっての「未来」だ。 では、

[日日月月]7月20日、3000円でポッドキャストを始めて、思ったこと

一昨日の新月の日に、長野県東部=東信エリアのローカルのポッドキャスト"sprout!"を開始した。東信で「サステナブル」(広義で)な活動をしている人たちにインタビューし、活動の魅力やその人の思想、背景にある社会問題や気候変動、活動のルーツとなった本について、などを紹介するプログラムだ。 ポッドキャストではインタビューのダイジェストを配信。未公開パートはテキスト化してnoteに全文掲載している。 いずれはポッドキャスト+note+αで書籍化するつもりだ。 取材対象は基本的

[日日月月]7月12日、「影響力」に比肩する連帯と星図、当たり前の話に気づいた日

コツコツやっているだけでは社会は何も変わらないんじゃないか? という話を以前書いた。 抜粋するとこんなことを書いている。 自分の書いた原稿を引用するのはなんだか気持ち悪いが(苦笑)、まあとにかく、これを書いた5月中旬の時点では、 規模はそのままで 発言力を大きくする ことを目標にしていた。実際、慣れもしないinstagramを毎日上げ続け(さすがに土日は休んでいるが)、インサイトを見ながら投稿を試行錯誤し、結果、確かに以前よりリーチやエンゲージメントは上昇してはいる