見出し画像

インターネット・ロンリィ


真紀子の場合

真紀子は空気を読む人間だった。
だから真紀子はSNSに愚痴を書きこんで、送信するボタンを押すときに、「もし、誰かがこれをみて誤解されて受け取ったらどうしよう」と思い、周りの空気にきをつかって下書きボタンに内容を保存したまま、何も発信できずにいた。
ある日真紀子は、犬の散歩がてらたまたま訪れた公園で満開の桜を見た。
彼女はその桜の木を撮影して、今度こそInstagramに投稿しようとしたが、投稿ボタンを押す勇気が出ずにあった。
今日は平日なのだ。
世の中の人が汗をかいて働いている時に自分がそれを差し置いて、「休日アピールをしてマウントをとっている」と見ている人たちに思われるのではという懸念が彼女の中にあったからだ。
それとは対照的に、今度こそ投稿しないと周りに置いてかれるのではないかという焦りも彼女の中にあった。
息を吸って、「どうせ誰も気にしてない。どうせ誰も考えていない」念仏を唱えるように頭の中でくり返す。そして彼女は決心して投稿ボタン押した。そしてすぐさまInstagramの通知をオフにし、ついでに携帯の電源も落として、翌日まで携帯の電源をつけることはなかった。
翌日、彼女は恐る恐る携帯の電源をつけて携帯の上部にある通知欄を見た。そこには全く音沙汰もなく、ただたた携帯会社の請求のお知らせが光っていた。自分の投稿欄を覗くとコメントがつくどころか、いいねもゼロ。安堵の中に少しの寂しさを覚えた。

今日は土曜日だ。彼女は友達の加奈子に桜の写真を何と無く送って見た。

しばらく経って加奈子から彼女の自宅付近にある桜の木の写真が送られてきた。

「近所の桜も綺麗に咲いてる」と彼女はいった。真紀子は「春だよね」と返信した。



由理恵の場合

由理恵はわかって欲しい人間だった。
だから彼女はいつも誰がオンラインの状態にあるかいつも気にしていた。
彼女がSNS上で言う「電話したい」「山に行きたい」「川に行きたい」などは事実は事実なのだが特定の人に対して言っているものだった。「特定の人」にがオンラインになっている状態を確認して、「特定の人」に向けて投稿する。その特定の人が見たことを確認したら投稿を消す。結果は出るときもあれば出ないときもある。最近は出なくなったかも。そんな毎日だった。

ある日の深夜3時、その「特定の人」が投稿したと言う通知がきた。どうやら旅行に行ったらしくその写真が何枚か掲載されていた。3枚目には髪の長い女性らしき人物の後ろ姿が右端のギリギリに映っていた。

なるほどな。

朝6時、目がさめる。
由理恵は朝方の静かな音が嫌になり、イヤホンをつけてアップルミュージックを開いた。どうやら「特定の人」が好きなミュージシャンが新曲を出したそうだ、失恋ソングだった。

彼女は、新曲のURLを「タイミング良すぎ」と言う言葉と共にSNSに載せた。10分後それを投稿する自分が嫌になって消した。いいねはなかった。エンゲージメントは1。多分、彼以外の誰か。


祐希の場合

祐希はバーチャルに生きる人間だった。だから、彼は自作HPの中が唯一みんなから認められる人間でいることができた。毎日なんてことない日記を投稿しては周りのみんなは賛称してくれる。そのまま、彼はずうっとこのインターネットの中で生きると思っていた。しかし、ネットワークの世界ではモンゴルの遊牧民族のように人々が移り変わり住むところを変えてゆく。自分の家の周りの人はツイッターを話題にしていた。そうして、また一人また一人とここの草原地帯を去ってゆくものが増えていった。だけど彼はいつかみんなが帰ってくると信じて、毎日なんてことない日記を投稿し続けた。けれども誰も戻ってくることはなくまた一人また一人と去って行った。

時はすぎて4年後、祐希自身もこの場を去っていた。久しぶりに故郷に戻り、そして旗を立てた。いつものようななんてことのない日記。

3時間後戻ってみると、いいねの欄は0だった。やっぱりそうかと思って。ため息をついた。








__________________

4年前、このHPを見てました。その時はとても辛いことがあり毎日死にたいと思っていましたが、

ゆうさんのブログから綴られる、少し笑ってしまう日常が私の中で支えになってました。

久しぶりの更新嬉しいです。これからもたまにはこの『草原地帯』に戻ってきてくださいね。

_______________








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?