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40歳、0になって愛に気づく

いつの間にか冬になっていた。
人生2度目の成人式を迎えた今年、私は約3ヶ月のモラトリアムを体験することになった。
私と関わりのある人のプライバシーのため具体的に書くことができない部分もあるけれど、この経験からの気づきをひっそりとでも残しておきたいと思った。

1年の間に陰陽のリズムがいくつかあるが、9月23日の秋分の日の前に私にとって大きな転機が立て続けに2件起こってしまった。

大人になるにつれて自分の感情を保つことに変に慣れていた私は、自分の奥深いところに眠っていた、もう解決したと思い込んでいた未消化の感情と向き合うことになったのだ。

1つは母の緊急入院。
実家の母とは離れて暮らしていて、ここ数年会えていなかった。
私の母は携帯電話を持っていない。私が東京から京都に引っ越して約9年、1度も京都へ来た事がない。帰省するお金がない訳ではないのだが、一緒に住んでいる姉が抱えている病もあり、私に会いに京都まで行くという行為は母のキャパシティーを超えていると言われたことがある。
そんな母との接点は年に数回の手紙のみ。内容も表面的なことばかりだった。

命に関わる事態と病院からの連絡が入り、顔を見て話したいことは沢山あるのに、再会は叶わないかもしれない状況の中、私は母や姉に対して今まで言いたかったことや言うことができなかった状況への想いが溢れてきた。
幸い母は検査の結果退院し、通院しながら少しづつ落ち着いた生活を取り戻しつつある。

そして2つめの転機として、母の退院した翌日に夫が手の怪我で病院へ救急搬送されたのだ。
わたしは現場におらず全く状況がわからない状況で病院から連絡があり、病院に着くなり医師から指の付け根の屈筋腱の断裂により手術が必要で、術後も元の状態に戻るまで3〜6ヶ月のリハビリとなると聞かされ、呆然とした。
夫は鍼灸師で私は一緒に鍼灸院を営んでいるため、手の怪我は仕事や生活に大きな影響があることだった。
私は母の見舞いで既に消耗していて、受け止めるのにとても時間がかかった。
そして何より通院してくださっている患者さまへの申し訳なさでいっぱいだった。

立て続けに起こったこの転機が私にとって1番近い存在の2人との間にあった未解決の問題の後押しになっている気がしてならなかった。
幼い頃から我慢を重ねてきたことからの猛烈な怒りと愛されなかった悲しみ。そしてどんなに親しくとも人と人は違うということ。
今の現状の全てをストップし向き合わざるを得ない状況の中、私は自分のからだが勝手に自動運転しているみたいに感情を出さずにはいられない勢いで泣き、怒り、早く現状を変えることにとらわれて現実逃避な行動をとったりしていた。

もがいてもどうにも進めないことが続き、私は仕事に対しても何に対しても熱がさめてしまい、心身を休めることしかできなくなった。
そんな状況の時に私のブレンドしたお茶を求めてくれる声や古い友人の優しい贈り物には心から救われた。
その日その日に思いつくことをして一歩一歩過ごしていく中で徐々に自分の本心の声が聞こえてくるようになった。
母や姉、パートナーとのぶつかり合いの後に気づいたのは、相手もその人なりの価値観で精一杯生きて愛をくれていたということだった。
私は私の価値観にない行動を愛だと認めようとしていなかった。
そして私の価値観ではありえない価値観で生きる人の愛を信じずに、自分は愛されなかった存在として自分を扱っていた。
人の価値観は産まれた時代や環境、性別や人生経験、もしかしたら前世などから驚くほどに違いがある。到底理解できないこともあるけれど、相手のとった理解できない行動そのものを見るだけでなく、その裏にある感情を見ることができたら、自分と同じ本質を感じられる気がした。
この気づきによって波が引くように、じんわりとした心の解放を味わうことができた。

今新たにやりたいことがみつかった。
そんな心境になれたことが嬉しい。
もう元には戻れない感覚で、来年からもう一度私の人生を始めようと決めた。

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