見出し画像

全ては最善

選択理論の中では、私たちの行動は、全て自分達にとって最善を尽くしていると言われています。

例え、その行動が周りの目から見て明らかに効果がなさそうに見えたとしても、その時には、その人にとっては最善なのです。

私が保育士1,2年目の頃は、1,2歳の担任をしていました。

その時に、してはいけないことを子どもがしたら、怖い顔をして「ダメ!!」とやめるまで言い続けてやめさせることが正しいと思っていました。

だから、子どもが泣いても、怒っても、言うことを聞くまでやり続けていました。

その時は、それが当たり前だと思っていたし、それ以外の方法についても考えようとすら思っていませんでした。

きっと、自分にとって当たり前の事についてよほどのことがない限り改めて考える機会ってないのではないでしょうか?

その時は、それが最善だと思ってやり続けていました。

そして、別の保育士の先輩と一緒に担任を持つことになった時に、私の保育の考え方がガラリと変わりました。

これまで、子どもがいけないことをしたら子どもが悪いと思っていましたが、怒らなくてよい環境を作ったり、楽しみながら怒らずに気持ちを切り替える方法を考えたり、保育士として私自身が配慮すべきことがたくさんあることに気付かされました。

子ども達はいけない事、例えばスプーンをカンカンしたり、わざと床に落としたりすることは、大人から見るといけない行動ですが、子どもにとっては遊びの一つで発達の過程で自然とみられる行動です。

それをある程度許容しながら、食事中であれば食事に興味を持てるように誘い掛け、カンカンしたり、落としたりする行動は、遊びで取り入れることで十分楽しめるようにします。

このように、始めは「ダメ!」と言って怖い顔をするということが最善だったのが、新しい情報を得たり、試行錯誤する中で、効果的で子ども達の発達も促せる方法を見つけることができました。

振り返ってみると、まだまだ保育士として未熟だったために、当時の子ども達には本当に申し訳ないなと思いますが、でもそれも最善でした。

みなさんも、振り返れば「あの時はまだまだだったな。」と思うことや今でも「今のままではダメだ、もっと頑張らないと!」と思うこともあると思います。

でも、日々成長していく中で最善は変化していき、自分だけでなく周りの人もみんなが成長過程であり、最善を日々過ごしています。

だから、現在最善を尽くしているみなさんも自分のことを認めてあげてくださいね。

そして、また最善を一緒に更新していきましょう!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?