(習作)道端で見つけた地球

 家の中で考え事をしていた時、ふと外に出たくなって私は散歩をすることにした。
「こんな寒い夜にどこいくのよ。明日も仕事でしょ」
 母親が少しイライラしながら言ったが、私は軽くかわして外にでた。

 夜の散歩は、少し気持ちが高ぶる。普段は陽の光に照らされている光景が、全く別物に見えるし、空気も違って香るのだ。昼の光は、強く照らしてくるからすごく干渉されている気分になる。けれど夜の光は、少し冷たくて他人行儀な感じがいい。
 住宅街のある通り道の突き当たりには、竹林がある。その道を横切って、竹たちを眺めながら歩くのが私の日課だった。冬の竹林は、葉が枯れているので、ただ本体の棒部分だけが残り、スッキリして見える。植物はいいなあ、何かのタイミングで、一度リセットされて季節が巡ればまた新しく生えてくるんだから。
 植物たちからしたら「なんて失礼なやつ」と思われそうだが、私は本当にそう思っている。

 歩き出して数分、私は何かが足にぶつかったのを感じた。軽い音が道に響く。暗い街明かりでよく見てみると、小さな瓶だった。少し太い筒状で、ジュースの缶をそのまま透明にしたようなサイズ。口には蓋がしてある。
 ゴミには見えない。青白く透明な見た目には、とても清潔感があって、不思議なことに少し暖かい。この寒い中で握っていると気持ちが良い。
 道端でものを拾うなんて、と言われてしまうかもしれないが私はこの小瓶に特別さを感じて、持ち帰ることにした。
 次の日、その小瓶をみると、驚くことに中身が入っている。中にあるのは水と小島のようだ、緑は生えておらず、小さな剥き出しの土地がプカプカと浮いている。
 不気味さよりも好奇心が勝った。この小瓶をもう少し置いておこうと、そう思った。

 次の日から、小さな島は成長をしていった。緑が生え、木々が育ち、小鳥の囀りが微かだが聞こえるようになった。瓶の蓋は開かず、中身を直接みることができない。
 どうにか瓶の中身が成長しているのかを見てやろうと思い、一晩中観察をしようとしたこともあった。けれど、気づくと眠ってしまうのだ。私にその謎を見せてはくれないらしい。
 親には見られたくないので、瓶のことは黙っている。学生時代は部屋に入るなと言っても入ってきていた親だったが、社会人になって何か変わったのか。部屋にも入って来なくなった、見つかる可能性も少ないだろう。
 そんな中、小島に新しい変化が起きた。
「人がいる……」
 そこには、人の形をした複数の生き物がいるのだ。私が目の前にいても、何も気にしていない様子で生活をしている。原始人よりは、もう少しはっきりと人間の形をしていた。知能もあるようで、中で火を起こしているのが見える。
 この島は一体どこまで成長するのだろう。私は、ワクワクが止まらなくなっていた。仕事の日も、毎日この瓶を観察した。

 ふと、いつものように眺めていると、携帯電話が鳴った。職場からだ。休日なのに、なんで。
 内容は他愛もないものだった。休日に連絡をしてくるなんて、ロクな会社じゃない、わかってはいるのだ。でも、私は会社をやめる踏ん切りがつかない。
 私は、正直言って自分で何かを決めることができない。自分の気持ちや想いが、何かわからなくなってしまうのだ。
 だから周りに「こうすれば良いじゃん」と言われても、「でも」「だって」と言ってしまう。そんな自分が、嫌で仕方がない。

 今付き合っている彼氏だって、本当は距離を置いて一人になりたい。でも、自分で結論を下すことができない。浮気をされたとか、暴力をふるわれたわけでもない。けれど、ただ漠然とした不安を抱く中、この人と関係を続けていく意味があるのだろうか。そう考え始めると止まらなくなってしまった。自分が家を出られないこと、資格を取ろうと思って買ったテキストがなんの役にも立っていないことを考え始めると、自分の不甲斐なさが嫌になる。

 そこで考えすぎてしまうこと、それが自分にとっては良くないことなのだ。明らかに燃え終わったろうそくを片付けずに、「まだカスは残ってる。燃えるかもしれない」と言って放置している。そんな感覚に似ている気がした。
 めんどくさい女だ、と思う。
 結論を先延ばしにしてしまって、結局後悔するのは自分なのに。

 そんなことをグルグルと考えながら、ふと瓶に目をやるとギョッとした。島から煙が立っている。
 火事だ。島の住人が起こした火が木々に燃え移っている。住人たちは慌てふためき、水を運ぼうとしているが、運ぶための器がなく手で水をどうにかしようとしている。
 私はふと我に帰り、このままだとこの瓶も火事によって割れてしまうのではないか。瓶の中の火事をどうにかしなくては、そう思い、蓋に手をかけた。
 開かない。そうしているうちにも、木々は燃え続け、聞こえない悲鳴がこの中で鳴り響いているに違いないのだ。

 焦ってスマホの検索画面を開き、「瓶、開かない」で検索をかけて、お湯が有効であることを見つけた。
 お湯を今から沸かす?そんな時間本当にあるのか。無理だ。間に合わない。どうしよう。瓶が割れたら、この家も火事になってしまうかもしれない。外に投げて爆発でもしたら、もっと大騒ぎになる。
 こんな時ですら、私は自分で判断することができないのだ。情けなくて涙が出てきそうになる。 
 そんな時、ふと母親が「今日は朝風呂の気分」と言って風呂を沸かしていたことを思い出す。1時間前のことだ。

 私は2階の自分の部屋から飛び出し、浴室に駆け込んだ。そこには、今沸きましたと言わんばかりのお湯が張られている。温度は42度。熱いお風呂に短めに入ることが健康の秘訣と言っていた父の顔がよぎる。

 私は瓶を勢いよくお湯の中に突っ込んだ。このまま瓶が割れてしまったらどうしよう、私の腕もだめになるかもしれない。そう思いながら、蓋に力をこめた。
 蓋は難なく開いた。そして、私の明け方が下手くそだったのか。瓶の中には水が憩いよく流れ込んだ。
 あ、と思った時には遅く、瓶の中は水でいっぱいになった。
 焦ってすぐに引き上げたが、瓶の中に島はなくなっていた。風呂場の中を覗いたが、島だった物の形跡もない。

 夢でも見ていたんだろうか。けれど、確かに島はそこにあったはずなのだ。私は呆然と風呂場に座り込んでいた。
「あんた何してんの」という母親の声が風呂場に鳴り響いたとき、私はふと「私、引っ越すわ」と伝えた。
 あの時の母親の困惑した顔は、今思い出しても、少し面白い。

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