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打牌を議論されることはプロにとって不幸か?

■麻雀プロとは

麻雀のプロとは何だろうか。

言葉の定義としては、「プロ団体の試験に受かり、プロ団体に所属する者」とされるだろうが、実際に”プロ”と自他に認められるメンタリティや姿勢といったものはあるだろうか。

もちろん、とりあえず「プロ」という肩書が欲しいから試験受けた、みたいな人や、働いている雀荘の時給が「プロ」になるだけで数百円増えるから、というような理由で「プロ」として活動している人も少なからずいると思う。これはこれでその人にメリットがあるのだから、別に否定することでもない。

しかしながら、「プロ団体」に入って晴れてプロになったということは、”競技”としての麻雀を定期的に打つ機会/権利を得て、一つでも上のリーグを目指してリーグ戦を打ったり、タイトル獲得のために大会に出る訳で、大勢は己の力を多少なりとも研鑽することを目的としていると言って過言ではないと思う。(大半の人は自らの懐を痛めてプロをやっている訳だし)

私はそんなプロ雀士を尊敬しているし、プロ雀士たるもの「今よりもっと麻雀が強くなりたい」という気持ちを常に持ち続けていてほしいとも思う。

そして、そんなプロたちが目指す一つのところでもある、麻雀という個人競技においてチーム戦で賞金争いを行うのがMリーグであり、またこれも麻雀の裾野を広げるために貢献している麻雀の1コンテンツである。

Mリーグはなまじ注目度が高いため、シーズンが始まると、途端にそれぞれの麻雀ファンの意見が飛び交う。

その中には、純粋に応援チームの勝敗を喜び悲しむものに留まらず、「この選手のこの打牌は巧手である」といった選手を称えるものから、「あの選手のあの打牌は間違っている」「なぜあんな試合運びをしたのか」などといった選手の打牌/試合内容を批判するものまでが入り混じっている。

あれだけの注目の中、局中の一手一手までもが終始注目されているプレッシャーは、見ている者からは到底計り知れないものである。


■Mリーグは娯楽か?競技か?

Mリーグは”競技麻雀”なのだろうか。もしくは"娯楽(エンタメ)としての麻雀"なのだろうか。

理念からは「頭脳スポーツ」とのみ書かれて、競技娯楽の観点からは読み取り辛いが、個人的には、競技であると認識している。(スポーツの時点で勝敗を競うものであるから競技と言われればそうなのだが)

エンタメ、あるいはエキシビションマッチとしてMリーグの1試合1試合が行われているのであれば、極端な話、「1000点ダマ出和了OKの条件の時に役あり聴牌を外してタンピン三色の手を作る」ことも間違いではないし、非難されるいわれもない。

しかしながら、競技であるという意識があるのであれば、「勝ちに真っすぐ向かうにあたり、通常不自然な打牌や選択」に関しては、プロとして見ている人からの批評に晒されるべきだと思っている。

批評…物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること


■打牌批評は人格否定にあたるか?

では、果たして「打牌の批評」は「その人が積み上げてきたものを否定する=人格否定」に繋がるのであろうか。

#ここで言う批評・批判というのはひとえに「非難」のことであると補足しておく。

確かに、打牌というのはある程度の正解がある中で、いろいろな選択があるものであると思う。立体的な盤面からの情報に加えて、人読み、長年やってきた感覚など、いろんなものがその人をその打牌にたどり着かせるものであることは全く否定するつもりはない。

しかしながら、プロとしてやっている以上、それが批評の元に晒されるのはおかしくなく、それに対して説明をすることは、マジックのタネを明かすことや、秘伝のレシピを公開するものではなく、プロとしていままでやってきた自分の矜持を守るものである。

だからこそ、麻雀プロは打牌に関して見ている人から批評されることをいとわないで欲しい。

「俺の選択に文句言うな!反対意見は誹謗中傷!うんち💩」とか思わないで、色々考えて、それでも「表面では見えない意図がある」と思うなら、ぜひ説明してほしい。あなたのプロとしての矜持を守って欲しい。個人的な意見だが、強い人ほどそういった批評や意見を受け入れることができると思っている。

人格否定の話に戻ると、例えばマジシャンがマジックをした際に、それがどんなタネであろうとも、マジックとして成立しないようなもの、程度の低いものであれば、「それはただのパフォーマンスであってマジックじゃないだろう」「マジックと言うのであればXXにならないとダメだろう」といった批評は、マジシャンの人格を否定するものだろうか?

もちろん、ファン心理としては、自分の応援している選手が非難されていることは心苦しいと思う。でも決して打牌について議論することはその人そのものを否定するものではない。


■打牌批評は打牌批評の域を出るべきではない

しかしながら、行き過ぎた非難というものはこれに付随して存在する。

打牌批判は活発に行われてしかるべきだが、それが人格否定になってはいけない。そこは切り離して考えるべき。

打牌批判はあくまでも打牌についてのみの検討・批評であって欲しいと、麻雀の1ファンとしては切に願っています。


■楽しみ方は人それぞれ

グダグダと述べてきたものの、私個人としては、Mリーグ(麻雀)の楽しみ方なんて人それぞれなんだから、応援している選手が勝つ/負ける、和了する/振り込む、などに一喜一憂するファンも、打牌を批評して楽しむファンも、それぞれ自分の楽しみ方をすればいい。

良くも悪くも、見るものの取捨選択をすることはできるんだから、ファンやめる、なんて言わずに好きに楽しんで欲しいと思いました。ちゃんちゃん。


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