元リャンメン信者が語る「リャンメン教」

こんにちはMahjong Academy Channelの新谷です。今回のお話はフィクションです。登場する団体等は架空のものとなっております。

「リャンメン教」入信

僕は麻雀を覚えてからフリー麻雀のお店で働き終わる頃までカンチャンやペンチャン、シャンポン、単騎などの「愚形」と言われるものではリーチが出来ませんでした。(ひっかけならリーチしてましたが)リャンメンが正義でそれ以外は悪という教えに完全に支配されていました。俗に言う「リャンメン教の教え」を信仰していたのです。

それでもある程度の成績を残せていたのは、今考えるとリャンメンにすることを意識して先制リーチを打ち、オリる時にはベタオリをしていたので極端にラスが少なかったからだと思います。

このリャンメン信仰を進めていくと他人の愚形あがりを見下したり攻撃的な言葉をするようになります。「何だカンチャンか」とか「こっちはリャンメンなのに」などと言い出したらその人は立派なリャンメン信者です。斯く言う私も信者だった一人です。自分はリャンメンなのに相手の単騎にリーチで負けたりするとカッカしてしまい、その後の麻雀が蛋白になり負けを重ねることになり、世の中の愚形が憎いとすら思うこともありました。

リャンメン信者からの脱却

リャンメン待ちの良さは枚数の多さを比較すれば当然、カンチャンやシャンポンよりも上になりますが全てのカンチャンリーチが弱いのかというと、そう言う訳ではありません。先制愚形の手はリーチ込み5200点未満はリーチした方が得をすると麻雀の統計学(みーにんさん著書より)から結果が出ています。

1・4のリャンメン待ちと、4のカンチャン待ちがリーチ合戦をした場合、勝ち負けが待ち牌の枚数通りに2倍の差はつきません。正確な数字は忘れましたが約1.3倍程度のあがり差だったと記憶しています。(現在ソースを探しています)

もっと高度な話になると山読みでどのターツが待ちやすい(山に残っているのか)かを探ったり、捨て牌の枚数からワンチャンスのカンチャン・ペンチャンを狙ったりとリャンメンよりも愚形の方があがりやすいケースも多々あります。

麻雀を学び、様々な思考のバリエーションが増えたことによりリャンメンにも良し悪しがあり、また愚形でもリーチする場面やしない場面があることそれらを使い分けることが大切だと思えるようになりました。ここで僕のリャンメン信仰は幕を閉じ、無事にリャンメン教から脱出することができました。

リャンメン信仰の弊害

リャンメン教を信仰していると良いこともあります。当然ですがリャンメンでしか基本的にリーチをしないので、リーチのあがり率(リーチ成功率)が上がり、ピンフ役が絡みやすいので打点も上がります。しかしカンチャンやシャンポンがリャンメンに手変わりするのを待つので、その間に先制リーチを打たれてオリに回されたりする機会は多くなります。

しかし、最大の弊害はリャンメン信者の多くは相手が愚形の時に捨て牌から待ちが読めないと信じているところです。愚形にはリャンメンと同じくその形になるまでのプロセスがあります。その待ちになるまでの過程を考えるとリャンメンのスジを考えるのと同じく、愚形待ち(特にカンチャン)を想定してその牌が危険牌と判断することができる読みが働きます。

スジを読んだらカンチャンやシャンポンで放銃してしまうことは山のようにあります。しかしそれは相手の待ちがリャンメンと勝手に仮定して他の待ちを想定していないからに他なりません。

リャンメン教の信者はこのように言います。

「カンチャン待ちは読めない」

いいえ、違います。それはあなたが盲目的に信じているからです。

何を?

「リャンメンこそ正義」だと。

麻雀はあがった人が偉く、最終的に点棒を多く持っている人が勝ちです。勝った人が正義なのです。

リャンメン待ちでリーチをする事はあくまでも勝つための手段であり、目的ではないのです。勝つために色々な技を試し色々なことを考える。愚形リーチもリャンメンリーチもその手段の一つであります。

麻雀新興勢力「期待値教」現る

元リャンメン信者の私は恐れています。最近麻雀界隈を賑わせている新興勢力があることを。その名も「期待値教」(きたいちきょう)

この新たな教えの信者は期待値なるものを振りかざし現代の麻雀界を席巻している。新たな勢力の台頭に飲み込まれないよう「期待値教」の調査をしたいと思います。

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