荒正義のことを考えていたら…

麻雀の打ち手には尊敬する人物が多くいるがその一人が荒正義である。
麻雀ではそりゃぁ、幾多のタイトルを取っている。歩くスーパースターである。しかし、それよりも彼の生き方を尊敬する。
同期といいながらも荒正義という人物とはそんなに話したことがなく、同じ場所にいるということほとんどなかった。しかし、彼のブログや連盟のコラムで荒正義の記事はかなり目を通している。文章には彼の生き様や性格が垣間見える。彼の生活感、生き方が見えるのだ。
性格的にはとてもシャイなのだろうと思う。自分を褒めないし、多くを語らない。彼のブログを見ていると彼自身の性格が滲み出ているように思う。
一方で近い人間のことをおもしろおかしく書いて、その人をクローズアップする。とても温かみがあって嬉しくなる。

文章を読むといえば、前原雄大が対照的だなと思う。
彼は実はもう無くなってしまった麻雀雑誌に数ヶ月ほど、小説を書いていたのを読んでいた記憶がある。目上の目線になってしまうかもしれないが、彼の小説はとても緻密な構成力と文章の骨格がまた素晴らしい。彼の人生観と見えてくる。とても骨太の文章を感じた。
小説といえば、最近の趣味は小説を読むことである。前原に勧めてもらった小説家の作品もいくつも読ませてもらっている。誰を勧めてもらったかは…私に出会った人だけにこっそりと教えてあげよう。
彼の文章力を考えた時に小説家も兼業すればいいのに…と思ったのにならなかった。
なぜならなかったのか…と言いたくなったのだが、前原と私の性格に思い当たる節があるので聞いていないのである。というのも麻雀打ちには共通したものがあるのだ。

それは何かというと私を含めて麻雀プロは怠け者が多い。
社会的な仕組みの組織の中には絶対入れないし、入らない。みんなが一匹狼。
群れているととても息苦しくてみんな、巣の中に帰っていく。1人が心地よい集まりなのである。
そういえば、灘さんがタイトル戦の時に言っていた。
「ふるちゃん、ついていると優勝する。つかなきゃあきらめな」というような言葉であった。とても含蓄がある。多くの人生の歩みの中でとても達観した発言。この域にはまだなれない自分がいる。

話を戻そう。そもそも人間って、自分の好きなことは例えばお金が少ないギャラでもいくらでも我慢してやっていける。お金を多く持ったということはないが、沢山のお金がもらえるからといって自分のしたくない事はしない。魂を売ってまで、自分の有り様を消すようなことはしたくない。そんな集まりが…少なくとも私たちの世代では…麻雀プロかなと思う。
かくいう私も、麻雀からかけ離れた仕事を2回ほどしたが、やはりその仕事は続かなかった。魂を売ってまでと…と思ったのだが、全然売っていなかったのである。
 朝決まった時間に来て、昼も働き、夜は必死に残業…。締切のある仕事だったときには日が明けるまでその仕事に取り掛からなくてはいけない。我々の世代では仕事というものに時間やその他全てを取られてしまう。
 そうすると宮仕えをしているような感じになってしまう。自分が自分として存在できずに殺されてしまう。そういう人生を歩んだ方々もいて素晴らしいと思うが、私の中ではもっと自分が存在したいと願っていて、無駄な時間だったな…と思ってしまうのである。お金はあるに越したことはないのだが、「ただ生きているだけ」という時であったと思っている。

そういうことで我々の世代では年金を基本に慎ましい生活を送っているということになるだが、麻雀で食べると心がけた以上、年金は微々たるもので今でも働かなくてはいけない。生活の基盤としても、麻雀のプロ活動を続けているのである。

私のメインの仕事は健康麻雀の講師である。
名古屋で健康麻雀の輪を作ろうと奔走している。ノーレートの麻雀や競技麻雀の輪も広げていきたい。
 名古屋のノーレートの麻雀は芽が出てきたところ…競技麻雀でプロとアマチュアが交流出来る場所を連盟の中部本部の皆さん、他団体の方も作ってくれたのは嬉しいものである。
 次に、私は名古屋に住んでいる今シニアの方、あるいは将来シニアになったときに気軽に来ることができる場所づくりをしたいと思っている。その場所には麻雀があればいいが、麻雀を通じたコミュニティづくり、人の集まりができればいいと思っている。
それは遠い道のりである。とはいえ、好きだから労苦はいとわない。

ただ、健康麻雀という輪を私では広げらないことにモヤモヤとしていることも…。
なので、名古屋に住んでいる皆さんに手伝っていただきたい。力を貸していただける方がいましたら、noteやtwitterなどで連絡をとってください。
私と一緒に理想を語り、それが現実化するようなことを相談できる人を募集しています。

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