古川孝次の私小説(6)

私の青春は誰よりも濃厚な時間とエネルギーに満ちていた。
本当である。
やんちゃな青春時代、それこそ人もうらやむ様な青春の恋もあった。結局、初恋は実らなかったのが苦い思い出である。

つい最近、私の友人にある喫茶店でバッタリと会った。
彼はコロナ5回感染、脳梗塞3回と病歴を自慢していた。この歳になるとドッカコッカ部品が壊れてしまう。オーバーホールしたり、部品交換ありで生きながらえるしかない。

部品交換で思い出したのが、交通事故のことである。10回は超えている。もう終わったと思った時も実はあったのだが、今の今まで生きている。死ぬ前には走馬灯が見えるというが、そういう経験はない。死ぬ前はそうなるのかな…と思う。

彼とは高校の同窓会と称して、1年に1回会っていた。それぞれ病気自慢を披露したり、昔は良かったと回想したりした。最近の若いものは…もあった。話は後ろ向きなものばかりで辟易して私が1人抜けたと言って、行かなくなった。

話題は前向きの方がいい。

随分前のことであるが、私の初恋のお姉さん。(あのお姉さんなので近寄りがたいのであるが)連絡が取れた。
「あの子はどうしている?」
とそれとなく聞いてみた。お姉さんがいうには、昔の友人たちと誰とも会いたくないから携帯の電話番号を全て消去したという。
相手が連絡が取れないのならと思い出して電話をかけてみたら、彼女が出てくれた。

あぁ、そうそう。こんな乾いた声の女の子だったな…と思い出す。

彼女は以前の友達関係を消去したことをお姉さん同様に話をして、長女の家で孫2人一緒に暮らしてとても幸せだと話をした。

「また会おうか?」

と冗談で言ったのなら
「もうそんな気はさらさらないからロッパ、元気でね!」
と言って、電話を切られた。

10年前か20年前、何かのきっかけであったのを思い出している。初恋のイメージが残っていて、おばあちゃんが出てきたのは驚いた。あっちもジジイがいると思っただろう。

初恋のあの子は結婚をうまく進めたのだと思うが、私は向いてない。

私の仕事は夜がメイン。子供達は昼に動く。
嫁は4人いる私たちの子供をきちんと育ててくれた。私は家のことは一切できなかった。子供達はかなり危ない橋を渡りそうになり、嫁は真剣勝負を子供たちとやっていた。悪びれたり、親に反抗するのは麻疹みたいなものだ。1度はあるが2度目はない。いい先生や学校がいたのだとも思っている。

嫁には感謝である。

そして、子供たちが自立した頃、嫁は離婚届を私に出してきた。
前から言われたことであった。相手は準備をしていたようだ。私はその離婚届にハンコを押して、1人家を出た。

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