選ばれし人

皆さんが麻雀をやろうとしたきっかけはなんだろうか?
最近だと、メディアに麻雀が出てきて
「Mリーガーに憧れて、実際に牌を触ってみたい」とか
「ネット配信をしている人が麻雀をしているので挑戦してみた」
という人も多いだろう。

一方で友人から「麻雀って面白そうだから一緒にやろう」という人もいるだろう。
ひどい場合だと「麻雀やるのにメンツがたらないから入れ」という人もいる。

色々なパターンで麻雀に挑戦してくれる人が増えたのはとてもいい時代になったなと思う。

このようにして仲間ができるパターンは色々あるだろう。私達の時代の場合は専ら後者にあたる。麻雀は運の要素が多いゲームではあるが、続けていくうちに次第に「どうもこいつが強いらしい」という雰囲気ができてくると段々「こいつ」とは麻雀をやりたくなくなってきて、麻雀グループがなくなるか、時として意地悪なグループの場合は「こいつ」を呼ばなくなるということもある。

麻雀店というのは上手く出来ていて、色々な仲間から呼ばれなくなってしまった「こいつ」達を集めることを考える。いわゆるフリー店である。「こいつ」達はそれぞれの仲間で作ってきた自分の雀風というのがあるので他流試合ということになってくる。
で、さらにそこでも「どうもこいつは強いらしい」という新たな「こいつ」が出てくる。ここまでくると「こいつのこいつ」レベルは相当なもの。やっぱりそういう人と同卓するということになると嫌がられる。じゃあ、そういう人たちはプロになるかというと、少なくとも名古屋ではそういうことはなかった。フリー店のお客様の中ですごく強くて一目置かれていた。
じゃあ、彼らが何をしていたかというと普通に仕事をしていて、暇つぶしに麻雀店にやってくる。
私はそういう人達を沢山みてきた。そういう人は「勝つ」ということを1番にしているので、こだわりがない。泥臭く勝つ。一方で、フリー店までくるような人たちは腕に自信があるワケだから、自分たちの勝ち方、うち筋にプライドがあり、さらにそこに負けた時の妬みみたいなものがあって、そういう「勝つ」ことだけにこだわる人を嫌っていたように思う。
スマートに勝って、帰っていくお客様は好かれていたが、そういう人は一握りしかいない。私はそういう人と一緒に麻雀を打っていただき、終わってから飲みに行ったり、お食事をご馳走になっていた。

今日はそのスマートに勝つ人の一人のエピソードを語りたいと思う。

その人とも食事にいったりして、話をしているうちに身の上を語ってくれた。彼は実業家、つまり社長さんということだ。麻雀に対しても一家言を話してくれた。また彼の人生の何やらというものを教えてくれた。
(一家言とはその人が自分の経験や考えに基づき作り出した言葉や理にかなったこと、と言えばいいだろう)
やはりその人も実業をメインにし、暇つぶしに麻雀を楽しんでいたが、本当にスマートな人だった。その人の麻雀のスマートさは元々の個性であったのだろう。彼は品が良かった。元々の育ちがいいのか、学校や社会で勉強してきた結果に生まれたのか、実業家としての経験がそうさせたのかわからない。しかし、彼からは随分と勉強させてもらった。私たちが麻雀をしていて、負けると揚げ足を取ったり、嫌みなことを言ってくる人がいると
「こんな人はボンズラが悪い」
の一言で片付けられていた。

このnoteを書いている人に「ボンズラ」という言葉が分からないということなので、補足しておく。ボンズラという言葉は今では使われなくなった言葉である。
ボンというのは盆のこと。時代劇でよく見かける賭博場のことだ。
ズラは面、表情のことをいう。
つまり、ボンズラ(=盆面)というのは賭博場で見せる表情、仕草のことをいう。
ボンズラが悪いというのは極端な例だと賭博場で、賭博場を取り仕切っている人に刀を突きつけて負けた金を取り戻そうとしたり、負けた腹いせにその場で喧嘩を起こしたりしてうやむやにしたりということだ。
そこまでしないにせよ、負けた時に露骨に悔しそうな顔をしたり、恨みを持ったような表情で賭博場を取り仕切っている人を見たりするというのはボンズラが悪いということになる。
つまり、彼が「ボンズラ」という言葉を使うということはその辺の言葉をしっかり知っている知識人と言えばいいだろう。
ちなみにボンクラという言葉の盆も同じ意味で、賭博の結果をうまく裁定できないことがその言葉の元々の意味なのだという。

閑話休題。
その実業家の人が私によく言ってもらった言葉がある。

「古川さんは選ばれた人だから」といい、これからも頑張ってねというのだ。

私はその言葉の意味がわからなく、当時は理解できなかった。
そして、その言葉を他の機会に聞いたことがあった。私なりに解釈すると…
「ある分野で常人より秀でた人」ということで使われる言葉のよう。

しかし、私の麻雀での悩み、邪道の道を歩むサーフィン打法のことを考えたり、あるいは日常生活のことを考えると「選ばれた人」という称号をうけるには当てはまらないように思います。

読者の皆さんは「選ばれた人」というと誰が思いつきますか?
「古川孝次だ」と言ってくれるのなら嬉しいものであるが、居心地の悪さも感じるものである。

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