猫目探偵鯖虎キ次郎の冒険「鋼の嘴」8
□鯖虎探偵の誕生
鯖虎キ次郎が、池袋西口商店街に探偵事務所を開いたのは10年ほど前。トレードマークは、縦に細長い瞳。相棒は愛猫とめきちと、助手の針筵だ。
豊島区を中心にこれまで数々の難事件を解決し、天才探偵の名をほしいままにしている。警視庁瑣末警部とコンビを組んでの仕事も多い。
探偵、鯖虎キ次郎は、練馬の神社で育った。
父親は、練馬に古くからあった神社の神主、鯖虎英二。母親はわからない。生後三ヶ月ほどで、英二の神社の境内に置き去りにされていたのだ。英二は、幼い子供を抱き上げ、すぐに鯖虎の眼が縦に長いことに気づいた。
実はこの神社、別名虎猫神社と呼ばれ、代々、虎猫が棲みついていた。なぜか入れ替わり、立ちかわり、虎猫が境内に入り込んできては、まるで主のように賽銭箱の上に陣取って眠っているのだった。神主は、捨て子の猫のような細長い瞳に何か不思議な因縁を感じて、その子供を神社で引き取ることにした。 子供には気滋郎と名づけ、男で一つで育てた。
気滋郎は、無口で目立たない少年だった。猫目を気にして、いつも眼帯をつけ、伏し目がちに歩く子供だった。よちよち歩きの頃から妙に勘が働く子供で、客の到着を数分前から察し、玄関で待ち受けていることもあった。
地元の高校から目白にある大学の工学部に入学し、航空工学を学んでいた。しかし、二十歳になるころ、突然失踪してしまった。ある日、ゼミの帰りにふらりと路面電車に飛びのったきり、姿が見えなくなったのだ。英二はすぐに捜索願を出したが、見つかることはなかった。不思議なことに、気滋郎の失踪とともに、神社の虎猫も姿を消してしまった。
それから彼がどうしていたのかは誰にもわからない。
船乗りになって世界中を放浪していたという噂も、信濃の山中で山伏として暮らしていた、という噂も、どこかヨーロッパの工学研究所で研究生活を送っていた、という噂もあったが、しかし、よくよく聞いてみるとどれも根拠は曖昧だった。後に、海外での体験をぽつりぽつりと漏らすことがあり、外国で過ごしていたのは間違いなさそうだった。
育ての父の神主は、その後免疫系の疾患で亡くなった。主のいなくなった神社はすぐに荒れ果て、やがて取り壊されて駐車場になった。
失踪から十数年がたち、気滋郎はふらりと池袋に現れた。英国風のスーツに身を固めた気滋郎の名は、なぜか「キ次郎」になっていた。ひと月ほどして、池袋西口商店街のビルの一室に「鯖虎探偵社」の看板が掲げられた。近所の人の話によると、探偵助手の針筵慎太郎がこの街にやってきて、バー・ボブテールを開いたのもこの頃だという。もしかしたら、このふたりは、長年行動を共にしていたのかもしれない。
鯖虎探偵の日課は、探偵社のドアの前にならべた猫の食器洗いからはじまる。
洗い終わってきれいに並べた食器に、キャットフードを一摑みずつ入れる。するとどこからともなく近所の野良猫たちが集まってくる。一匹ずつ背中をギュウとしごいて健康状態を確かめる。異常のないことを確認すると、事務所に入ってとめきちのトイレの掃除をする。
全長70センチのとめきちのうんちは、とても大きい。長さ10センチはあるものを極太の菜箸で拾い上げ、匂いを嗅いで体調を推理し、その日のキャットフードを決める。
探偵のデスクには、依頼人がプレゼントしてくれた小さな、黒い招き猫が飾ってあった。招き猫は左手を上げている。左手はお金ではなく人を招くという。この猫が招いたのか、鯖虎探偵の周囲には、個性的な友人たちが集まってくる。
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