猫目探偵鯖虎キ次郎の冒険「鋼の嘴」13

□怪物の復活

 板橋税務署裏の円錐形タワーからは、ますます黒いガスが発散されて、あたりを暗くしている。ガスばかりではない、何かあやしい妖気のようなものまで漂いでているようなのだ。
 工場の煙突という煙突に、スレートの屋根という屋根に、トタンの塀という塀に、黒光りする無数の烏がとまってじっと何かが起こるのを待っている。

 榊原文太の、レグホン培養作戦は順調だった。床に並べられた瓶の中では、無数の鶏の頭が育っていた。ガラス瓶のひとつひとつからは、細いダクトが伸びていて、部屋の隅の小規模なプラントへ接続されている。プラントの目立つ位置に手製の看板がぶら下がっていた。そこには「鋼の嘴プロセス」の文字が読めた。
 培養した鶏の嘴をより強くするために、文太はある特殊な工程を開発していたのだ。特殊な二種類のガスを、新開発の触媒を使って反応させ、培養液に送り込む。するとその作用で嘴の微細構造がハニカム状になり、強度が数十倍になるのだ。その工程の最終生成物が、亜硫酸ガスだった。文太はそれをそのまま煙突から垂れ流していた。それが大山の街を覆う亜硫酸ガスの正体だったのだ。

 タワーの地下室で、文太がカップ酒を手に誰かと話しをしていた。
 文太に向かいあって、等身大の木箱が壁にたてかけられていた。箱の鎖は解かれ、棺桶のように前面が開いている。
 箱の中に収まったその会話の相手は、異様な生き物だった。ピカピカ光る真新しい金属でできたロボットの体に、大きなにわとりの頭が乗っかっている。白色レグホンロボットだ。
 その頭は紛れもなく、鯖虎探偵がマドリードで戦った殺人鬼、オ・ラ・レグホンだった。

 文太が、ちょっと心配そうな声で言った。

「本当に大丈夫なんだよな、俺の復讐は」

 レグホンロボットは人工声帯からガラガラと耳障りな音を発した。

「心配するな。俺の言うとおりやればお前の復讐は成功する」
「ところで、こないだ、あんたが殺ったあの男と女は誰なんだ?」
「ははは、さぁ、誰だったかな。よく憶えていない。ひょっとしたら、妻と息子だったかもしれんな。しかし、そんな事はもうどうでもいい。俺のくちばしの力がまだ失われていないことを確認したかっただけだ。それより、急げ。早く体制を整えろ」
「レグホン軍の蜂起」
「そうだ、レグホン軍だ。俺の分身が隊を成して進撃するんだ。そして破壊する。街と人々の幸せをな」
「俺の復讐……」
「そうだ.。"俺とお前の復讐"だ…世界が憎い…」

 レグホンは頭の中で言葉の続きを思った。私は3人目の犠牲者が欲しい……鯖虎キ次郎、お前の命はもう風前の灯火だ。

 3年ほど前、精密機械加工を極めた文太は、新しい、刺激的な技術を求めて、生物機構に興味を持ち始めた。
 そして、独学で学べば学ぶほど、ナノスケールのタンパク質部品が作り出す精巧なシステムの魅力に囚われていった。
 インターネットで手頃な強い細胞株を探していた文太に、あるスペインのディーラーが販売しているキットが目にとまった。まぎれもない人体の細胞だが、魅力的なオプションがついていたのだ。口に鋼鉄のくちばしを持った人体。
 文太の頭の中で、すぐにアイディアが形になっていった。そいつを手に入れ、現在開発中の二足歩行ロボットと合体させ、復讐を成し遂げたい。アイディアだけを盗んでいくあいつらに、毎年毎年値段を下げてくるあいつらに、俺の腕を尊敬しないあいつらに。池袋を火の海にして思い知らせてやる。

 文太はその細胞を購入し、培養をはじめた。
 そして、その最初の一つがこの目の前にいる怪物、レグホンロボットになった。
 怪物を前に、文太は切り出した。

「レグホン、あんたの軍団には、もう一つシステムが必要だ」
「なんだ?」
「それは……」
「なんだ、それは?」
「それは、飛翔システム」
「飛翔システム?はっはっは、傑作だ。もとの俺にさえ出来なかった、空飛ぶ力をくれるのか?お前は天才だ。文太、天才だよ、早く、早く作ってくれ、俺は空を飛びたい、あの邪悪な烏どものようにな」
「災いは、空から降ってきたほうがかっこいいです」

 文太のこんもりした鼻がひくひく動いた。

 そもそも、製造業はきびしい状態が続いています。仕事も安いです。しかし一番堪えるのは、世間の尊敬がこれっぽっちも得られないということです。この眼で、この手でミクロン単位の精度をたたき出す、この俺の技術を誰も認めようとしないです。世の中にあって当たり前の歯車をつくる、油まみれのおっちゃん、それが俺です。俺たちがいなかったら、原発から放射能が漏れだし、電車は脱線し、湯沸かしひとつまともに動きはしないのに。もうたくさんです。俺の技術をすべてつぎ込んで復讐してやります。俺の技術の前に、世間をひれ伏させてやるんです。イッツ・ショータイムだどー。


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