猫目探偵鯖虎キ次郎の冒険「鋼の嘴」11

□薄茶色の子猫

 北池袋の獣医、カズ動物病院の入り口で針筵が所在なさげにたたずんでいた。ポケットからつまらなそうにラークマイルドを取り出して火を付けた。
 鯖虎と針筵は、税務署前で救出された子猫を獣医につれてきたのだった。
 針筵は獣医も含め病院というものと相性が悪い。さきほども鯖虎と子猫を受付で中に送り込むと、じゃ、まってますんで、と言い残してそうそうに出てきたのだった。

 診察室ではうす茶色の子猫が虫の息だった。
 つきそう鯖虎の瞳はいつもより丸い。
 その傍らで金髪モヒカン頭の獣医師がものすごい勢いで仕事をしている。

「あー、シュビっときて、ビシってね」
「だめかな」
「いやー、そうとも……」
「やっぱり、何かの中毒か?」
「んー、こりゃ~……」

 モヒカンをつっぱらかした若い獣医師の手は、そのトンマな受け答えとは裏腹に、超人的なスピードで点滴の準備をし、適切な薬品を選んでいく。
 繊細な指先でチューブを伸ばし、点滴の針を子猫の腕にそっと刺してから、うーんとうなった。

「うーんって、どうなんだ?」
「うーん、生きてますね、とりあえず、こりゃ」
「みりゃわかるよ」
「それがそうでもないんすよ。見た目生きてるっていっても、命があと1ミリだったら死んでるのとおんなじっすから」
「なんだ、それは」
「でもこれ、10センチはあるから、なんとかすなるかもっす」
「たのむ」

 この医師は命の長さをセンチとミリでいうのでわかりやすい。

「明日のあさ15センチになってたら大丈夫っすから」

 子猫をモヒカン獣医に託した鯖虎と針筵は、池袋西口商店街を歩いていた。

 そろそろ日が暮れかけている。
 西日を顔の片側に受けながら煤けた暖簾をくぐる。
 やきとん「串八」のカウンターの向こうから、いい匂いと湿った煙がただよってきた。かまどの上で新鮮なレバーが踊っている。ふと見るとカウンターに見知った顔があった。

「よ、ともちゃん」
「あ、先生、マスター」
「晩ご飯?」
「うん、今日お店休みだし、たまには肉くうぞ!ってわけでして」
「うちの店には、カシューナッツとキスチョコしかないからね」

 鯖虎はふっと笑った。

「マスター、ホッピー」
「ふたつ」
「あたし、子袋、タレでね」
「あと、串もり塩でふたつ」

 この店のカウンターに並ぶ12個の椅子の最後の3つには、それぞれ年老いた雌猫が1匹づつ陣取っている。
 3匹とも尻尾の無いさび猫だ。ひがな一日それぞれの椅子に丸くなって眠っている。名前を一匹が幸、もう一匹を福、最後を祝と言ったが、まったく同じ顔、同じ錆び色なので、区別のつく者は誰一人としていなかった。この猫たちがいったい何歳なのかも、はっきりわからない。今の60がらみの店主が、25際で婿養子に入ったときには、すでにこの椅子に居たという話だから、それが本当なら大変な高齢だ。3匹のさび猫はいつまで見ていてもまったく動かないが、客の注文の声が聞こえると耳だけがかすかに反応する。この店には伝票がなく、客がそれぞれ自己申告でお金をはらって帰るしくみだが、ごまかす不届き者は一人もいなかった。というのも、客が勘定をごまかすと、この3匹のさび猫がたちまち目を覚まし、音もなく後をつけてくるのだという。どこまでもどこまでも、だまって後をつけてくるらしい。そのうちに食い逃げ野郎は全身がだるくなり、腰が抜けてしまうという。そして運良く回復したとしても口がきけなくなってしまうのだ。

 モヒカン獣医のもとで生死をさまよっている薄茶色の子猫は、もし生きて帰ってきたらともちゃんが引き取ることになった。
 ホッピーとモツ焼きを堪能した三人は、4280円を払って店をあとにした。幸い、猫が眼を覚ますことはなかった。


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