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年間テーマ〈ユーモア〉②

老境とユーモア

島田修三

 短歌の批評や鑑賞の肯定的な用語として、私はユーモアという語をしばしば使う。ことに新聞歌壇の歌評では使うことが多い。どうしてかというと、新聞歌壇はどこもそうかも知れぬが、投稿世代の大多数が老境に達した人たちである。実はこの世代の歌には年齢特有というか、この年齢ならではの独特のおかしみがある。滑稽といってもいいし、おとぼけといってもいいし、剽軽洒脱な味といってもいい。思わず笑ってしまったと評すこともあるのだが、とりあえず、ユーモアで間に合わせておく場合が多い。もちろん、こちらもまちがいなく老境に足を踏みこんでいるから、若い世代より共感共鳴しやすいということもあるかも知れない。
 ユーモア=humour(humor)という語は、人間らしさをいうヒューマン=humanという形容詞と語原が近いようだが、手もとの英英辞典や英和辞典を引いてみると、ヒューマンには神・動物・機械と比較するという前提がついている。つまり本来は、神よりは遥かに劣るものの、動物や機械よりは智慧や思慮や優しさなどに富むというような意味合いがあるらしい。動物や機械よりは優るのはそうだとして、英語でいうヒューマンやユーモアの意味合いには神よりは劣るけれども、という含みもあるのが何やら興味深い。
 これを日本風に平ったくいうと、どんな人間にもどうしようもない欠点があったり、そうでなくとも間の抜けた言動をしてしまうが、日々の生活において思いがけぬ魔がさしたり、病んだり老いたりすれば、本人の意思に反して身辺や心身のあちこちに不具合や不如意が生ずるというようなことになろう。要するに、完璧な神に劣るところのヒューマンとは、人間が人間であることの証しのひとつなのだ。そこに、ある種のおかしみや軽妙な味わいが伴うと、ユーモアとして読者を楽しませることになる。
 そのおかしみや味わいは、ひとえに作者あるいは当事者の意識のありようにかかっていると思われる。端的にいえば、みずからをどれだけ腹を据えて相対化できているかという一点にかかっている。もっとわかりやすくいえば、みずからを他人事のように笑い飛ばせるかどうか、というようなことと考えればいい。これさえあれば、自分のみならず他人を対象にしてもユーモアは生まれて来る。したがって、作歌態度の上で妙に年齢不相応な若い自意識や自負、気取りがあると、ユーモアの実現はとうてい不可能といっていいだろう。新聞投稿歌壇にユーモアあふれる歌が多いのは、たぶん意思的にしろ無意識にしろ、相応の年齢が厄介で鬱陶しい自意識や気取りの類を打ち払っているからだろう。というような能書きは鬱陶しいからここまで。実際、私がどんな歌にユーモアを感じているか、二人の歌人のそれとおぼしき作品を通してつぶさに語っていくことにする。
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 風になびく富士のけぶりにあらねども書痙の文字のなびくめでたさ              
 また小さき故障生じぬ健全に老の径(こみち)を歩みゐるらし
 靴を履く然(さ)にあらずして足の痺れを右と左と靴に入れゆく
      橋本喜典『な忘れそ』

 これはしたり美人女優に見とれゐて服み薬ならぬを飲みてしまへり                  
 こせこせと行く人多しステッキに胸張るわれのよろめく現(うつつ)
 介護ならぬ開悟ベッドに熟睡(うまい)せむ冬ごもりやがて春のうたたね   
        同『行きて帰る』

 いつよりかわが傘なくて覚えなき傘が立ちをり傘立ての中
 美容院の看板の「カット」がカツドンに見えたるわれは元気なるべし                    
 ステッキなど持ちてよろよろとゆくわれかあひるペンギン従へながら                      
        同『聖木立』

 
 橋本喜典、八十歳からおよそ十年にわたる間の作品である。いずれ
もそこはかとなくおかしく、歌によってはおかしさと同時にもの哀し
さも漂う。橋本さんがこんな歌をこさえるようになったんだ、と妙に
感心したのはいつだったろうか。一首目なんかはとにかくおかしい。
もちろん西行の「風になびく富士のけぶりの空に消えてゆくへも知ら
ぬわが思ひかな」(新古今 巻17・一六一三)
を下敷きにしている。
書痙の震えにゆがむ文字でもって、西行の富士の煙を洒落のめしたわけである。震えながら書をしたためる自身を他人事のように面白がる視線が上質のユーモアを生んでいるわけだ。むろん老齢ゆえの不如意の哀感を汲まなければ、一首の全貌は見えて来ない。二首目も病みがちな身を反語的に突き放し、その距離感がユーモアをはらむ。三首目もおかしい。事がらとしてはシリアスなのだが、作者はわが身の苦痛を絶対化しようとはしない。靴と麻痺をいたずらっぽくずらして見せ、健やかな笑いの風を起こす。
 四首目などは、老いてなお消えぬ男の煩悩にみずから苦笑しながら、しかし同時に他人事のように面白がりながら歌って、読者を楽しませてくれる。これはもう短歌による一種のエンターテインメントであろう。五首目以下もほぼ同じテイストを湛える歌。いずれもみずからの相対化に徹している。いくぶん惚けた老境をただリアルに歌っているだけのようにも見えるが、それを歌いとれるのが長年の芸というものなのである。私は壮年期の橋本の颯爽とした姿をよく知っているから、こういう一連を読むと笑ってしまうけれど、痛々しい感も否定できない。しかし、例えば六首目の「開悟ベッドに熟睡(うまい)せむ冬ごもり」といったあたりの深い含蓄のあるおかしみは、晩年の橋本の到達した一境地として長く記憶しておきたい。
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 浜勝(はまかつ)のかつ丼を食ひ出づるときなんたることか妻によろめく
 女性らがますます強くなるときに背丈縮みてわれは処置なし
         竹山広『残響』

 鈴木善幸といふ名を妻が思ひ出しくれて眠りの安らかにくる                           
 死にて納まる場所をも用意せるわれになほ大切な世間体あり
 老害と言はるるはまつたく心外にして当らずといふにもあらず  
 あと三年生きていよといふ言ひ方の何がなんでもといふひびきなし                       
           同『射禱』

 焦げ臭いと言はれし声がスリッパときこゆる耳になりてしまへり                       
 四センチ縮める背丈(たけ)を確認す誰かに言つておくべきことか
 お元気でいいですわねと言はるるにちがひなからむ電話は止そう
           同『遐年』           

 竹山広、七十歳直前から八十代前半の歌から引いた。竹山の、主としてみずからの老いをめぐる、この種のユーモラスな歌も忘れがたい味わいがある。いずれも一読してなんとなくおかしい。クスリと笑ってしまう。橋本喜典と同じく、遥かに神に遥かに劣るところの老いた心身をひとりでおかしがりながら直視し、受容している歌である。そこに質の高いユーモアが生まれる。一首目、「浜勝(はまかつ)のかつ丼」と「妻によろめく」を繋ぐ「なんたることか」の微妙な塩梅がそこはかとなくおかしい。三首目も「鈴木善幸」という冴えない自民党政治家(首相在職当時、「暗愚の帝王」と党内からも揶揄された)の絶妙な固有名詞がトホホ感を誘い、その名の失念による困惑から後の安堵が脱力するようなおかしみを生む。みずからの俗っぽいこの世への執着を開き直ったように歌う四首目、「老害」をめぐる、おとぼけの所感を歌う五首目もおかしい。六首目の「何がなんでもといふひびきなし」という異議申し立ても、ただおかしいとしかいいようがない。七首目の老い衰えた耳の聞き違い「スリッパ」のおかしさは、橋本喜典の読み違え「カツドン」と類似した老人特有の不具合を淡々と歌って、実にもうユーモラスな味を醸しだしている。
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 竹山広は長崎に投下された原爆を爆心地にほど近い場所で被爆、家族にも死者や放射能障害で戦後長く苦しんだ者がおり、生涯にわたって戦争や原爆に対するシリアスな怒りと告発をモチーフとしつづけた歌人でもある。この歌人にユーモアあふれる多くの歌があることは示唆的なことであろう。『二都物語』などを残した英国十九世紀の作家、チャールズ・ディケンズだったと思うが、仔細に観察していくと、どんなに重苦しい現実からも滑稽なものが見えてくる、というような文学的コメントを残している。
 まさにディケンズはそういう小説を書き残しているが、私はこのコメントに頷くものである。竹山広はリアリズムを基調とした地味な作歌活動を晩年までつづけたが、そこで培った深い観察や描写の力が、上掲作品のような良質のユーモアに至り着いたと考えたい。同じく過剰な修辞や技巧を排した窪田章一郎流儀の実感とリアリズムの短歌を愚直に歌いつづけた橋本喜典だが、その至り着いた先にも豊かなユーモアの世界が見えたのだった。つまり、ユーモアが歌の味わいとして顕著になるのは、ともに老境に至ってからである。先にも書いた通り、ユーモアの実現を邪魔するのは年齢不相応な若い自意識や自負、気取り。敬愛する作家の山田風太郎はベッドで失禁してしまった場面を孫に目撃され、爾来「小便垂れジジイ」といわれたことを苦笑まじりに面白おかしくエッセイにしていたっけ。これこそがしたたかな表現者だよなあ、と私は思っている。

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