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時評2021年2月号

2020年のノーベル文学賞は、アメリカの詩人ルイーズ・グリュック氏が受賞した。2000年以降のノーベル文学賞の受賞ジャンルは小説が多く、詩はグリュック氏を含めて3人(うち一人はボブ・デュラン氏で歌詞)西洋の詩の伝統は古く、改めて注目された。
ノーベル賞の選考委員会は「厳粛な美を伴う、まぎれもなく詩的な声で、個の存在を普遍的なものにした」と評価する。
評価の軸として「普遍性」があがったことに意外性を感じた。「米国歌謡の伝統の中に新しい詩の表現を創造」はボブ・デュラン、「読者に斬新な道筋を与えた」(トロンメル)など新しい・斬新・言語的な技巧などの理由が並ぶからだ。
 私の母はあることに熟練している
 それは、愛する人々を別の世界に送り出すこと。
 幼いもの、赤ん坊を、母は
 やさしくゆすってやる。ささやき、静かに歌いかけながら。父のために母が何をしたかは、私には分からない
 何をしたにしろ、正しいことだったに違いない

『アメリカ現代詩101人集』(思潮社)に2編収録されているうちの「子守歌」の冒頭の1節。幼い子と夫の看取りを、子守歌に寝かしつけるイメージに重ねている。日本語訳はないが「帰郷の心情をギリシャ叙事詩『オデュセイア』に重ねるなど、個人の経験を昇華させた」詩もある。
物語や古い歌に普遍的なテーマを仮託することは、短歌ではよく行われている。
まっさきに思い出したのが永井陽子「なよたけ拾遺」だった。
 このくにに父母はなけれどさみどりの風を追ひつつ日がな遊べる
 たましひのほのあかりなす天までを音なくあゆむ父の素足が

1首目は「なよたけ拾遺」の一連の中。よく知られている「なよたけのかぐや姫」の世界だ。3月で大人になったのだが、その束の間の成長期のさびしさ。若い頃も好きな歌だったが、今読むと短い幼少期のあやうさが現代の子供たちにも通じているように読める。
2首目は章は違うが、同じ歌集中の父への挽歌。「なよたけ」の世界を読んだ後で、今度は残された者の気持ちを持ったまま、個の歌を読むと、天へ帰る父を見送る。個人の体験や感覚を受け取ることは難しいが、物語の世界をもってイメージを広げることはできる。
 子狐のように冷たき手を下げて釣瓶落としを帰りくる子よ(富田睦子『風と雲雀』)
「うた新聞」10月号黒崎里美さんの歌集評において、この歌は新美南吉の「手袋を買いに」の世界観で詠まれているという。わたしもその解釈に賛成で、「釣瓶落とし」の「釣瓶」の語といい、寒さが迫る情景を思わせ、一首を膨らませる。〈瓦斯の火の青さすずしく湯を沸かし明日は師走となる部屋にいる〉も「瓦斯」など物語を思わせる。「師走となる部屋にいる」が居室の意だけでなく、時間的な空間を感じる。普遍性は、読み手/詠み手として見出すものであり、物語は一つの方法かもしれない。(佐藤華保理)