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☆「歌壇の〈今〉を読む」☆俵万智歌集『未来のサイズ』評

俵万智歌集『未来のサイズ』評

 私の未来日記
           木部 海帆


二〇一三年から二〇二〇年までの作品四一八首が収められている第六歌集。迢空賞受賞。Ⅰ欄には二〇二〇年新型コロナウイルスによって突然変わってしまった日常を詠んでいる。

 朝ごとの検温をして二週間前の自分を確かめている
 トランプの絵札のように集まって我ら画面に密を楽しむ
 目に見えず生物でさえないものを恐れつつ泡立てる石鹸

 感染拡大から一年半以上経った現在でも何も変わっていないな、と改めて感じる。二首目、オンラインで複数人の顔だけをパソコン上で見ている場面。二年前ならすぐに理解できなかったかもしれない。非日常となった事柄を一つ一つ詠んでいく。
 Ⅱ欄は石垣島での生活を中心に編まれている。前の歌集『おれはマリオ』で東日本大震災をきっかけに仙台から移住した続編。

地図に見る沖縄県は右隅に落ち葉のように囲われており
マンションに除湿器標準装備され「ヤモリガード」の付く室外機
討ち死にのごとく倒れてサトウキビ畑はいまだ風の押し花

 引っ越したからこその気付きや出身地ではないゆえの違和感や発見それらすべてを作者はポジティブに受け止め歌にしてゆく。多分良いことばかりではないはずだが、弱みを見せない。沖縄ならではの自然や経験を詠み、また、この章では小学校高学年の時の息子さんの名言が歌となる。

 集中は疲れるけれど夢中なら疲れぬと言い遊びつづける
 早起きのできない理由「面白い夢が最近多すぎるから」

 こんなウイットに富んだ返事をされたら怒る気になどならないだろう。子育ての何気ない日常だからこそ写真では残せない一瞬を詠めば後に鮮明な情景を思い出すことができる。
 Ⅲ欄では進学のために宮崎県へと住まいを移し、息子さんは寮生活で離れて暮らす歌がある。

 日に四度電話をかけてくる日あり息子の声を嗅ぐように聴く
 あす会えるあした会えると思うとき子を産む前の夜を思い出す

今年中学に入学した息子を持つ私としては、どれほどの思いだったか、と思わずにはいられない。聞くのではなく聴くのだ。

 制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている

 歌集の題となった一首。あとがきに子どもたちの「未来のサイズ」が大きくたっぷりしたものであることを祈らずにはいられない、とある。私も昨年学生服の歌を詠んだが私の場合は息子にしか向いておらず、作者の視野の広さを感じた。
 歌集には原発やセウォル号事件、国会中継の歌、など社会的な歌が多く詠まれているが、私は母親として同じ感覚の歌に惹かれる。

 親という役割だけを生きる日の葉桜やさし授業参観
 最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て

 子育ての時間は期間限定で、しかも一人っ子だと二度と同じ経験をすることができない。『プーさんの鼻』以降作者の歌集は私の未来日記のように読んでいる。

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