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時評2021年10月号

歌枕について


「俳句界」という雑誌に歌枕について書く機会があった。短歌研究社の「短歌年鑑」でも「地名を詠みこんだ短歌」というアンケートが実施されたので、新型コロナウイルス感染症により遠出がままならなくなった現在、短歌や俳句によってせめて旅行気分だけでも、という雰囲気だろうか。あらためて考えてみると、元々出不精なこともあるが、歌枕は知っていても吉野なら桜、竜田川なら紅葉、ぐらいの認識で、自分の歌に積極的に取り入れることは無かったように思う。「俳句界」では松村正直が「歌枕はなぜ生き残ったのか」と題した論で、明治の和歌革新運動においてなぜ歌枕が滅びなかった理由について、「歌枕が「虚」の世界から「実」の世界へと重心を移すことによって再生したからだと思う。」と指摘し、伝統的な歌枕である「最上川」と、現代の新しい歌枕として「イオン」を取り上げる。「最上川」と言われて齊藤茂吉の「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」を思い浮かべる人は多いと思うが、松村はこの歌を含む茂吉の最上川の歌を挙げて、疎開中の歌をまとめた『白き山』には「最上川」を使った歌が一〇一首にのぼると紹介する。そして茂吉の中に芭蕉と張り合う気持ちがあったのではないかとし、『おくのほそ道』について、「本来は言葉の世界である歌枕を、実際に見て回る。これは非常に革新的なことだったのかもしれない。歌枕が言葉という「虚」の世界と現実の土地という「実」の世界をつなぐものになったわけだ。」と指摘する。確かに一首の世界がどれほど虚であろうと、例えば「最上川」という現実が入ることによって、歌が現実味を増し、また、読者の側にも近寄ってくるような気がする。古典和歌では題であった歌枕が、芭蕉の俳句や茂吉の歌によって現実のものとして現代に受け継がれているのは彼らの功績によるところが大きいが、一方で地名には力があるということでもあるのだろう。
続いて現代の歌枕として挙げた「イオン」ではこんな歌を紹介している。

 見てきたことを話してほしい生まれ育った町でのイオンモールのことを
         阿波野巧也
 水もしたたるような夜だよかがやけるイオンに葡萄買って帰れば
         服部真理子
 夕焼けにイオンモールが染まっててちょっと方舟みたいに見えた
         岡野大嗣

 イオンは今や全国どこにでもあって、規模によっては一日中遊べる。どの土地のイオンであっても品揃えに差は無く、作者がどこに住んでいても同じイオンとして受け入れられる。松村は、イオンは大量生産大量消費の文明を象徴しつつも、歌にあるのは明るさだけではなく、こうした繁栄が不確かなものであることを漠然と感じ取っているからかもしれないとする。イオンを現代の歌枕とするなら、他にもコンビニやファストフード店の店名で探せばいろいろと出て来るだろう。私もローソンやドトールを詠んだ覚えがある。遡れば俵万智の東急ハンズの歌も含まれるかと思う。明るく豊かな消費の裏にある虚しさを託された現代の歌枕だが、コロナにより否応なく生活が変化した今後はどう変わってゆくのだろうか。

(後藤由紀恵)