見出し画像

新進特集 「わたしの郷土・わたしの街」 作品&エッセイ①

浅井美也子

奈良を離れて十年が過ぎました。奈良の生活が楽しく充実していたなら短歌を始めていなかったかもしれません。私にとって奈良は思い出すのも辛く、でも懐かしくて大好きな、ちょっと複雑な気持ちになる街なのです。


群青の兵               

雨音のノクターン子の部屋に充ちテスト前夜のふかき居眠り
きらきらと子の部屋に不満ちらばって月無きよるは銀河のねむり
不協和音かなで娘の抽斗よパイプオルガンのごと開けっ放し
ごうぜんと夜半に怒りのドアのおと口の重たき子の底揺れて
試験終え午睡する子のゆびさきに散弾銃のシャー芯のあと
群青の兵の隊列 試験終え地下鉄の駅へすいこまれゆく
近づけば離れてしまう小舟なる娘よ蒼き帆をはためかせ
湧きいでる水ゆたかなる湖のような娘よ今日も髪洗わず
透きとおる湖面にさやと波紋して礫の小言のしずかに沈む
灯されてたまゆらに消ゆことばたち湖底に浮上のときを待ちつつ

時を重ねて―會津八一の描く奈良―

 奈良に住んだのは七年という短い期間で「わたしの街」というのはおこがましいが、私にとっては生まれ育った名古屋以外で唯一暮らした忘れられない土地だ。住んでいたマンションのベランダから、晴れた日には西に生駒山から葛城山まで、東に若草山から三輪山まで山々の連なる様を見る事が出来た。それら山々に囲まれて市街地はあり、濃尾平野で育った私には奈良盆地の景色は新鮮で、生駒山に沈む夕日を見るのが好きだった。

  あきしの の みてら を いでて かへりみる いこまがたけ に ひ はおちむ と す  會津八一『南京新唱』

 この歌に詠まれた秋篠寺は自宅のすぐ近くで、長い歳月を経て私も同じ夕日を見ていたのだと思うと、なんとも言い難い感慨がある。
 思えば奈良に住んでいた頃こんな風に、時代を経て昔と繋がるような不思議な気持ちになる事がよくあった。それは、奈良という街が古代から続く歴史を内包し、当時の面影を残す寺や史跡を守り続けているからだろう。
 奈良の地を多く詠んだ歌人、會津八一は明治十四年に新潟県で生まれた。同居していた叔父の影響で早くから歌作に興味を覚え、『万葉集』や良寛の歌を好み学んだ。新潟中学を卒業後、現在の早稲田大学に進学。早稲田大学の教員となってからは「奈良美術研究会」を創立、奈良美術、仏像美術の研究者であり、書家でもあった。

  ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に あひみるごとく あかき くちびる          『南京新唱』

 詞書によれば「法華寺本尊十一面観音」について詠んだ歌であり、藤原氏出身の光明皇后をモデルに作られた仏像と伝えられている。静謐な空間で仏像と対峙した作者が、天平の時代から長い年月を経て、唇に消え残る紅色に気付いた時の感動が伝わってくる。

  はたなか の かれたる しば に たつ ひと の うごくとも なし もの もふ らしも       『南京新唱』

 詞書は「平城宮址の大極芝にて」。平城宮は平安京遷都の後、次第に田畑となっていき、八一が訪れた明治四十一年も一面の田畑であった。その中で大極殿が建っていた跡だけが「大黒の芝」と伝えられ農民たちに守られてきた。田畑として使われながら、一千年以上の時を人々に守られてきた事に奇跡を感じずにはいられない。
 平城宮跡公園は、子供とよく散歩をした。コンクリートや柘植の木で再現された大極殿の礎石や柱を見ながら、千年以上前に都があったのだと、しみじみと感激していた事をこの一首に思い出した。
 八一の歌の大きな特徴として、語分かち表記法が挙げられる。全て平仮名を用い、且つ品詞別に文字を区切って表記した。これは「歌は味わいながら読むべきもの。仮名の一つ一つを読みついでいってこそ本当の味があり、漢字をたよって一気に読み終えては勿体ない」という、八一自身の作歌の信条によるものだ。
 初めて八一の歌に触れたのは短歌を始めた頃で、非日常のきらめいた歌言葉に強く惹かれていた時期だったから、平仮名ばかりで古語の多い歌に最初は魅力を感じなかった。だが改めて八一の歌をまとめて読んでみると、その音調の心地良さに気付いた。全て平仮名表記の素朴な雰囲気も、奈良という街に良く合っていると思う。
 八一の歌には一連または一首毎に詞書がついており、また奈良には二十ほどの歌碑もあるそうだから、歌集をガイドブック代わりに、歌に詠まれた地を訪ねてみるのも楽しいかもしれない。
 当時は幼い娘のワンオペ育児の真っ最中、いつも気を張って時間に追われる毎日だったから、奈良に良い思い出はあまりないと思っていた。けれど八一の歌を読みながら思い出してみると、細かな記憶が甦り、奈良の美しい風景が思い出される。春日大社の参道の神聖な空気、般若寺で風に揺れるコスモスの美しかった事。
 平城宮に復元された朱雀門には大きな風鐸があり、風の強い日にはごんごんと音が鳴った。懐かしく耳に残るあの音を、遥かな時を隔て天平の人々も聴いていたのだろうと思う。奈良は今も、時を重ねて尚、遥か遠き古代の音色や色彩を残す街なのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー