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年間テーマ「ユーモア」④

ユーモアをたどる旅   

    麻生由美

 
 そもそも西欧の概念だから、ユーモア・ウィット・ペーソスなどの「おかしみ」については一年間くらいどこかで聴講などしないと正確には理解できないと思っている。一応、ほのかに笑えて上品な、対象を蔑みしたり攻撃したりしていないものを、自分なりに「ユーモア」と定義して、経験の中を「ユーモア」を求めて旅してみる。

 そもそもその初め、短歌(和歌)にユーモアはあったのだろうか。大昔にさかのぼって考えてみた。大昔から人は笑っていたに違いなく、さまざまな種類の笑いがあったはずだが、上古の記紀歌謡の中にくすっと笑ましくなるものは見あたらない。岩戸開きの段に笑う場面はあるけれども、八百万の神が笑っているだけで、読む(その当時は聴く)人を笑わせたりはしないし、これは歌ではない。世界を見渡しても創世の物語に笑いは要らないようだ。

『万葉集』になると少し笑いがありそうだ。まず巻十六、大伴家持
石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ
の歌。愉快な歌として入門書などによく紹介されているが、宴席のざれ歌だとしても、人の外見をからかっているだけじゃないか、石麻呂が目上の人だったら言えないだろうと思ってしまう。巻十六にあるほかの戯れ歌も身体的特徴をからかう掛け合いなので、大昔のこととはいえ感じがよくない。それよりも、巻四の笠女郎が家持に送ったとされる
相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後へに額づくがごと
の方が私にはおもしろい。詮無いことのたとえなのだが、大寺にわざわざ出かけて行って仏ではなく餓鬼像(貪慾の戒めとして餓鬼の像が置かれていたそうだ)の後に行って拝んでいる人の姿を妄想すると笑ってしまう。

『万葉集』には四千五百首もの歌があるのだから、何かもっと現代人の笑いの琴線に触れるようななものはないだろうかと、あてもなく渉猟していると、次のような文章に行き当たった。

――笑いというものは本質的に社会的なものであり、集団性から生じ、またそれに回帰してゆく。たとえ嘲笑的な笑いであってさえ、この本質からははずれない。共同体的な集団の維持にとって、笑いが不可欠の要素であることは、いわずと知れたことであった。さきほど私が赤彦の万葉礼讃論を、近代主義的・純粋主義的と評したのは、赤彦の万葉論が「万葉集」のこういう共同体的側面についてついに正当にとらえることができなかったことを思うからである。  (大岡信『うたげと「孤心」』)――

 集団の維持のための笑い!私が『万葉集』の中に捜していたユーモアは「近代主義的・純粋主義的」な笑いだったのである。上古の人の笑いのセンスはいまいちだなと感じるのはそういうことだったのかと、ひそかに納得した。ちなみに大岡によると「孤心」は大伴家持のことで、彼は「「独り」の自意識をはっきりもって独詠歌をものした作者」だそうである。彼の歌だけが不思議に近代的に感じられるのは、そういうことだったのかと得心する。

「共同体的な集団」ということを踏まえると、山上憶良
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ
の印象も変わっってくる。これまでは「妻」を「それその母」とわざわざ言い換えるなんてつまらない小技だ、おもしろくないと思っていた。しかし「共同体的な集団」の場である宴会で、ただ今目前で退出しようとする老人・山上憶良から直に発せられた声なのだと認識すると、若妻や幼子が待っていそうな青年のイメージとのずれ、見え透いた大嘘に一同大笑いする様子が、今でもそういうことはあるなあとリアルに想像できるのだ。

 八大集すべてに目を通したことがないので正確には言えないけれども、上古から中世にかけての現存する和歌に、機知はあっても笑いの要素はとても少ない。当時の人びとが笑っていたことだけは確かだが、編纂された歌の中には残らなかったのだ。ちなみに、説話や随筆などの散文には笑えるものがたくさんある。『今昔物語集』の「頼光が郎党ども、紫野見物の語」などは、頼光の四天王伝説を念頭に読むと、プロットも描写も転げるほどおかしい。思うに、散文は書かれて読まれることが基本だから「共同体的な集団」の場がなくても、笑いがまっすぐ現代の私たちに届くのだろう。

 時代はずっと下がって江戸時代になると狂歌というものが生まれる。文化・文政の出版文化の中で生まれたのだから、受け取り手はもう「共同体的な集団」などではなく、目の前にいない不特定多数の読者たちだ。読者は出版物によってたくさんの古典に親しんでいるので、それを前提にした風刺・パロディも可能になる。茶化したり冷やかしたりするので「ほのかに笑えて上品」の定義には当てはまらないものも多い。その中から「ユーモア」の歌として、私は宿屋飯盛
歌よみは下手こそよけれ天地の動き出してたまるものかは
を挙げたい。こちこちの国学者である平田篤胤にはけしからんと叱られたらしいが、すぐれた歌は本当に天地を動かすんだという古今集仮名序へのリスペクトはちゃんとあって、すぐれた歌に感応して天地がもぞもぞと動くところを空想するのはとても楽しい。

 短歌とユーモアの稿で、初めから可笑しさを狙って詠まれている狂歌に触れるのはどうなのかと思ったが、吉岡生夫という歌人が、狂歌と現代の口語短歌はつながっていると述べていることを知り、意を強くする。近代の歌人、石川啄木も狂歌の影響を受けているそうだ。例えば『一握の砂』の
一度でもわれに頭をさげさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
途方もない矜持の生む悲哀が笑えるのだが、ユーモアというよりペーソスかもしれぬ。かなりつらい。

 いよいよ現代短歌。かなり古くなってしまったが、小林恭二の『短歌パラダイス―歌合二十四番勝負―』。これは、寝床で読むと布団が浮き上がるほど可笑しい。作品そのものから生じる可笑しさというよりは歌合の寄人・念人・判者、そして主催者小林による解釈や鑑賞の可笑しさだ。
 例えば、岡井隆
スプーンで蛍をつぶしてゐた記憶「邪慳ぢやなか」と呟きながら
の歌に対して、小林が「…子供がその無垢なる嗜虐性を発揮して、ぶちゅらぶちゅらと蛍を潰していると考えるべき。(中略)蛍をスプーンで潰すという邪慳そのものの行為をしておきながら、なぜ「邪慳ぢやなか」と呟けるのだろうか」と疑問を呈するあたり。杉山美紀
蜘蛛のごときバイクが好きな祖父なりき「いまはむかしの風邪の夏じゃ」
の歌に対して、「確かにギーガーのイラストなどに出て来る近未来世界には、よく蜘蛛めいたバイクが出てくるが、まさか祖父が本気でそんなものを好むとは思えない。」と戸惑うあたり。楽しい読みを誘発することも短歌のユーモアなのかもしれない。

 ユーモアを求めて現代短歌の大海を彷徨いながら、小さな岩礁のように縋りついたのが、子どもを詠んだ次の三首だ。総合誌に掲載されたのを読んでくすっと笑って以来、ずっと記憶に残っていた。

 子には子の電車来るらし「白菜の内側でお待ち下さい」と言ふ
     小島ゆかり『獅子座流星群

 あるときの不思議童子は電話機に囁くぱあぱ・まめ・ふみ・わんわ               
     加藤治郎『昏睡のパラダイス』
 燃えさかる抽斗に手をさしいれてこれやこのこら波羅波羅童子

 小島の歌の、いとけない子どもの言葉は事実で、それを「子には子の電車来るらし」と捉えるのがこの人の詩性。白菜の葉の柔らかな内側で電車を待つ子どもの像が見えるようだ。たちまちに過ぎてゆく時間がやさしく記憶される。
 加藤の二首の楽しさは、「不思議童子」「波羅波羅童子」というネーミングのセンスだ。現代の子どもが、興福寺の阿修羅像の周りにいる矜羯羅や制吒迦の童子のようななりをして大人を和ませたり困らせたりしているように見えて可笑しい。「これやこの」という古歌のフレーズから「こら」という叱責の声を導く技も鮮やかで、これもまた可笑しい。私は「燃えさかる抽斗」をガスコンロのグリルだと解釈して、久しくこれらの童子の歌を、「笑ましい子どもの歌」に分類していた。ところが作者の加藤治郎は、「どう解釈されても、それは読者の自由です。」と前置きした上で、比喩ではなく抽斗そのもの、つまり幻影なのだと教えてくれた。途端にこの歌の景色はサルバドール・ダリの「燃えるキリン」と「抽斗人間」が合体したような不穏な様相を呈してしまう。燃えさかる抽斗は禁断の世界への入り口。無邪気に手を差し入れる探求心でいっぱいの童子。あぶない…。『昏睡のパラダイス』はオウム真理教の事件をモチーフにした歌集なので、歌集として読めば虚心には笑えないのだった。

 何だか疲れたのでちょっと近代の初めに戻ると、正岡子規
今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな
の歌がある。この歌に私が笑えるのは、作者が満塁のありさまを大真面目でに全力で詠んでいるからだ。ここに生ずるかすかなユーモアは、奥村晃作
大きな雲大きな雲と言うけれど曇天を大きな雲とは言わぬ 『八十一の春』

のような現代の「ただごと歌」に通じると思う。「ただごと」は奥村晃作のような達人を通過しないと容易に詩になれないという難点はあるけれども。この歌集には
しらぬい筑前の守の故事を述べ宴席を退く八十路のわれは
という歌もある。筑前の守はもちろん山上憶良だ。「孤立」が大きな社会問題になった今日、そんなにおもしろくはなくて鬱陶しいかもしれないが、「共同体的な集団」の中での、受け取る人が目の前にいてくれる、ゆるい笑いも捨てたものではない気がしてくる。

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