時評2020年12月号


「印象に残る」とは    富田睦子

 原点としての「歌を始めた頃あこがれた歌」について引き続き考えている。
 「始めた頃」についてははっきり記憶がある。それは島田修三であり、時期的には第二歌集『離騒放吟集』第三歌集『東海憑曲集』といった最も島田節が炸裂していた頃で、つまり私は「短歌でだったらなにを言ってもいい、詠んでもいい」と思ったのだろう。
 その四・五年前の『サラダ記念日』ブームの時は中学生だったが、幼いなりに「古くさい短歌も女子大生にかかればこのとおり(かわいいね)」といった女性性の消費の匂いを感じてむしろ嫌悪していたから、単に読書体験として残っているだけだ。
 その前は教科書である。
 教科書には一首、ひどく気にかかってときおり思い返す歌がある。それは名歌として紹介されていたのではなく、短歌の単元の文章の中に引用されていた。

・雨の日のポストの口* ***** ******* あとすがすがし

 記憶が薄れて三句四句が思い出せないのだが、雨の日に郵便物を出しに行ったらポストの口に雫がさがっていた。このままではハガキなり封筒なりが濡れてしまうから袖のところでちょっと拭ってから投函した。袖は濡れてしまったけれど、気持ちは晴れやかだった。という内容だった。
 私は、「こんな普通のこと短歌にしていいの?」と思い驚き、「こんな歌が教科書に載るほどいいの?」と反感を持ち、だからこそその後三〇年のあいだ時々思い返していた。
 正しい表現はすぐに忘れ、「雨の日のポストの口を袖で拭い*******あとすがすがし」だっただろうか。これだと真ん中が六音になるから、「雨の日のポストの口の濡れたれば袖で拭いてあとすがすがし」だったかな、これだと、全部説明してしまっていて、いい歌ではないな。
 と、だんだん自分で歌を再構築しはじめ、そのうちに、手紙の投函のときにはいつも思い出すようになった。
 さて、この度この歌の***の部分を明らかにすべく国立国会図書館に行ってきた。
 光村図書版国語教科書中学2、筆者は玉城徹だった。自分が玉城徹の文章を読んで育ったというのも驚いたが、件の歌にも驚いた。この歌は新聞歌壇の入選歌で、作者名の記載はない。正確な表記は

・雨の日のポストの口をわが拭ひ手紙を入れてあとすがすがし

 だった。ちょっとびっくりするくらい下手な歌である。「わが」はいらないし、「手紙」もいらない。一から十まで実況してしまってただの文章である。しかも、「すがすがし」と自己完結までしてしまっている。とても、素直な中学生に教科書で教える歌ではない。
 しかし、やはり私にとっては特別な歌だ。この歌がもう少し上手い歌だったら私の記憶には残らなかっただろう。
 上手な歌ほど読んで満足してしまい、印象に残らないということはあるかもしれない。同時に、中途半端に「五七五七七ならなんでも短歌になりますよ。まずは作ってみましょう」と教えられず、鑑賞面、しかも疑問から入っとことは幸いだったのかもしれない。と今となっては思うのだった。