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時評2021年1月号

記録としてのコロナ詠

  2020年が終わろうとしている。言うまでもなく変な年だった。本来ならオリンピックの余韻が残る浮ついた年末になるはずだった。それがコロナウイルス感染症の蔓延で「非常事態宣言」を聞き、社会変化を経験している。この一年はなんだったのか、空白と喪失の一年だっただけではないと思いたい。
 20年9月号の『短歌』においてコロナ禍特別鼎談「なぜ歌を詠むのか」を改めてみると、投稿歌の多さ、内容の変化について言及されている。「三月からマスクの歌がどっと出て、次にトイレットペーパー買いだめ」「学校休校」「不要不急」「ソーシャルディスタンス」と時間の経過とともに歌も変化しカタカナ語の適用も増えた。「クラスター、オーバーシュート、パンデミック、ロックダウン、ウィズコロナ」この他にもステイホーム、リモートワークもこの一年よく耳にした。
 トイレットペーパーはなしマスクなし消毒液なし山笑ふ
           太田千鶴子 (朝日新聞)
 婚儀ととのひ祝言挙げたき我が家に大きな決断迫るウイルス
           福島ひろし(新潟日報)
 ビートルズが教えてくれた ウイルスが教えてくれた 地球はひとつ 
           藤田健男(新潟日報)

 日常生活を通じて、また家の事情を通じて目に見える変化と目に見えないなにかを歌う。
 災害や戦争のニュースに触れて歌を作るのは難しいと言われているが、穂村氏は歌の傾向について
「東日本大震災の時は、当事者性当事者の濃淡があって、アマチュアの当事者が強い真っ直ぐに迫ってくる歌と歌人のレトリックを使った歌の差がもっと大きかった」が
「今回のコロナに関しては我々全体が同程度に当事者」で投稿歌にもレトリックのある歌があるという。
 マスクしてマスクをつけた君に会う 君もウイルス我もウイルス
           南準一郎(日本経済新聞)
 ウイルスが人語を消したこの街に澄みてきこえる猫語や鳥語 
        松本尚樹(短歌ください「ダ・ヴィンチ」7月号)
 距 離 を と っ た 濃 厚 接 触 を 控 え た そ の ま ま は な れ て ば ら ば ら に な っ た
        冬香(短歌ください「ダ・ヴィンチ」7月号)

 与謝野晶子の本歌取り、標記そのものの工夫などを通じて「言葉にならないわだかまり」のようなものを表す。二首目は海外のどこかの街でロックダウン中に野生の山羊が闊歩しているのをテレビで見たが、それと同じ状況を生活の中で感じる不思議を思う。
 鼎談では「個」と「全体」の関係について、
「個が全体に融合する難しさ」「孤なる個体を通過しなければ全体との融合ができない」と紹介する。『現代詩手帖』一一月号でのコロナ禍での詩の特集があり「個人的な出来事の詳細と細やかな観察を、大きいテーマに結びつけた」作品を紹介している。短歌、詩、小説などの作品がこのコロナ禍の中で発生している。『昭和万葉集』の太平洋戦争時の歌のように、特徴ある作品群として残り、「個」と「全体」も世界規模できる資料として評価されていくのかもしれない。

(佐藤華保理)