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2020.8月号時評

  「違い」のちから

・夏の陽に焼かれて日日をあるばかり石は花々のやうに開かず
・うろこ雲のびゆく夏の陽ざかりに花はま白く咲くをおそれず
・薄いコップの縁に残せる指紋など忘れて夏の陽ざかりを野を
・少年の我は夕べが切なくてしきりに土の笛吹きてゐし
・蝶を風に流してののち掌に真白なる粉(こな)をしばし見てゐつ
・雲ふかく没するほそき釣革にぶらさがつてるおびただしい手
                    (漢字は旧字体)
 これらの歌を読んでどのような作者を思うだろうか。若い作者。「少年」とあるから男性だろうか。ややクラシックな語彙で、すっと一首を歌い通す調べには屈折が少なく、青年期の暗い情熱を照れずに表している。現代の作者であってもおかしくないが、もしかしたらライトヴァース以前の作者かもしれない・・・。
 答えを言ってしまうと、作者は、杉原一司、一九二六(大正十五)年生まれ。これらの作品が詠まれたのは一九四六(昭和二一)年から四七年の間である。杉原は鳥取県に生まれ、前川佐美雄に師事し塚本邦雄らと行動した。そして、一九五〇年、これらわずかな佳作を残して二十三歳でこの世を去った。
 同人誌「メトード」に杉原という秀才がいたことは塚本邦雄の言葉によって知られていたが、今までその作品を読む術はなかった。それが今年になって遺族の手によって『杉原一司歌集』が編まれ、作品に触れられるようになった。
 うまいな、と思う。五十代、七十代の作品を読みたかったな、とも思う。それ以上に私が思ったのは、戦後すぐによくこんな透明感ある明るさをもった青春歌が詠まれたものだな、ということだった。
 巻末の年譜を見ると杉原は、鳥取県で生まれ育ち、応召して宮崎で終戦を迎え、短い生涯を故郷で終えている。鳥取にももちろん空襲はあっただろうし食糧難もあっただろうが、杉原の元には前川佐美雄の家族が疎開に身を寄せていたという。疎開する側とされる側、困窮の度合いは違っていたのではないだろうか。
 違いというのはとても豊かだ。ファスト化された現代社会ではどこにいても同じような生活かもしれないけれど、それでもどこかが当然に違う。「違い」は力になるはずだ。
 「プチ★モンド」109号で松平盟子が「【生誕一〇〇年】二十世紀を生き切った歌人、安永蕗子」という文章を書いている。中で安永の外すことのできない領域、存在感のうちの一つとして「短歌メディアの中心から外れる熊本と言う地を離れることなく九州歌壇を率いたこと」を挙げている。
 短歌史を俯瞰するとき、戦争が終わって前衛短歌が出てきて学生運動の時代があり、ライトヴァースが出て口語短歌が広まり、という点滅は確かに見えるが、それは文字通り氷山の一角で、大河は流れ続けている。そしてその川幅を広くするのは多様な評価基準だろう。
 なにがトレンドだとか、全体の流れというものを把握はしつつ自分の歌いたいものを歌う、当たり前だけど大切なことだと思う。
                           (富田睦子)

引用は『杉原一司歌集』(2020.3.31・杉原一司歌集刊行会)


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