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11月号特集「まひる野 今とこれからの話―口語短歌をめぐってー」/狩峰隆希

荻原慎一郎の口語観

        狩峰隆希


  文語にて書こうとぼくはしているが何故か口語になっているのだ
                  萩原慎一郎『滑走路』
  達成はまだまだ先だ、これからだ おれは口語の馬となるのだ
  文語崩しの口語短歌を作るべく日々研究をしているぼくだ
  まず文語そしてハンマー手に持って口語短歌に変えてゆくのさ
  いきいきと躍動をするそのこころ伝えるための口語短歌だ

 歌集『滑走路』で口語に触れている歌は右の五首である。もとは文語実作者だったが次第に口語の躍動感へと引き寄せられ、意識的に文体をシフトさせていく過程がうかがえる。萩原は「現代短歌は文語短歌の翻訳としてあるべき」(「りとむ」二〇一七年七月号)と考えていたようで、文語の存在感を認めながらもそれと地続きである口語のほうに現代短歌の本来の姿を見出すようになった。

  口語で書くな という思想が平成の世にありながら歌壇にはあり
              「りとむ」二〇一七年五月号
  ぼくはぼくの道ゆくだけさ 誰にどう言われようとも口語で書くさ
  旧態のままでいるわけいかなくてぼくは口語の鳥となるのだ

 もう少し詳しく見てみると、ここには口語で詠うことの逆境が表されている。旧態とは「口語で書くな」といういわゆる文語優勢の思想を指すのだろう。そんな旗色が悪いなかで萩原の文体のテンションは高く、彼が自らを奮い立たせながら口語短歌の挑戦を試みたことが伝わる。また「口語の馬」と同様、「口語の鳥」といった翼への仮託から垣間見えるのは自由自在に言葉を操りたいという欲望や、あるいは自由そのものへの希求なのかもしれない。
 しかし、萩原のこうした口語観や口語の問題意識と、当時の時代感覚との間には大きなギャップがあるように思う。歌集収録歌である最初の五首はいずれも初出が二〇一四年で、その頃すでにポストニューウェーブよりも下の世代が口語短歌の新たな鉱脈を切り拓こうと神経を注いでいたにも関わらず、萩原の「文語崩し」とか「いきいきと躍動をする」心を伝えるためという口語の把握はきわめて個人的なところに落ち着いてしまっている。
 なおかつ、二〇一七年に至っては萩原の短歌をはじめるきっかけとなった俵万智が『サラダ記念日』刊行三十周年を迎え、それに合わせて口語短歌隆盛の背景があらためて注目されることとなるし、この二年の間に土岐友浩『Bootleg』(二〇一五)、井上法子『永遠でないほうの火』(二〇一六)がそれぞれ書肆侃侃房から刊行されるなど、口語短歌はまた新たな局面を迎えてもいたはずだ。そのさなかにあって「誰にどう言われようとも口語で書く」と言うほど孤独な闘いだったのか疑問に残る。口語実作者=肩身の狭い立場ともとれる書き方に私はむしろ遅れた価値観を感じとってしまった。
そもそも、「現代短歌は文語短歌の翻訳」なのかどうかも一考の余地がある。確かに萩原が一貫して使っている文末「のだ」は助動詞「なり」の現代版翻訳かもしれない。それによって独特な主体像の描かれ方がなされているものの、翻訳という考え方には文語を古いもの、口語を新しいものと見立てる向きが潜んでないだろうか。
 短歌を作るとき、古いもののなかにどう新しいものを取り入れるか、あるいは新しいもののなかにどう古いものを取り入れるかといったことを私は考えていて、ここで前提にしたいのは必ずしも口語だから新しく、文語だから古いとはならないということだ。現代に根差した感覚がまず先にあり、その共振にふさわしい文体として口語か文語かを作り手は選ぶことができる。「現代」は流動のものだから、歌はその都度表情を変えていく。口語短歌ばかりが新規性にとらわれがちだけれど、口語を新しいものの器としてしか見れていないと、その底のほうで更新され続けている現代的な感覚にはいつまで経っても気づけない。

  ぼくは会社にぼくのこころは夢想する どこか遠くの国にいること
                     同『滑走路』
  ポケットに手を入れながら待っている フランス行きの空飛ぶバスを

 では具体的に現代的な感覚とは何か。例えば、実体としての体は会社にありながら、心は遠く分離している一首目などはバーチャルな時代ならではの立体感がある。外国への羨望があるようで、二首目はフランスが出てくる。ポケットに手を入れるという描写が下句と相反的な内側(個)の意識を強めていて、この夢に対する手の届かなさなど現代的な描かれ方として常套と言えないだろうか。
 口語の検証は必要と思う一方、レトリックの類として口語が迎えられた段階は過ぎつつあり、日常の言葉が取り入れられているとか韻律が軽やかといった単純な理由で評価し続けていると、例えば萩原の狙ったような口語短歌は批判しにくい時代に来ていると思う。

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