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時評2021年4月号

「上句と下句の関係―上句派?下句派?」という、「歌壇」2021年1月号の記事見出しを見たとき、自分はたぶん「下句派」だと思った。
 なぜなら「下句の77で心情を述べている」といつかの古典の授業で聞き、わたしが歌を作る理由のほとんどが心情を表したいからである。支部の歌会でも「上句に情景を持ってきて、「それにつけても金の欲しさよ」って付ければ、歌だよ」と聞くので、乱暴な言い方かもしれないが、「下句は心情」がなんとなく染みついている。
 どっち派かはともかくとして、改めて三十一文字の構造について考えさせられる。
 十名ほどの筆者の中で、両方の調和や関係性が大事という方が大方だった。名歌・愛唱歌でも上句・下句のどちらに比重がある、魅力的だとは言い切れないとする意見が大半だ。
 個々人の作歌でも同じことだ。
 総論において、桑原氏は歌には「一首のなかだけでも一番印象的な個所、いわば作品の〈肝〉」があるといい、それが人々の記憶に残るのだという。

 近江の海夕波千鳥汝が鳴けばこころもしのにいにしへ思ほゆ 柿本人麻呂

 この作品の〈肝〉は「夕波千鳥」だが、「ココロモシノニ」という心情に添うリズムの下句と対応しているから印象深い。


 春の夜の夢の浮橋とだえして峰に分かるる横雲の空 (藤原定家)
 春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす収集令状(塚本邦雄『波瀾』)
 鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白(馬場あき子『世紀』)

 引用歌では下句に〈肝〉があり、上句と響きあう歌が多いとする。さらに若い世代では〈肝〉が上句下句どちらにもある印象。〈生まれたての僕に会うため水溜まりを跳んだ丸善マナスルシューズ(穂村弘『水中翼船炎上中』)どちらに〈肝〉あろうと、その他の箇所との呼応が大事と締めくくる。
 各論でも〈あらざらんこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな(和泉式部)〉など上句のインパクトや魅力的なフレーズが下句を引き出している、「細い糸で繋がる」詩的飛躍の関連を重視する、などどちら派ということなく全体のバランスを見る意見が多かった。

 あまやかに陽のさせる昼暗幕のごとき葡萄の皮をやぶりつ(横山未来子『金の雨』)

 77のリズムを88にしてみたり、韻律の安定性、調整の機能を、本多稜氏、横山未来子氏がいう。〈9・11以降イラクに落とされし爆弾の6兆ドルは東証時価総額よりも遥かに多し〉十一・九・五・十三・十四字からなる本多氏の掲載歌は読むのに少し息切れがするのだが、最後十四字でなんとなく読める気がする。
 また各論では、自作をどのよう推敲し一首となったかも見られた。思いついたフレーズや場面をメモし、バランスをみながら短歌の形にする。時には上句・下句をひっくり返してみる。作る過程は皆大きくは違わず、きっと昔の人も同じだろう思うと楽しい。  (佐藤華保理)