最終面接で話したいけど、多分話せないで終わること

話したいこと

本質のこと
最近の、若い子は特に、物事を複雑にしがちだなあと思う。本質を見ればそれ以上でもそれ以下でもないのに、色んなものを重ねてる。
例えば、Twitterとか。Twitterを作った人はたぶん、色んな人のつぶやきの場になればと思って作ったはず。意見なんて大層なものじゃなくて、今日のランチはこれにしようかな、とか、今好きなのはこれだよ、とか。フォローだって、その人のつぶやきが自分の生活(TL)にあったら、なんかちょっといいかも。くらいの意味のフォローだと思う。ただそれだけでしかないのに、フォロー返されなかったからあの人は失礼だとか、あの人に嫌われてるとか。いいねの数とかフォロワーの数とか。
批判も否定も、正直共感も肯定も億劫になることがある。でも、いいねがいっぱい来たらいいなと思うこともある。間違ってないよって言って欲しい時もある。でもあれはたぶんもともとそんなものの為に作られてない。本質を見れば、否定も批判も、アドバイスも煽りも、全部必要じゃないって気づくはずなのに。


性被害のこと
私は特別酷い性被害に遭ったことは無い。でも全く無い訳でもない。アルバイトをしてる時言われたちょっとしたセクハラ発言から、電車の中の自分でも痴漢されたと最初は気づかなかったできごと、スカートの中の盗撮とか、いわゆるジョーク。そのくらいみんなあるよって、たぶん男の人も女の人も言う。でも、あるあるだよねって言っちゃったら、すごく嫌な世界だってことを認めてるようなものじゃん。私もそれくらいあるよって、そんなの慰めにもならない。正直、自分に全く非が無いことを慰められてもどうしようも無い。ただ、おかしいね、気持ち悪いね、どうかしてるよねって。そんな奴らを認めない世界であることを確認したい。
最近、友達が、中高生の頃は毎朝のように電車で痴漢されてたことを教えてくれた。ほとんど逃げるか耐えるかで、声を上げたことは無かったんだって。でも一度、特に酷いことをされた時、初めて捕まえて、警察署に行ったらしい。そしたらそこでは、どの指でどうされたとか、全部書かされて、下着まで回収されたんだって。この屈辱と羞恥、話を聞いてるだけで私が悔しかった。仕方ないのかもしれない、私は鑑定なんてよく分からないから、そんなの辞めるべきだって言えない。でも、その子の気持ちがさらに抉られたのは事実だ。その後も何度か警察署に呼ばれて、学校も度々休むことになったって。
声を上げなきゃなくならないよ、って、その子に簡単に言える?もし声を上げたら、殴られるかも。刺されるかも。周りに見られる。同じ学校の子が乗り合わせてる。学校で話が広まる。学校に遅刻する。だったら我慢して、逃げて、学校に行って友達に泣きついた方がいいかも。黙ってた方がいいかも。
そう思うのが普通だと思うし、そんな小さなこと、なんて言っていい事じゃない。
被害を受けたことさえ、恥ずかしくてずっと言えないでいる子もいる。そんなのおかしい。
体格差、力の差はどうしても性別であるから、私もいつもナンパとかキャッチを無視するのが怖い。無視したら何されるか分からない。
駅で待ち伏せされたことがある子、盗撮されたことがある子、嫌なことを言われたけど我慢したことがある子、たぶん男の人が想像するほど珍しくないんだよ。
露出度の高い服が好きな子が、好きな服を着れて、
被害に遭ったことを恥ずかしくて言えないなんて思う子が居なくなって、
君にも非があるなんてアホみたいなことを言う人がいなくなって、
力の差に怯えなくてもいい日がいつか来ると、今の世界を見て私は思えない。
私は特別酷い性被害に遭ったことは無い。じゃあなんでお前が言うんだ、て思う人もいるだろうけど、本当に心に傷を負って、恥ずかしくて言えない子、話すことで思い出しちゃうのが嫌な子の代わりに、誰かが言うしかないじゃん。だから私が言ってるだけ。

偏見のこと
昔と比べて、偏見や差別が減ったのは、なんとなく生きてきた私でも分かる。社会が変わって、自分の性や価値観に素直に生きれる人も増えたと思う。
そこで最近よく考えるのが、偏見がある、とない、に、良いも悪いもあるのかなってこと。
私は偏見とかないから!って言う人がよくいる。無害だよって伝えたいのかもしれないけど、私は正直その言葉をわざわざ伝える意味がよくわからなくて、それって個人の価値観だから別に伝える必要あるのかな。ふーん、そうなんだ。って、話を聞くだけじゃダメなの。
私はちょっと応援してる人がいる。主に声で活動してる人で、体は女の子、心は男の子の性同一性障害だと本人も言ってる。女の子にも男の子にもなかなか居ないような綺麗な声で、素敵だなあ、かっこいいなあと、私は個人として彼を見れるけど、ある日友達にその子を紹介した時、「でも女の子なんだよね?」「女の子なのにすごいね」「女の子だもんね」って、そんな言葉が会話の中でいくつもでてきた。たぶんその子は、個人としてはその人を見れないんだなと思った。そもそもの意識の中に、やっぱり男女の枠組みが消えないんだと思う。でも、それって別に悪いことじゃない。その子なりに受け止めようとしてるし、すごいってちゃんと認めてる。大ファンからしたらムッとするかもしれないけど、その子は相手を傷つけるようなことは一言も言ってない。
正直、偏見って無くならないと思う。だってこんなに何十年も前からずっと、根強くあるから。人それぞれの価値観とか感覚だから、いくら訴えても仕方ないのかもしれない。でも、よく見て欲しい。どうしても性別を超えて個人として見れない、受け止めきれない子が、みんな傷つけるようなことをしたり言ってないよ。偏見を持ってる人がおかしい、ひどい、ってなりすぎて行って、いつか偏見のある人を差別する世の中になったら嫌だ。性同一性障害も、トランスジェンダーも、LGBTQも、国籍も肌の色も、「自分と違う」って認識がダメなわけじゃない。だって見た目も中身も違って当たり前だから。ただ、自分と違う人を、どう受け入れて、尊重するか、じゃないのかな。だから私は、まだ受け止めきれない、受け入れきれない人達のことも、尊重したい。