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レンタルボックス #2/8

103番

 長峰ながみねレンタルボックスの出入り口を入って左側、手前から三つめの103番のボックスは、高柳一平さんが借りていた。
 しかし、数日前に103番のボックスの名義人が一平さんの奥さんである春恵さんに変更された。一平さんが亡くなったからだ。
 春恵さんはパートを掛け持ちしていたが、一平さんが亡くなってから全て辞めたようだ。働く必要がなくなったらしい。進学を諦めていた息子さんも大学に通えるようになった。
 一平さんには借金があった。家計は苦しかったと聞いている。レンタルボックスの賃料も滞納していたが、全て支払われた。

 僕は、よく一平さんと話をした。気さくな人だった。
「もしね、俺が家族に殺されることがあってもね、俺は恨みはしないよ。苦労をかけたからね。しかしやるならバレないようにやってほしいね。なんでかって? わかるだろ」寂しそうに笑った一平さんの顔を僕は忘れない。

 一平さんが亡くなって、高柳家は潤った。多額の保険金が入ったからだ。
 自家用車の整備中の事故だった。
 1995年式のマークⅡを14回目の車検、つまり今年の車検に通すための整備を自分でしていたらしい。
 エンジンの動力を後輪に伝えるドライブシャフトのジョイント部分、それはドライブシャフトブーツというゴムや樹脂製のパーツで覆われてグリースで満たされている。ドライブシャフトブーツは経年劣化などで裂けると、中のグリースが飛び散ってタイヤハウスをベトベトに汚す。もちろん、それだけではなくドライブシャフトの動きにも問題が出てくる。
 一平さんはそのドライブシャフトブーツの交換作業中に、車の下敷きになって死亡した。
 マークⅡの車検の事前見積もりで、その点を指摘されていたようだ。ドライブシャフトブーツを修理しないと車検は通らない。工賃を節約するために自分で作業をした。その際の事故。辻褄は合っている。
 一平さんには多額の生命保険が掛けられていた。その保険金が家族に支払われ、高柳家は経済的に潤ったのだ。
 僕は事故を知ったとき、一平さんの言葉を思い出した。彼はこうなることを知っていた。

 僕は自動車ディーラーの営業マンだった頃のツテを使って、かつての同期のメカニックに話をきいた。
「ドライブシャフトブーツの交換をするのに車の下に潜る必要ってあるの?」
「ドラシャブーツ? 工場みたいにリフトがあれば当然下からやるけど、ガレージでやるならそうだな。ジャッキアップしてウマをかけてタイヤを外して、こうタイヤハウスに手突っ込んでやるよ。分割式のドラシャブーツってのがあって、ドラシャを外さなくてもできるようになったからね」
 ウマというのは正式にはリジットラックというカメラの三脚のような形をしているもので、ジャッキアップした車を支えるジャッキスタンドだ。
 メカニックの話では、ドライブシャフトブーツを交換するのに車の下に潜る必要はなかったということだ。

 僕は真実を知りたいと思った。それを誰かに話したりなんかしない。一平さんのあのときの、寂しそうに笑った顔の理由を知りたかった。
 一平さんは、こうも言っていた。
「俺の身になにかがあったらね、103番のボックスに真実がある。俺の家族にだけボックスの中を見せてやってほしい。それ以外には絶対に見せないでくれ」

 深夜、長峰レンタルボックスには僕以外誰もいなかった。
 僕の利用している11番のボックスからマスターキーを取り出していた。
 かつては一平さんが、今は春恵さんが借りている103番のボックスを僕は開けた。
 中には、車を整備するための工具類があった。油圧式ジャッキにリジットラックもあった。これらは、恐らく事故当時使われていたもので、いろいろ済んだあとに春恵さんがここに戻したのだろう。
 マークⅡを自分の手で修理して乗ることが一平さんのささやかな趣味だったと聞いたことがある。
 四つあるリジットラックを僕はよく調べた。そのうちの一つにハンマーで何度も叩かれたような跡があった。
 僕の推測は確信に変わりつつある。
 タンスのように大きなキャビネットタイプのツールボックスがあった。引き出しを開けると、化粧品売り場のルージュのように整然と並べられたソケットレンチや見たこともない工具が詰まっていた。
 そのうちのハンマーが収められていた引き出しに手紙のようなものがあった。
 中身を読まなくても分かる。これは一平さんの遺書だ。
 一平さんは事故を装って自殺をしていた。

 僕が見たもの、聞いたものからそのときの様子を思い描く。
 一平さんの家は長峰レンタルボックスから歩いてすぐの場所にある。
 ドライブシャフトブーツの交換作業を行うため、一平さんは必要な工具類をマークⅡの駐車場に持ってきていた。その中に油圧式のジャッキやリジットラックがあったはずだ。それにハンマー。
 ここからの手順は意図的に事故を起こすためのもので、正式な手順ではない。
 後輪駆動車のマークⅡのドライブシャフトはリア側にある。
 まず油圧式ジャッキでマークⅡの後部を持ち上げる。
 後輪が地面から浮く。
 後輪を二つとも外す。ブーツを交換する側のタイヤだけ外せばいいはずだが、一平さんはそうしたはずだ。
 リジットラックを〝一つだけ〟車体の後部中央付近に配置する。
 ジャッキにかかっていた油圧をリリースしジャッキダウンする。車体のジャッキポイントがリジットラックの上に載る。この時点で、車体は前輪二つとリジットラック一つの計三点で支えられていることになる。
 このとき、ジャッキを使いながらリジットラックの位置を調整して不安定な状態を作っておく。
 これで準備は完了だ。
 一平さんは車の下に潜る。
 ドライブシャフトブーツの交換は終わらせただろうか。それとも途中だっただろうか。どちらにせよ、自然な事故に見せかけるため、ある程度の作業は進めていただろう。
 そして、ハンマーでリジットラックを横から何度も叩いたのだ。
 車の下で、仰向けになったまま、何度も何度も叩いたはずだ。少しずつジャッキポイントから外れていくリジットラック。
 途中でやめようと思っただろうか。まだ引き返せる。今日はやめておこうと思わなかっただろうか。一平さんの気持ちは分からない。
 最後の一撃でリジットラックはジャッキポイントから外れる。
 三角形の頂点の一つを失ったそれは、一平さんの上に一気にのしかかったはずだ。
 苦しまなかっただろうか。
 それを知るよしはない。

 僕はツールボックスの引き出しの中にあった一平さんの遺書に触れた。ざらりとした和紙のようだった。
 そのまま中身は読まずに引き出しを閉める。
 もう充分、僕の知りたかったことは分かった。
 そうして103番のボックスに鍵をかけた。

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