ウソツキ
僕の父さんは、嘘つきだ。
僕が嘘をつかずにいい子にしていたら、父さんは必ず帰ってくると言った。だから、僕は嘘をつかずにずっと帰りを待っていたんだ。
それなのに、父さんは帰ってこなかった。
父さんは、フリークスという悪いやつらを捕まえていた。そのフリークスに父さんは殺されたらしい。
父さんを殺したフリークスを僕は調べた。やつらはヘッドというフリークスを筆頭に傍若無人に暴れ回っていた。そのくせ、尻尾は見せない。
いつしか僕にも子どもができた。男の子だ。
彼には母親がいない。じゃあ、どうやって彼は生まれたんだって話だけど、どうだったかな。とにかく、彼は僕一人で育てなければいけない。それなのに相変わらず、僕は父さんを殺したフリークスを探していた。
危険なことをしているとわかっていた。だから、僕は必ず帰ってくる、なんて言わなかった。大事なことは言葉にすると叶わない気がして、心の中だけで思うようにしていた。
あるとき僕はヘマをした。油断をしていたんだ。やつらの跡をつけていると思っていたら、つけられていたのは僕の方だった。
どこかのビルの一室に僕は囚われた。時計もなにもない部屋だった。床も壁も便所のタイルのようで、排水口には無数の髪の毛が詰まっていた。
拷問専門のフリークスは近づくたびに小便の臭いがする最低なやつだった。僕は新鮮な空気を吸うためにベランダに出ると、そこから飛んだ。
地面に激突するまでの間、僕は思った。必ず帰ってくる、なんて言わなくてよかったって。嘘をつかなくてすんだ。
無。
きっと無があった。認識としては墨汁の海に放り込まれた雨粒のような、ここでその一部になるんだという安心と後悔と諦めがあった。しかし、僕はそこで消失しなかった。
気がつくと僕は誰かと話をしていた。その相手は人のカタチをしていたが、きっと僕に合わせてそういう姿をしていたんだと思う。鳥には鳥の、魚には魚の、プランクトンや細胞やウイルスや石ころにだってソレは存在するんだろう。
閻魔大王ということにしておこう。一番近い表現が、それくらいしか思いつかない。比べたら木星と土星くらい違うのかもしれないが、僕にとっては同じようなものだ。
本当にいるんですね。僕はそう言った。いるといえばいる。いないといえばいない。僕にはそう見えるって、そういうことらしい。
いろいろな話をしたはずだが、大抵のことは夢の中で読んだ本のように頭に残っていない。それでも核心に迫る部分は断片的に覚えている。例えば、僕の人生のスコアみたいなものを彼は把握していた。今まで何回キスをしたとか、何回カレーを食べたとか。
まいったなあ、と彼は言った。僕が今まで嘘をついた数はゼロ回だった。僕の歳になるまで嘘をつかずに生きてきた人は珍しいらしい。
時間をやるから、ちょっと嘘をついてこいよ、と言われた。理由は教えてくれなかったが、彼には彼の都合があるらしい。それにな、と彼は言った。それにな、嘘をつくことはべつに悪いことじゃない、と。
僕には猶予が与えられた。一度だけ嘘をつくための時間。
また、家に帰れるなんて。
僕の子どもは成長していた。僕にとっては一瞬でも、実際には数年の月日が流れていたんだ。
彼は僕に泣きついた。
もうどこにも行かないと約束してくれって、ずっとここにいてくれって、彼はそう言った。
僕だってそうしたい。だけど、だけどなんだ。
ああ、いや待てよ。でも、それもいいかもしれない。それを聞いて彼が安心するならば。なるほど。嘘は全部が悪いわけじゃない。
僕は父さんと同じ言葉を彼に残そうとした。
嘘をつかずにいい子にしていれば、必ず帰ってくる。そう言おうとした。
だけど。
「僕は死んだんだ。さよならなんだ」
僕は自分の耳を疑った。しかし、それは確かに僕の口から出た言葉だった。
僕は嘘がつけなかった。
本当の言葉は彼を傷つけた。
彼は泣きながら家を飛び出した。
そして、彼は帰ってくることはなかった。
子どもを攫うフリークスに殺された。
彼は死んだ。彼はいなくなった。それなのに、与えられた猶予を使い切っても、僕はこの世に残り続けた。
閻魔大王のビジョンが僕の前に現れる。
まいったなあ、と彼は言った。そして、僕の身に起こっていることについて話した。
端的にいうと、こうだ。
『僕は死んだ』と言った。それを嘘にするために僕は死ねない体になった。嘘をつき続けるために生き続けなければいけない。そんなばかな。
閻魔大王のビジョンは僕の舌を引き抜いた。罰は罰だと。代わりに彼はコモドオオトカゲの舌をくっつけた。ふぉんなばかな。
これからどうする。
どうするって。それじゃあ、それならば、フリークスのクソ野郎どもをみんな捕まえてやる。もらった命はそれに費やします。僕は、そう誓った。
昔の思い出だ。夏になると思い出す。
「それで、このカボチャみたいな野郎が、子どもたちを攫ってるフリークスなんだな」
協会に籍を置くと、探していたフリークスの情報はわんさか出てきた。
「こいつらはマジで手に負えない。やってくれるならありがたいが」
俺は、人相書きを指先でつついた。「こいつはカボチャ、こいつはナスで、そんでこいつはスイカだな」
「あー? それはあんまりアテにならないぜ。目撃情報が少ないからな」
それでも、一人で追っていたときよりもずいぶん進んだ。
「閻魔大王が言ったんだ」
「エンマダイオウ?」
「夏野菜のケルベロスを作れってな。そうしたら、俺は向こうに帰れる。わかるか? 精霊馬だ」
「あれか。盆に飾るナスとかキュウリの。スイカは野菜かよ」
「それじゃあ、こいつはいただいてくぜ」俺はカボチャ野郎の人相書きをコルクボードから引きちぎった。
「ああ。気をつけろよ。ウッドペッカー」
いくらでも狩ってやる。
ケルベロスでもヒドラでも作ってやるよ。
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