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スローモーション

「あぁっ」
リュックを背負い、玄関に向かおうとした私。
夫は私の腕をつかんで、部屋の中に連れ戻そうとする。
私は夫の方を向き、それを振り払おうとする。
夫が私を、突き飛ばした。
私は、玄関のたたきに、後ろ向きに倒れていく。

その時、スローモーションみたいに、夫とのこれまでのことがぐるんぐるんと思い出され、父の
「女子どもに暴力を振るう男はダメだ」
という声が響き、
「あぁ、もう終わりだ」
という思いと共に、私の後頭部がたたきに打ち付けられた。

リュックを背負っていたので、それがクッションとなって、後頭部は
ガーン、ではなくガン、ぐらいに打ち付けられ、私は気を失わずに済んだ。

夫は、ニヤニヤしながら、
「大丈夫?」
と手を差し伸べてきた。

私は、手を振り払い、
「助けて!殺される!」
と叫んで、夫が動揺している隙に起き上がり、靴を履いて、玄関の外に出た。

そして事務所として借りていたワンルームに向かい、一晩を過ごすことにしたのだ。

ワンルームに着いてから確認すると、

私が倒れた際にクッションになってくれたリュックは、中に入っていたメガネケースがぐにゃりと曲がって変形し、蓋がきちんと閉まらなくなって、もう使えなくなってしまっていた。

携帯に、夫からの着信が何件も入っていた。それを無視していると、見慣れない番号からの着信があった。
「誰だろう?こんな時に」
と思って出てみると、警察からだった。私の叫び声を聞いて、誰かが通報してくれたらしい。
警察の方は、
「大丈夫ですか?」
と質問してきたので、後頭部を打ったこと、腕を掴まれた際に、掴まれた部分が赤くなっていることを伝えた。警察の方は、
「何かあったら、連絡してください。」
と連絡先番号を教えてくれて、電話は終わった。

少し落ち着くと、改めて、父の
「女子どもに暴力を振るう男はダメだ」
と言っていた言葉が思い出された。

夏に実家に帰省した際に、どういった話の流れか、父が
「女子どもに暴力を振るう男はダメだ」
と言ったのである。
その理由は、女性や子どもは、男性よりも力が弱い。それなのに、力が強い男性が力(暴力)を使って弱い相手に言うことをきかせようとするのはダメな男性が使う方法だから、とのことだった。
私はそれを聞いて、本当にその通りだと思ったのだった。

夫と私が、喧嘩で売り言葉に買い言葉の応酬になり、私の言葉や振る舞いが夫を焚きつけることになってしまい、今回のようなことになってしまったのだと思った。でも、だからといって、私の後頭部が打ち付けられたり、腕の掴まれた部分が赤くなっても仕方がないということにはならないのである。

それにしても。
今回の喧嘩の発端は何だったかと思い返してみる。

あぁそうだ、「焼肉」だった。

この日は、夕食に焼肉を食べに行こうという話をしていた。
そして、出かける時間になる前に、それぞれ別々に時間を過ごしていた。
夫はTVを観ていた。私はパソコンで作業していた。
しかし、出かけるのを何時にするのかは、決めていなかったのである。
私は、夫が「そろそろ行こう」と言い出すのを待ちながら、パソコンで作業していた。

しかし、突然、夫が
「今日、本当は焼肉を食べたくないんだろう!」
と私にいちゃもんをつけてきた。

私は、
「そんなことないよ。いつ行くのかな、と思っていたよ。」
と返答したが、夫は納得せず、
「本当は行きたくなかったんだろう!」
と怒り続けていた。

「そんなことないよ。いつ行くのかな、と思っていたよ。」
「本当は行きたくなかったんだろう!」

というやりとりを3回ほど繰り返したところで、私がうんざりしてしまい、
「じゃあ、今日は焼肉辞めよう。2人で食べるのも辞めよう。一人で食べるよ。私は事務所に行く。」
と言って、玄関から外に出ようとしたら、前述のように、突き飛ばされたのだった。

「これから、どうしよう…?」
父の言葉をもってすれば、もう、別れた方が良いのかもしれない。
それとも、許す?
許して、大丈夫なのだろうか?

だいぶ夜も更けてきた。でも、気が高ぶって、全然眠くならない。
私は、パソコンを起動し、DVについて調べ始めた。

調べてみてわかったことは、
男性は、暴力を振るって許されると、
「ここまでは許された」
と思ってしまう。
DV男性は、暴力を振るった直後は、とても優しくなる。けれども何かのきっかけで、また暴力を振るってしまい、その後はとても優しくなる、というのを繰り返す。
ということだった。

うーん。やはり、別れた方が良いかもしれない。

…夫との出会いは、結婚相談所だった。
夫のプロフィール写真が、優しそうで、とても素敵に見えて、お見合いを申し込んだのだった。
出会って二十七日目に婚約、百十一日目に再婚して、友人、知人に「アラフィフ婚活の希望の星」と言われたのだった。
まだ、再婚して3年しか経っていない。

はぁ。

3年間の結婚生活を振り返る。
夫は、素敵な一戸建てを持っていた。4LDKの、広々とした自宅。
この家の自慢は、泡の出るお風呂だった。この家では、泡風呂がいつでも楽しめるのである。リビングが2階にあり、ロフトもある。天井にはシーリングファンが回っている。そしていろいろな照明がついていて、シーンに合わせて点灯する照明を選び、色や明るさを調節して、リビングで過ごす時間を楽しめるようになっていた。
1階は、ウッドデッキ付き、それぞれの部屋には十分な収納があり、玄関収納も大きく、広々。本当に素敵なデザインの家だった。

でも、私は家と結婚したわけじゃない。

私と夫は都心に引っ越した。夫は仕事を辞めた。というのは、とても素敵な一戸建てだったが、少々田舎にあったのだ。そして、夫の仕事が辛そうだ、というのも理由だった。
都心に引っ越して、もっと身体をいたわれる仕事に転職しよう。
ところが、夫の転職がうまい具合に運ばなかった。なかなか仕事が見つからず、何とか見つかっても続かない。そのうちに貯金が底をついてくる。始終、お金のことでケンカする日々となってしまった。
そしてとうとう今回、夫の手が出てしまったのだ。

私は友人に相談した。その時、友人はこう言ったのだ。
「夫さんが、ちゃんと仕事についてくれて、今後もう二度と暴力を振るわないなら、やり直せるね。」

他の友人には、こう言われた。
「人間関係が理由で会社を辞めても、転職先で同じような人間関係の問題が出てくるように、今、夫さんと別れて別の人とお付き合いしても、同じ問題が出てくるよ。」

結局、数か月、悩んだ。
そして、私は決めたのだ。

DVのタガが外れた男性を、私は再び信頼することはできない。
夫と別れた後に、別の人とお付き合いすることは今は考えられない。でも万一、お付き合いすることになり、その際に同じ問題が出てきたら、その時は、その問題は、新しい相手と乗り越えよう。

そして、私は夫と離婚した。

あれから約5年。
今、私は事実婚の夫と暮らしている。
結婚相談所に入会して3日後に、婚活パーティーで出会った人である。
夫には、今までの人生で一番、女性として大切にしてもらっていると感じている。
DVの問題は、起きていない。

結婚相手が気に入らないからと言って、離婚が一番の解決方法だとは思わない。
けれども、離婚は、解決方法の1つにはなる。

私は、離婚して良かった。


#創作大賞2024 #エッセイ部門

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