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2.幼少期……

 私のことをさらに話す🗣️
 私は幼少期をとある飲み屋街で過ごしている。
 当時私ら家族が住んでいた家は、母が切り盛りしていたスナックの2階部分であった。
 私ら家族が住むスナックについて少し話せば、ニュー○○銀座とかいう名称で親しまれたまさに昭和感たっぷりの飲み屋街にあり、古めいたいくつかある長屋の角にその母のスナックは所在した。

 私も歳を取ったせいか、ふと子供の頃を思い出し、その飲み屋街を訪ねたいと思うことがあるが、もう全て取り壊されており、今となっては、見る影もない街並みに変化している。

 ところで、母のスナックの2階にある我が家について説明したい。
 今の言葉を引用すれば、端的に申し上げて、2階部分が全て畳部屋の1DKタイプ(居間兼台所部分が6畳、寝室部分が四畳半)という感じになる。
 ただ、トイレと浴室がないため、トイレとなれば、1階に通じる内階段を降りてスナックのトイレを使うことになるし、入浴するとなれば、近くの銭湯に行かなくてはならない。
 そして毎晩夜になれば、母のスナックに訪れる酔客のカラオケなんかの騒音に悩まされる、実に窮屈な家ということになる。
 
 ここまでお伝えすれば、もうなんとなく読者の皆様方はお気付きかも知れないが、父と母の職業や家の間取りから答えが出ているとおり、我が家は決して金持ちとかではないということである。
 この時代の当時を自分なりに分析しても、良くても中(ちゅう)の下(げ)…の家柄と言えよう。
 だから我が家は貧乏暮らしに間違いないのだ😞

 また、ここで付け加えたいのが、貧乏暮らしだけならまだマシ…!と言うことである😡
 正直な話、私が物心ついた頃から、父と母の折り合いが悪く、いつも夫婦喧嘩をしている家庭環境にあった。
 今この歳になって考えてみても、どうしてこの夫婦喧嘩が絶えない父と母から、私がこの世に生まれて来れたのかと不思議に思うくらい、その夫婦喧嘩はひどいものであった🌀

 夫婦喧嘩の中身までくどくどと書くつもりはないのだが、度々目撃する父と母の喧嘩は、時にはエスカレートして取っ組み合いになることもしばしばであった。
 とにかく父と母の喧嘩が始まると、誰にも伝えることが出来ず、逃げる場所も隠れる場所もなかった私にとっては、嫌で嫌で仕方がない過酷な時間であったことは紛れのない事実なのである。
 もちろん、両親の夫婦喧嘩については、私の記憶から1番に消したい嫌な思い出であることも言うまでもない。
 また、自分に子供はいないが、いれば当然、絶対自分の子供にはこんなひどい思いだけはさせたくないと常々思っていることも確かである。
 そもそも、父も母も家庭環境に難があって家を飛び出しているのに、なぜ自分らも家庭を持つなり、夫婦喧嘩が絶えない、同じような人生を歩むのか、不思議でならないと私は思う。
 そのあたりは、子供の私と言えども、かける言葉もなく、誠に情けない両親であると思っている。

 私の幼少の頃の趣味は早起きであった。
 朝6時頃には自然と起きていたのだか、起きるとすぐにパジャマ姿のまま家を出て、下水道から湧き上がるドブ臭い飲み屋街を私はうろついていた。
 散歩と言う感じではない。うろつく感じなのである。
 うろつく理由は、私の住む飲み屋街で飲んでいた酔客が、酒に酔って落としてしまった道端に落ちている小銭を拾うことであり、運が良ければ、一万円札なんかも拾うこともしばしあった。
 今ではちょっと考えられないが、この頃はまだ景気の良い時代が少しだけ残っていたので、外に出たらそんなことをしていたのだ。

 拾った小銭は、なぜかいつも母に渡しており、それを母はどうしていたのか、聞いたこともないのでその後の流れは分からない。
 きちんと母が私の代わりに交番に届けていたかもしれないし、もしかしたらそのまま生活の足しにしていたのかも知れない…
 
 ただ言えることは、その頃の私は、誰から教わった訳でもなく、早朝の小銭探しをするのが好きだったのだ。
 加えてもっと言えば、なぜか道端で寝込む酔客の姿やなにかの揉め事で駆け付けたお巡りさん方がいる人だかりなんかを眺める人間観察というのが好きだった。
 だから早起きしていたと思う。

 また、この頃の私は、周りに私くらいの小さな子供がいないこともあって、近所のスナックのママさんなんかに非常に可愛がられていた。
 そしてそのスナックのママさんらのお店を毎日のように訪ねていた訳なのだが、私が顔を出せば『あら○○ちゃん、また1人で遊んでいるの?うちの子になるかい?』なんて声を掛けてもらい、たちまちそのお店のお通しで使われる、お菓子やオレンジジュースなんかを出してもらってもてはやされ、まるでそのママさんの子供のように可愛がってもらっていたのだ。
 どこのスナックを訪ねても、そんな感じで可愛がってもらっていたので、この頃の私としては、忌々しい、父と母の夫婦喧嘩を除けば、実に王子様気取りの幼少期と言えた。

 このように私の幼少期は、普通の子供なんかよりも大人じみた刺激の強いものになり、常時、夜の大人の女性に囲まれた生活をしていた。
 
 これがまさに影響しているからだと思われるが、なぜか私は子供の頃から同学年や歳上の女性に可愛がられ、またその懐に入るのが上手い性格になっていったように思う😃

以下余白

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