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私が『GOTCHA!』でポケモンに会えた話

ポケモンとBUMPのコラボした『GOTCHA!』

ポケモンに触れたことのある人なら、きっと誰もが「おおっ」となるような素敵なMVですよね。

そんな『GOTCHA!』を見て、子どものころポケモンで遊んでいた私が、大人になってポケモンと出会えた話をしたいと思います。

そして叶わくば、『GOTCHA!』に携わった人達に、この気持ちが届くことを願っています。


*


「ポケモンが出てきてくれないかな!」
「ポケモンの世界って楽しそうだな」

確か、祖母にクリスタルを買ってもらったとき。わたしはこんなことを言った。

当時のわたしは田舎の山奥で、祖父母と共に住んでました。

クラスの同級生は10人。友達と遊ぶにも、滅多に来ないバスに乗って友達の家まで行かないといけない。もちろん周りには公園などの遊び場はなく、一人遊びは自転車で家の前をぐるぐる回ること。

そんな環境にいたわたしが、テレビや友達の間で話題になっている『ポケットモンスター』にハマるのは、時間の問題でした。

親に頼んで赤・緑は両方買ってもらった。ピカチュウ版も買ってもらった。ポケットピカチュウも腰に携えて家の周りを用もなく歩き回ったり(もちろんめちゃくちゃに振ったりもした)、金・銀も当たり前におねだりして買ってもらった。

最初にもらったヒトカゲを、リザードンに進化させてレベル100にした。何度も四天王に挑んだ。リセットして、またヒトカゲを選んで、同じようにプレイした。

いま思えばすごい熱量だったと思う。毎日、飽きずに草むらに潜って、手に入れたことのないポケモンを手に入れようと躍起になってた。進化させるために、がくしゅうそうちを持たせて四天王に数え切れないほど挑みに行った。

もちろん友達ともポケモンで遊んだ。

ヒトカゲやヒノアラシを進化させてレベル100にしたことで、友達にすごいと褒められて嬉しかった。通信ケーブルを持っていたから、友達とポケモンを交換した。

帰ってきていの一番にゲームボーイを持って、ご飯の時間までずっと遊んでた。友達と遊ぶときもポケモンの話ばかりだったように思う。

ポケモンスナップも、げんきでちゅうも、ピンボールも、パネポンもやった。ポケモンスタジアム2のミニゲームもみんなで遊んだ。

ポケモンはわたしの中で、それだけ魅力的な世界でした。

ポケモンがこの世界にいたらどんな感じなんだろう!

そんな無邪気な想像は、ポケモンに触れたことのある人は誰しもが考えたことと思います。もちろん、わたしもその一人です。

これだけレベルを上げられてるんだから、わたしは友達の中でもトップクラスのトレーナーになるだろうな! なんて妄想したりして。


金・銀のあとにクリスタルが出たときも、もちろんわたしは買って欲しいとねだりました。

山奥に住んでるので、滅多にゲームを売っているようなお店に来ることがなかったわたしは、クリスタルが売られているのを見て、ちょっと駄々をこねた記憶があります。

一緒に来ていた祖母が折れて、クリスタルを無事に手に入れられました。そのときのわたしは、もう小躍りしそうなほど喜んでいました。実際躍ってたかもしれません。

だから、そんなテンションでわたしは祖母に


「ポケモンが出てきてくれないかな!」


なんて言ったのです。

きっと楽しい。将来的に、きっとリザードンもピカチュウもイーブイも、この世界に現れて、毎日楽しい生活になるんだ!

どこからそんな自信が、と思うほどに、わたしはいつかポケモンが目の前に現れてくれることを信じていたんです。


「無理だと思うよ」


祖母の返事は、こうでした。


ーーガラッと、なにかが崩れた音がしました。


わたしは祖母に、


「きっといつか来るよ!」

「みんなに会えるといいね!」


そう言ってもらえると信じていました。


ーーあれ? なんで、無理なんて言われたの?


いつかポケモンと会えて、一緒に生活して。

そんな世界を夢見ていた子どものわたしは、誰か大人に『いつか来る』と言ってほしかったんです。そうすれば、期待して待っていられる。子どもの夢なんかじゃなくて、大人の説得力がある。

だから、会えるって言ってほしかった。

でも『無理』だって。

身近でわたしがどれだけポケモンが好きか、知っているはずの祖母に否定されてしまった。

それだけで、大人はみんな『無理』だと思っているんだ、と思い込んでしまうぐらいには、わたしの環境は狭すぎたんです。


ーーあぁ、彼らには会えないんだ。


なんてことを、クリスタルを握りながら思っていました。


*


それからわたしも少し賢くなりました。

ポケモンとは作られた存在で、ゲームの中だけにいるものだと。それらが、わたしの生活している世界に現れることはないのだと。

ちゃんと学びました。ルビー・サファイアもやっぱり買ってもらってやり込んでいましたが、ゲームだと割り切ってプレイしていました。

当たり前のことですけど、わたしにはそれが少し寂しかった。


それから少しして祖父母の家を離れ、父と暮らすことになりました。学校も転校した。

家庭のバタバタもあり、ゲームを買う余裕なんてない。

欲しいな、とは言ってたけど、結局買ってもらえなかった。

それが、わたしがポケモンから離れてしまった理由でした。

あまりにも呆気なく、ポケモンの新作が出てもプレイしないような、そんな生活になりました。

あんなに熱中していたのに。離れるのは簡単でした。


*


大人になって働き始めたころ。ポケモンGOが配信されました。

街中にいるポケモンを捕まえられる。

なんだか胸がそわっとしたのを、覚えています。

仕事の休憩中にダウンロードして、街を歩いていたら、ヒトカゲに会えました。

もちろん捕まえました。道の端で立ち止まって、慣れない操作ながらに捕まえられたーーわたしがはじめて出会ったポケモン。

確か、背景はVRにしていました。だから、わたしのいつも生活している世界に、まるでヒトカゲがいるようでした。

画面越しだけど、そこにいるみたいで。

少し、目頭が熱くなったような、そんな気がしました。


それから、時間があるときはポケモンを捕まえて遊んでいました。

出不精だから通勤中に起動して、震えたら立ち止まる。

ちょっと行かないところに行ったら、ポケストップを探してみたり。捕まえたことのないポケモンがいないかなって、ウロウロしたり。

VRモードで写真も撮った。当時彼氏だった、現・旦那のそばにポケモンがいるような写真を撮ってにやにやした。

ポケモンがこの世界にいるみたい。

そう思って、子どものころの夢が少し叶った気分だった。


*


「ポケモンとBUMPがコラボしたやつ、動画上がってるよ」


彼氏が旦那に変わるぐらいの時間が経って、ポケモンが『いるような世界』が当たり前になっていたころ。

名探偵ピカチュウの世界いいよなー、なんて言ったり、登場作をプレイしていなくて申し訳ないけど、見た目から大好きになったミミッキュの一番くじを求めて店舗をハシゴしたり、ここ最近はポケモンの存在が身近なものになっていました。

旦那から言われて、じゃあ見ようか、とYouTubeを起動した。

コラボするのはTwitterで知っていました。でも、そこまで興味はありませんでした。トレンドで情報を見た程度だったので、ピカチュウとか人気どころがちょっと出るぐらいのMVじゃ? って思っていたからです。

ちょうどSwitchを起動していて、YouTubeも入ってる。大画面で見てみるか。

そう思いながら『BUMP ポケモン』と検索しました。

検索結果のサムネには、ユウリちゃんが映っていました。剣盾とのコラボ? あー、買っておいて積んでるから、剣盾やらないとな……。

そんな気持ちで、お風呂上がりのスキンケアが終わって、まったりムードのときに『GOTCHA!』を見ました。


それは、わたしが想像していたものとは違いました。よく動くアニメーションで、ギャグチックな作画のピカチュウとイーブイがいる。

見たことのあるジムリーダーが、ちらりと映る。

自分の分身だった主人公たちが。

グリーンが、レッドが、懐かしい顔が。

話題の剣盾のリーダーたちが。

ポケモンを起動して、はじめて出会ったオーキド博士が。


ーーそして、そのあと笑顔で映る、最初に選ぶポケモンたち。


たった3分ほどの短い動画。その中に、これでもかってほどの情報量があって「すごい」。

それがはじめて『GOTCHA!』を見たわたしの感想でした。

想像よりも、ポケモンファンが喜びそうなMVだった。だって現にわたしも、ルビー・サファイアまでしかプレイしてなかったわたしでも、胸がドキドキして、なんだか目頭が熱く……


……え、なんで泣きそうになってんの?


びっくりしました。わくわくすることはあるだろう。子どものころを思い出して、懐かしいなって思うことはあるだろう。

でも、それらとは違う感情がわたしの胸を支配していました。

わけがわからなくて、再び再生。また泣きそうになる。

また、再生。目の奥がじんじんする。


なんで、こんな気持ちになるんだろう。

画面の中の懐かしいキャラクターたちは、みんな楽しそうなのに、なんでわたしは泣きそうになっているの?

そう思って、歌詞を追いました。


魂がここだよって叫ぶ


この歌詞に、胸がどくんとなりました。

BUMPの藤原さんの優しげな歌声にのせて、そのフレーズが耳に残ります。


わたしはTwitterを見ました。

子どものころの思い出が蘇って、わたしと同じように泣きそうになっている人がいて安心しました。色んなトレーナー、ポケモンが出てくるから、自分のプレイしていた記憶とリンクして感動してるんだな。

色んな感想を見て、わたしもそうだなって共感しました。

日付が変わって、iTunesで配信されたアカシアをダウンロードして聴きました。

映像がなくて、藤原さんの声がよく聞こえます。でも、あの映像もないのに、また泣きそう。

どんな歌詞なんだろう、そう思ってフルの歌詞を確認しました。


ーーそしたら、わたしはポケモンに会えました。


何言ってんだこいつ、って、思うかもしれません。でも、わたしは、ポケモンたちに再会できたんです。


ーーアカシアの歌詞は、ポケモンからわたしたちに向けての曲でした。


最初にあのMVを見たとき、トレーナー目線の曲だろう。ポケモンと過ごした日々を歌ってるのだろう。そう思っていました。でも違った。

あの歌詞は、ポケモンたちからわたしたちに向けてのものだ。

それに気付いたとき、涙がわっと溢れました。顔がぐちゃぐちゃになるぐらい、ぼろぼろと涙が零れてくる。


君を見つけたときに、君に僕も見つけてもらったんだな
君のそばで、魂がここだよって叫ぶ
泣いたり笑ったりするとき、君の命が揺れるとき
誰より近くで、特等席で
僕も同じように息をしていたい
君の目に映る景色に居たい
僕の見た君を君に伝えたい


君がいることを君に伝えたい


歌詞の、すべてのフレーズが


僕たちはここにいるよ! 


って、そう言っていた。

ずっとそばにいたんだよ、君のそばがいいんだよ。

ポケモンが、そう言ってる。これは、そんな歌詞だ。

公式のMVで、ポケモンがここにいるんだって肯定してくれている。

ーー公式が、ポケモンの気持ちを歌詞にしている。

それに気付いたときに、胸につっかえていた何かか取れたみたいに、わたしは泣きました。


あぁ、わたし、ポケモンに会いたいって思ってたなって。

友達に簡単に会うことができない環境で、ゲーム画面の奥にいたポケモンたちは、いつの間にかわたしのかけがえのない友達になっていたんだ。

だから、わたしはポケモンに会いたかった。同じ時間を過ごした友達に。

それを否定されて、傷付いた。

会えるわけないって、自分に言い聞かせて。

あのとき言われた『無理』という言葉。あれが、わたしの中で呪いみたいになっていたんだ。

それを、『GOTCHA!』は解いてくれた。



会いたい? なあに言ってんの。もう会ってるじゃん。

君がポケモンと過ごした日々は、作り物なんかじゃないよ。

確かに、君とポケモンは、出会ったんだよ。

友達だよ。


子どものわたしが言って欲しかった言葉を、全部全部、言ってくれた。

会いたいって思っていることを肯定してくれた。わたしがあの世界で過ごした日々が、本物だって『ポケモン』が言ってくれた。

それだけで、涙が止まらなかった。


なんだ、わたしが気付いてなかっただけで、もう、みんなと会えてたんだ。

『GOTCHA!』がそれを、気付かせてくれたんだ。

このMVは、わたしたちがポケモンと過ごした日々が本物だってことを伝えるためのものだったんだ。


ひとしきり泣いて、ふと顔を上げたら、また違う歌詞が脳裏に浮かんだ。


言えない事聞かないままで
消えない傷の意味知らないままで
でも目が合えば笑えるのさ
涙を挟んでも


不思議と、目の前にポケモンがいるような感覚になりました。

それは、ヒトカゲなんだろうか。それともピカチュウ? 涙で視界が霞んでいて、よくわかりませんね。

でも、きっと目の前の友達は笑ってくれてる。

なんとなく、そう思いました。


ずっとそばにいたんだね。

また、会えたね。



ーーわたしは、ポケモンに出会えました。



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(歌詞の掲載が問題あるようでしたら、すぐ消します)

(note初投稿でした。ここまで読んでくれて、ありがとうございます)

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