見出し画像

いじめられた方に問題がある

虐めは虐められた側に問題があるし、侵略は侵略された側に問題があるし、暗殺は暗殺された側に問題があるんだよ

そもそも「問題」とは答えを出す為の課題であり、あって悪いものではない、変えられそうにない運命に問題を見つけ、答えを探し、解決に向かっていくことが、人間の生きる道であるからだ

虐め・侵略・暗殺された側に「問題が無い」としてしまうのは「虐め・侵略・暗殺される側はいかなる手段や努力をもっていても逃れる事はできず、必ずその被害に遭う」と主張しているも同然である

こうした「問題が無い」論は一見善良に見えるが、被害者の「選択によって自分の運命を変えて行く力」を全否定しており、抑圧的で、自らの力に依存させようという邪な考えに基づいている

大事なのは問題に立ち向かう事、そして周りが立ち向かう当人を支援することだ

例えば、いじめられっ子には問題がある。弱い事だ。いじめられっ子は体を鍛え暴力を身に着ける必要があるし、周囲の大人はそれを応援し、格闘技を教えたり、栄養のあるものを食べさせたり、支援するべきなのだ

大抵の場合、悪いのは「問題に対する取り組み方」または「綺麗ごとで問題の本質から逃げる大人」である

例えば、暴力を肯定したくないという大人の身勝手で、虐められっ子が「面白くないから虐められる」という事にして、内気な子に無理矢理芸をさせたりな、こういうのが悪いのである

ナイフを所持していて、暴力に対して躊躇なく切り付けてくる内気な子供をいじめる人間などいない。それで解決だ

だが世の中には「自分が理想とする手段でしか問題を解決したくない」という腐った教師が居る。テストの解法に文句を言うタイプと同じ人間だ。こういう人間がいじめを解決できない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?