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寄宿舎と私

(トップ画像で手前が勤務先、後ろにあるのが寄宿舎であり高校時代の住処である。3年間、過ごしてきた思い出が詰まっている。)

きこえる人から聞くと「寄宿舎」って何か。分からないことが多いだろう。これは特別支援学校ならの特別な呼び方であり、一般的に言うと「寮」であり、実家が遠い生徒が一時的に住む場所として指すことである。寮がある一般学校は少ない。でも特別支援学校というのはほとんど、「寄宿舎」があるわけである。

 そして母校では、徒歩3分程度で着く距離で建てられている。朝夕の通学がとても便利である。だから遅刻ギリギリに通学する人もいれば、忘れ物をしたらすぐ取りに走って戻ることは日常的茶飯事である。笑(今は、これが伝統的に踏襲して特別扱いしてはならない。社会人としてのマナーとして怠けてはならないよう、考えを改め厳重に注意しているため、このような機会は減ってしまった。しかし高校生当時の背景はこれが当たり前であり、親近感があったといっていいお世話になった場所である。)

 私は、この寄宿舎に入る選択としてまず通学が便利ということが第一の理由であるというわけではない。同級生や先輩方との時間を増やしたい。親から離れたいということが大きな理由であった。全く違う環境で生活したいという好奇心が強かったことを覚えている。そのため2つの違いがあった。

1)早朝6時に起きて先輩方数人とサッカーしたり、走り込みする。そして夕食後もグランドに行ってサッカーする。夜の自由時間ではこっそりテレビゲームして遊んだりして先輩方と濃い時間を過ごしていた。

2)恋愛では、よく見られる雰囲気であった。夜の自由時間では、食堂にカップルが制限時間ぎりぎりまであちこちとイチャイチャしているわけである。付き合っていない私にとっては羨ましいかのように覗いたりするというか邪魔したりといたずらで厄介することもよく当たり前のように先輩後輩との関係が多かった。「あの人が付き合っているー」「別れたのに今度は、あの人と付き合っていたんだね―。」ということも今となっては懐かしい話題で盛り上がるわけである。

 ということが寄宿舎から色々なドラマが生まれるわけである。きこえる人から見るとイメージできないかもしれない。逆にきこえる高校生で見ると、放課後にどこかのゲーセンや買い物したり、カフェでまったり過ごしたりして夜に家に帰るような風景と重なっていることだと思っている。実にきこえる文化ときこえない文化ってやっていることは、同じことで面白いのだ。

きこえる人が寄宿舎で生活していたらどんなことだろうか。

きこえない人がどこかのゲーセンに行ったり買い物したりしていたらどんなことだろうか。

という娯楽の時間を通して、人間関係が作るわけである。しかし、当時の私は全てをサッカーに費やした思い出しかない笑!朝から夜までほぼ毎日、サッカーでK先輩、O先輩、I先輩の4人でつるんでいることが多かった。しかし、先輩はモてるために恋愛の時間だけは別であったことも笑える懐かしい話である。今その先輩はそれぞれ結婚しているし、恋愛も豊富なわけだ。実に羨ましい限りである。

 でも残念なことに今コロナ禍でその機会(日常的なこと)が出来なくなって、しかも時間の流れも変わっているということを後輩つながりで情報を聞いたときは可哀そうな気持ちであり、青春を楽しんでいるのだろうかと。卒業生の一人として不安である。でも教職員の立場としては、申し訳ないぐらいで複雑な気持ちなのだ。

 せっかく3年間、色々なところから集まってくる先輩後輩たち・同級生との過ごし場所なんだからこそ色々と濃い時間を作って欲しい。恋愛なり、好きなことなりして一緒にいることでお互いに成長していけば卒業後またどこかで再会したときにあの頃の懐かし話で盛り上がるわけで面白いのである。このことがきこえる人とは違うろうコミュニティーとしてとても重要なことであろう。

私は、ろうコミュニティーが嫌いなところもあるが別にその経験があったから今も先輩たちや後輩たちにも一人の人間として語るように接しているように努力している。しかし、過去は変えられない。イメージは努力で変わっていることを伝えるように行動しなければならないところである。きこえる人では、そのことをまったく気にしないことかもしれないが、きこえない人の世界にはそこに躊躇する方々も多いわけである。(※同級生とは何人か縁られたようで、同級生という存在は薄くなっている。情けない自分である。)