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デフリンピックについて②

先日の投稿「デフリンピックについて①」の続きに入る。デフリンピックについて、基本的なことから話を始めたのは、理由があった。

 実は少子化の影響だけではない。世間の環境が子どもに影響を与えているのだ。例えばどういうことなのか。筆者が出会った例を挙げてみる。

1、ゲームが好きで運動しない子ども

⇨これは、情報化社会でSNSやネットゲームの発達により小さい年齢の時からIT(スマホやPC)に触れることになるとついハマってしまうという。親の教育次第では、何にも言わずに放置していくことがあって外に出ないで家に居る時間が長くなってしまう。また勉強よりゲームといった悪習慣を身に染めてしまう実態も起きている。実に良くない情報モラル問題も増えていくという現状だ。これはきこえる子どもだけではない。

 きこえない子どもにとっても同じ実態の子どもを私は何人か見てきた。特に一番ショックを受けたのは、ろうコミュニティーにおいて仲間との上下関係が緩い環境のために先輩に誘われて一緒にネットゲームをしたりすることもある。そこでトラブルが起こると人間関係が悪くなったりする。家庭より自分一人で何とかするという強い気持ちで余計にゲームの世界にハマってしまうという実態もある。筆者はその一人に会った時、接し方の難しさを感じたのだ。(後にその子に筆者は、足並みを合わせようと考え、ゲームの話題という共通点を持つことでかつきこえないという当事者ならの共通点を共有しながら、対面で会話していくことでその子はしっかり社会で活躍できるようになった。)

2、運動は好きだけど時間制限ややらなきゃいけないことあって全力で臨めずに心理的不安定になる子ども

⇨これは、大人の都合を押し付けるということが筆者は問題点だと挙げる。運動が好きならば、趣味があって良いことだと褒めてあげ、その得意なことを伸ばしてあげるという考えで教えていかなければならない。または伸ばしてあげるために他のやらなきゃいけないことをいかに時間の使い方をどう工夫するかということを心理的に配慮させることが、支援する側の必要なことだと思う。支援する側がその配慮を意識するのが下手で努力しようと考えず、都合を押し付けることを無意識にしていることだろうと私は感じるのが多く、子どもたちに真摯に向き合っていない良くない例だ。

 何でもこれはやらなきゃいけないというのはない。確かに必要だということもある。でも無理矢理やってあげてもそれは、本人のモチベーションが良い状態で臨めないと意味がない。時間制限というのもルールに縛られて自由がなくなると心理的にもストレスが溜まるように気付かないうちに与えてしまうのと同じである。つまり、大人たちはかつて経験したことだから、その経験をしっかり伝えようとする気持ちはあるかもしれない。でもその経験は過去であって、今の子どもたちは通用しない。時代に沿っていかに思考法も古い慣例にこだわってはならない。その子それぞれに応じて柔軟に対応することも大事な時代に入っている。ということを筆者は考えている。

 運動というのは、身体を動かすことだから汗を流すことがストレス発散になるのも良い。好きなことだからさらに伸ばしたいと一生懸命、取り組むことも良い。その子がやりたいと思う運動に向かう姿勢は勉強よりとても役に立てる。例えば、社会に出て過労な重労働があるとすると体力が求められる。体力がないと仕事は出来ない。体力が自身のある若い人を雇用したくなる企業は多い日本である。高齢化社会になってくるので、今後は体力も一つの選考になるので、体力づくりという視点においてきこえない子、きこえる子どちらでも共通している課題であろう。

3、「目標がなくてただあるから」という単純で入って取り組み始める子ども

⇨目標を持つことは人間の成長においてとても重要なことだと筆者は思う。何にも考えずに適当に生きていても楽しくない。目の前にあることを取り組むことで本当に自分らしさを出せるだろうか。自分らしさを出すことがそれぞれの個性で良いことだと考える。そのためには単純で始めるようにするのではなく、色々な選択肢を与えるようにすることで子どもは何かに興味を持つ。興味を持つことで取り組み始めたいと思うことが良い選択をする行動になる。途中からでも遅くない。最初が関心なんだと思う。

 実にろう学校というのは残念ながら、自分がやりたいと思うことを主張できずに目の前にある限られたことに選択肢があってそこで仕方なく始めるといったことが多い環境だ。特に部活動である。きこえる子は、部活動のあり方で進学先を考える子は多い。サッカーの技術を伸ばしたいという夢をもつ子は、強豪で有名な高校に行くとか。野球がしたいなら、野球部のある高校へ行くとか。というように部活動も自分がやりたいかどうかの選択肢があって進学先を決めるケースがある。

しかし、きこえない子は部活動ではなくまず情報保障があるかないか。学力はついていけるだろうか。という視点で選択肢が少ない。その子がきこえる世界という興味に対して強く入学したいと思うきっかけがない限り、部活動の視点は全く考えない。そして高等部(ろう学校)に入ったら、まず部活動に入らなければならないという雰囲気で、そこで選択肢が自分に合わなかったりすることもあれば、先輩の声がけに負けてしまって始めようとするとか。中学の時にやったから継続で高校も続けていくというような流れになるわけである。

 こうして高校3年間が終わると、部活動から社会人への継続的な取り組める環境というのは限られてくるのだ。例えば、3年間一生懸命取り組んで成績が良くなり楽しくなったと思ったら、もっと長く続けられるように地域でどこかのやっている場所を探して参加するとか。企業側の同じスポーツ仲間に入って臨む(実業団みたいな活動)などもある。選手として、自分一人で練習時間を確保することもある。

 きこえない子というのはどうだろうか。2つの選択肢が限られている。1つ目は、先輩たちの集まりに誘われて継続的に取り組める場所がある。もう一つは、スバっと辞めてしまいしばらくしていないということである。特に北海道は残念ながらもったいないことがある。これについては、後日に執筆していきたい。

 というように3つの実態ある例を挙げたが、子どもたちが出会う部活動の在り方だったり家庭環境の在り方でスポーツを一生懸命やるということは難しい社会になっている。デフリンピックというのは、その夢を与えるための大きな国際大会であり、かつスポーツに一生懸命取り組む選手の姿というのはかっこいい印象であるはずだ。自分がこのようになりたいという憧れの人間の生き方ということを見つけることができる夢のある話だと筆者は考える。筆者は、デフリンピックの存在を知ることで改めてスポーツに一生懸命臨んでくれる子どもたちが増えていくことを願っている。

認知度を上げるためにはこの話も必要と考え、執筆してみた。他の課題については、YouTube動画「デフリンピック日本招致に向けて②」を視聴してくれば幸いである。海外に比べて低い日本が今から出来ることは何だろうか。と思うきっかけになればいい。