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時代をみる授業づくりにおける事柄とは

今年1年間の学びで大きく得られたことは、タイトルの通りである。
「時代を見る授業づくりにおける事柄とは」って、はて?何のことかな?と疑問に考えますね・・・。笑その通りです!素人とか、全く勉強しない、苦手だという方々から見ればごく難しい頭が痛くなる程なんですよ・・・。汗

そんな学びを得た私は、以下のレポート内容を通して社会科における授業の観点をどのようにして生徒たちに伝えていくべきだろうか。ということを考えることがあったので、紹介していきたい。(なお、一部加筆修正の上で大学にレポートとして提出しているものとしている。)

はじめに
 近世分野からは、提出したレポートより引き続き「鎖国下の幕府と藩の意識とは」で近代分野からは、「憲法下の日本」を挙げる。その理由として、2022 年度から始まる「歴史総合」 「日本史探究」という科目の観点に照らし合わせていろいろな視点からまとめてみたとき、 自分が教員の立場であれば生徒の身近な生活で気付く話題に興味・関心を持たせることが大事なので、このように課すべきではないかと思ったのである。なお、近世分野については捉え方は色々と存在し、あくまで自分の理解している範囲でまとめていることや近代分野においては現在、政府内で議論がある社会的関心に結びつけたものであり、力を入れていることはご了承願いたい。
一、近世分野「鎖国下の幕府と藩の意識とは」を挙げる
ここで指す内容としては、生徒の立場でいうとシンプルな疑問がある。「鎖国で本当に日本は海外とのつながりを断ち切っているのか。」ということである。実際に取り組む中で、「鎖国」という定義について、異なった捉え方で歴史学者が述べるには、「鎖国状態」「海禁政策」などの表現が挙げられる。これは生徒自身が教科書で学ぶことで気付くことはあまりない、専門外の学びだろう。歴史の教科書などで学習する一般的としては、私が高校時代に 使っていた教科書によると以下のように述べている。

【幕府は、キリスト教の禁圧を強化するとともに、貿易を幕府の統制下におく方針を推し進 めた。ヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎の2港に限定し〜〜(中略)キリスト教禁止の徹底を図った。(中略)外国との関係は幕府の完全な統制のもとにおかれ、こうした鎖国の政策によって海外への道が制限され、日本は世界情勢の影響をあまり受けなくなった。その反面、幕藩体制が長く維持され、独自の日本文化が形成されることにもなった。】
 (「新選日本史 B」:平成 18 年度発行より一部抜粋) 

としているように多くが同様の解釈されていることをまとめてみた。ここで今の海外のつながりに視野を向けたとき、昔の当時の時代背景は「なぜ貿易を厳しくしていたのだろうか。」という疑問が作られるので、生徒にはこのようなテーマで一つ考えさせたい。
2、「鎖国」について考察する
 歴史の教科書では、完全に断ち切っているのではなくて、長崎においては中国とオランダ、薩摩においては琉球、対馬においては朝鮮、松前においてはアイヌと交易を行っていたこと がわかる。交易の形態においては長崎においては幕府が直轄したが、朝鮮に対しては対馬藩 宗氏、琉球に対しては薩摩藩島津氏、アイヌに対しては松前藩が介在する形で行われたと認識している。要するに「鎖国」したのではなく、「鎖国状態」であったと認識する方が正しいかもしれない。(佐々木、2000)いうことが述べられている。
 また吉村(2017)によれば、 前者の述べた「藩」において鎖国と同様に、幕府が対外関係の窓口を4つであると意識したもの、18世紀末から幕末期に欧米諸国からの通称要求に対応する過程において〜(中略) それぞれ4つの自藩の役割を意識したが幕府にとっては、大名一般が幕府を守ることは当 然のことであり、対外関係上の役割を強調する「藩」意識をそのまま認めることはなかった。 (中略)こうした「藩」意識は大名の自己認識にとどまっていたが、幕末期は外国に対する 「藩」の守りの役割を多くの藩に求めざるを得なくなった。と記述されている。これは、どういうことなのか。と私は疑問に感じた。 長崎通詞・志筑忠雄(1760-1806)の訳書『鎖国論』にてこう述べている。「国を鎖し」「国の内外を問わず外国人と交易することを許さないこと」といったように、ケ ンペルは「鎖国」の概念を表現したが、はっきりと「鎖国」という言葉を使用しては いない。そもそもそれ以前の日本には「鎖国」という言葉はなく、日本は本当に「国 を鎖し」ていたのだろうか。ということになる。

 以上、この2つの視点から最初の問いに戻ると日本としては幕府が「鎖国状態」で あったとしても「藩」の立場からは欧米諸国などの通商を必要とされており、要求に応じるべきという考えを持っていたことから幕府との考えと相違していることが明らかになっている。これが完全に海外のつながりを閉じているという表現でもなく、「海禁政策」の表現で結論をいうと「鎖国」という見方は、幕府の諸藩への支配を持 続させるためであり、中国の海禁政策を手本として行われたものであり、江戸幕府の成立によって日本でもようやく中国や朝鮮と肩をならべるような対外関係の強力な掌 握が可能になり、東アジアの国際的秩序の日本的表現として「鎖国体制」が出来た (田中、1975)という答えになる。このような背景から、精神面において国民を支配するため幕府側は、主にキリスト教の禁止を徹底するためで諸藩がそれぞれにおいて外国と交流して経済的にも軍事的にも力を強めることは、幕府が日本を統治していく 上で支障をきたす恐れだったと私は気付くわけである。生徒にもこのようにして考えさせるきっかけも一つの学習になればいいと思っている。
3、近代分野から「憲法下の日本」についてを挙げる
 ここで指す内容としては、生徒の立場でも普段の生活する中で、日頃ニュースなどで政府の動きに着目する必要がある。そこに触れる動きでいうと、「憲法改正」という議論が起こっている。将来の日本の在り方が変わるかもしれないという憲法改正がどのようになるのか。ということから憲法改正が現実味を帯びた形で論じられるようになった昨今の時代背景を念頭に置きつつ、明治維新の一つの帰結として大日本帝国憲法を振り返り、現代における課題の根源とは何かを生徒に考えさせたい。
4、「憲法下の日本」を考察する
 立憲主義の思想は、ヨーロッパ大陸、アメリカ大陸およびアジア諸国に広まり、多くの国 の憲法で採用され、各国の歴史的あるいは社会的状況によって、原則や制度は異なるものの、 「代表民主制の原則」、「基本的人権の保障」、「権力分立の原則」、「法の支配の原則」、責任 内閣制といった「責任政治の原則」は、国家権力を抑制する役割を果たすための原則であり、 近代憲法に共通したものである。近代市民革命を経た「近代立憲主義」は、「自由国家」の 下で進展した。国民の「国家からの自由」に留まらず、「国家への自由」を認め、国民の地 位を「臣民」から、「市民」にまで引き上げ、国民主権および憲法制定者としての「国民」 の観念へと発展させた。また、自由・平等な個人の競争を通じて調和が実現されると考えら れており、国家は経済的・政治的な干渉を行わず、社会の最小限度の秩序の維持と治安の確 保が主たる任務である「自由国家」(消極国家・夜警国家)としての役割を担ったといわれている。と佐藤(2016)は述べている。

 もう一つ聞くことばが「民主主義」であり、今の日本を形成している。この民主主義とは何か。リンカーンが唱えた有名な台詞「人民の人民による人民のための政治」である。しかし多くの市民が政治に参加することが望ましいと考えるだけではない諸説がある。一般的な論ではあるが、「民主主義」を簡単に整理しておきたい。まず多くの市民が政治的に深い 関心を持ち、政治討論と政策決定過程に直接的に参加する、これは古典的民主主義と呼ばれ、 ルソーに代表される考え方である。また市民の政治参加がより民主的市民を育成し、ひいては政治システムも安定するとしたウォーカー、功利主義的道徳がもたらされる政治参加に 大きな意義を見出したミルも含まれることを高校「倫理」の教科書から私たちの授業の中で 学ぶことは多い。

 そして現代憲法(日本国憲法)においては、政治・経済・社会の課題が多く、その変容が 多様化している現状にある。これは民主化により、国政を国民の自己決定によるものとする 原則が成立し、国家権力と自由が同化している状態であったために起こりうる状態である。 また、資本主義の高度化は、国民に対し不自由・不平等な状況を強いることとなったため、 国民の実質的な自由や平等を確立する「社会権」が登場したことを社会科の授業で誰もか一 度は聞いたことあるでしょう。日本国憲法にあっては、明治憲法の改正という経緯で学ぶ内 容を以下の通り挙げる。(芦部、2015)
 天皇主権から国民主権(前文、1 条)へと転換し、統治権力を中央政府と地方政府に分か ち(92~95 条)、「立法権」は、41 条、43 条 1 項に、「行政権」は、65~67 条、「司法権」は、 76~78 条に明記されている。11 条「基本的人権」の根拠が 97 条に示されており、この根本 原理を包括的かつ象徴的に示すのが、個人を尊重する 13 条である。国民の健康で文化的な 最低限度の生活を保障する「生存権(25 条)」、労働者の権利を擁護する「労働権(27 条)」や「労働基本法(28 条)」、教育を受ける権利である「学習権(26 条)」、「環境権」といった 「社会権」は、13 条から派生すると指す。9 条の「平和主義」は日本国憲法の基本原理とし て核心を成すものであると記述している。

 前文の冒頭においては、「日本国民は、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和 による成果とわが国全土に自由のもたらす恵沢を確保することを目的として、この憲法を確定する。」と規定している。換言すると、ここに日本という国家のあり方の「基本決定」が表現されていることを憲法学においても大事に学ぶことが共通されている。これまでの 「立憲主義」、「民主主義」の論を踏まえて整理すると、密接に関わっていることが理解できる。つまり憲法に基づいた政治行為は、憲法上で規定された民主主義の下に進められるので ある。では憲法がいかなる意義を持つことで、国家にどのような影響を与えていくことにな るのか。その検討を進めるにあたって、思考に刺激を与える考え方が憲法パトリオティズムであるように以上で、今の私たちの生活の中で欠かせないものという学びを生徒に気付かせて欲しいのである。

【引用文献】
<近世分野>
佐々木潤之助ほか「概論 日本歴史」、2000 年、吉川弘文館 
田中健夫「中世対外関係史」、1975 年、東京大学出版会 
吉村雅美「近世日本における対外関係の変容と「藩」意識」、2015 年、『歴史学研究 937 号』より一部引用(参考文献「知っておきたい歴史の新常識」記載あり)

 <近代分野>
芦部信喜「憲法 第六判」、2015年、岩波書店
佐藤幸治「立憲主義について 成立過程と現代」、2016年、左右社 
高校の時に使用した教科書(東京書籍「倫理」平成18年発行)

【参考文献】
飯沼賢司「知っておきたい歴史の新常識」、2017 年、勉誠出版 
小風秀雄「大学の日本史〜教養から考える歴史へ〜4近代」、2016 年、山川出版社 
齋藤一久「憲法パトリオティズム」、2017 年、法政大学出版局 
杉森哲也「大学の日本史〜教養から考える歴史へ〜3近世」、2016 年、山川出版社 
永積洋子「『鎖国』を見直す」、1999 年、山川出版社 
長谷部恭男「憲法と平和と問いなおす」、2004 年、ちくま新書 
山口二郎「鎖国と開国」、1993 年、岩波書店 
山崎圭一「一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書」、2019 年、SB クリエイティ ブ株式会社
高校の時に使用した教科書(東京書籍「新選日本史B」平成18年発行)