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障がいは個性である

(※トップ画像は協会創立70周年を記念としたある式典で披露したある作品の一部である。本物は、群馬県に設置されている。)

私が耳が聞こえない障がいがあることを正直、伝えている。恥ずかしいことでもないと思って初めて出会う方には、必ず第一印象を素直に伝えるようにしている。このことが当たり前という社会になってきたことは感謝しなければならない。

 でも昔の先輩方の話を聞くと若い頃の時代背景は、堂々と自分が障がい者ですということを伝えることは、恥ずかしいこと。悪いことだという可哀そうな人生談を何度も聞いた。それに後輩たちが自分を耳が聞こえないということを正しく理解していくことも年齢が早くなることで、成長すると当たり前の社会に恵まれていることは気付かない学びも多いわけであると、私は考えるようになった。

手話言語条例が各地で制定され、ここでは手話を言語と認められるということが主であるが、同時に人権として聞こえないことも障がい者としてみんな平等に生きることが認められたというスタートラインに立てたということを示すわけである。まだまだ法的認識が高まっているわけでもないがこれだけでも一歩前進している社会であることを勘違いしてはならない。

 でも残念なことに「耳がきこえないこと」を理由として、仕事内容に不適切だと思って不採用とする企業なども多く残されている。人間として平等に選考対象として見ることは、まだだま当たり前ではない。ということが就活する上での厳しい現実である。企業側にとっては、初めてきこえない人を雇用することがどのように接したらいいのかという不安を抱えることになり、それが負担となって経営視線で厄介なことだという捉えもまだあるというのが日本の悪知恵といったところでしょうか。

 企業も政府も同じである。何かを取り組もうとしてもまず、前例がないと受け入れることは出来ないとすることが多い。前例を参考資料として、実績を積むことで初めて必要性を共有してから始まるという主義となっている。前例なしに新しいことを取り組むというのは、それなりの覚悟や経験(知識)が求められるので前に進むことが出来ない過去にこだわってしまうことのやり方で踏襲することも多いわけである。

そこに障がい者が入ってきた。だから彼らを特別扱いしようとするというのは、私は大きな間違いだと考える。バイト先の経験談で述べているように障がい者雇用は企業側にとっても、大きな学びになることも少なからずあることだと思っている。(※経験談については、「大学と今の違い」参照。)一人間として同じように向き合うことが必要。つまり、誰もかみんな生まれながらにして持っている個性の一部なんだということだ。

 車椅子の人だって、最初から車椅子ではない。たまたま何かの理由があって自分の足では立てられないから周りの人と同じになるように補助をつけているだけで、生活が成立するからだ。というのように聴覚障がいでも補聴器や人工内耳、手話や口話色々とあるのはあくまで生活するための武器であって基本的には同じ人間である。

ということを意識して当たり前のように一緒に学ぶ、生活する、仕事をする、仲良く遊んだりして楽しむというような社会であって欲しい。 日本は残念ながら抑圧な部分も残されているということを指摘しておきたい。抑圧な部分を打開して生き抜いていくためには一人一人の善意があって、それが協力し合う、理解しあうということの行動を示す。そのためには学校教育の中できちんと指導するということも重要な時間であるわけである。

 これを「道徳」という教科で正しくしようとしているのが文部科学省のある発表で申していることだか、私にとっては障がいについてを学校で教える以前に人間それぞれがきちんと理解できるように努力しなければ、それは教科書で終わっている学びなんだと強く危機感を感じている。解決するためには、まず学びの中で・・・

「ロールモデルとの社会参加を経験する」(※一般社会すべて)

「ロールモデル(当事者)の積極的雇用」(※雇用する側の努力)

「障がい認識を教材として組み込んだ研修や指導現場の確立」(※教育現場に関わる大学や行政の努力)

という3点に整理して改善してほしいことを願っている。この内容は、全日本ろうあ連盟の方針にも挙げられているし、また先輩方の多くが共感して色々な形で運動していることが存在している。一人でも多く後輩たちにも一緒に動いておきたい。その継続が大きくなった時、きこえる人もきこえない人の共生を気付かされてくるのであろう。