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青春に大人の都合ってあり?

(※学校祭のテーマで火文字を行っていた。懐かしい写真である笑)

先日の投稿「寄宿舎と私」の続きになる。(まだ読んでいない方は、ぜひ読んでおくといい。)ここでは、青春とは何か。そして大人の都合が余計に邪魔しているんだという若い人ならの受け止めについて、当時を振り返ってみるとする。

 「青春」というのは、人によって様々な捉えがある。恋愛が盛り沢山だったことが青春だという声もあれば、好きなスポーツに集中して良い成績を収めるほど頑張ってきたことが青春だったという声もある。

読んでいるあなたにとって、「青春」とは何でしょうか。

という雑談をしてみるのも面白い。でも若い人はこう言うことがある。せっかくの充実している青春なことに邪魔するな。迷惑だったということありませんか。これが大人の都合という主張も一つにある。特に寄宿舎生活をしている私たちにとっては、これが日常的茶飯事のように多く出ている。卒業後の交流でもそれが懐かしい話題として話すことがよく聞かれる。

 例えば、食堂の開放時間が夜21時までだった。(入学当初は21時までというルールが、重なっている入浴時間の時間が短縮になるので、苦情が多く要望を出すことで22時に延長した経緯があり今に至る。)

 この開放時間は、カップルのイチャする時間ということもあり、時間が足りなくて中にはギリギリ居残るとか。風呂時間上がりにこっそりと時間を作ってご飯(デザート)交換の理由で出会うようにするということがあった。これが当時の教職員の中には、厳しく注意する人もいたり追い払ったりしてしまうなど時間にうるさい方もいた。これが大人の都合上でいうと、時間を守ることが社会上でのマナーであるということだ。でも生徒から見ると一緒に住んでいるからこそ、恋愛の自由を邪魔しているんだという主張となるわけである。

 私の場合、先輩と一緒に朝早く起きて練習したり、夕食後にサッカーするためにグランドに行くので整備などで時間ぎりぎりまたは少し遅れるなどで注意されることはしょっちゅうであった。でもこれが当時の私には、ウザかった。別にいいだろ。とか時間を守るようにしようとしてギリギリやってもいいだろうという考えだったわけである。

つまり、学生のうちにやりたいことを精一杯やろうとしているんだけどそこに大人の都合(ルールを守れ!)とか時間を守ることでやるべきことを指導しなければならないという見えないことがあってそれが生徒の楽しみに嫌気を与えてしまっているという経験なのである。

 教職員になった今、逆の立場でみるとかわいい後輩たちにはこのような大人の都合を知らないわけで押し付けられると楽しい思い出があまりないと言われたら申し訳ないぐらいだ。せっかくの3年間を共に過ごしている場所だからこそ、どこかの時間で大切に見守ってあげることも必要かなと思っている。

 でも大人の都合も間違っているわけではない。社会人になると色々な制限があって何かを我慢しなければならないということが当たり前になってくる。そんな時に高校生活で身についている怠けた行動の癖が影響してしまうのは厄介であり、指導の失敗といえるわけである。その失敗をさせないことが、仕事上の立場として責任を持つわけなので、これを直接伝えないで生徒になんとかしてあげようとするということが難しいというわけである。だから受け止め方が嫌なイメージを抱えているという生徒も少なからず、存在することは卒業後のコミュニティーの中でこのような話をよく聞かれる私である。

 きこえる人はきこえる文化で育てているわけだから、きこえない人の文化での青春の楽しみを全く知らないわけで、生徒に合わせた接し方が苦手なわけである。だから知らないうちにきこえない人の青春を壊しているというか社会経験が足りないということも仕方ないという風潮が今も続いていると痛感する。

 特にコロナ禍によっていつもの日常が出来なくなっていることを聞いている。睡眠(消灯)時間の1時間前には、それぞれ自分の部屋にいることがルールとなっているらしい。時間ぎりぎりまで先輩や後輩の部屋にお邪魔して、交流することの自由も奪われているという現状を聞いていると、私は後輩たちの青春がかわいそうで心配だと気にしてしまうわけである。高校3年間は、せっかくだから自分らしくやりたいことをどんどんしてあげて欲しい。恋愛も。部活も同じである。SNS上のやり取りする時間が増えるより、対面での交流する時間を大切にしてあげることが必要ではないでしょうか。

ということを伝えたくて書いてみた。
改めてあなたにとっての青春に大人の都合がある時、どのようにして受け止めるでしょうか。また逆の立場で、直接伝えないで優しく接しながら指導するならば何か必要でしょうか。改めて考えるきっかけになってくれば幸いである。