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聾学校の昔と今で変わっていることー前編ー

きこえない学校のイメージというのは色々な考えもあるが、ここでいうろう学校は全国どこでも同じとは限らない。私が実際に見てきた北海道の聾学校それぞれの位置づけであって、一部の記述内容は、卒業生のコミュニティの中で共通することであると認識していただければと思う。あくまで記述する内容が、全ての人に思っているとは限らない。一つの話であり、実際に見る聾学校現場に伝わらない本当の事実は多様にある。という認識で前編と後編に分けて執筆する。

まず、ろう学校とは何か。という基本的なことをおさえるとする。簡単に短くいうと「耳がきこえない児童生徒が通学して学ぶ学校」と呼んでいることが多い。しかしもっと細かく見ていくと、実は大きな勘違いがあることを知らない人が多い。そのために大阪のような許し難い差別的な問題も起こることも少なからずまだゼロと消えているわけでない事例は、数年に何度か起きているわけであることを考えなければならない。

ろう学校とは、聾児や高度難聴児の教育を行うために特別に設けられた学校。日本の学校教育法(1947)では,その目的を,聾者に〈幼稚園,小学校,中学校又は高等学校に準ずる教育を施し,あわせてその欠陥を補うために,必要な知識技能を授けること〉と規定している。           (「世界大百科事典」/株式会社平凡社発行より引用)

 しかし文部科学省、国立特別支援教育研究所が示す内容を見ていくとこう記述されている。以前の名称でいうと、「特殊教育」である。これが平成19年より「特別支援教育」に変更され、現在に至るわけである。この変化をもう少しわかりやすくまとめたものが以下の2枚の図を見て欲しい。

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ここでいう、「特殊教育」から「特別支援教育」に変わったのは名称だけだと大きな見方で捉えることが多いが、実は勘違いしている。丁寧に学ぶべきなところなのは教育課程の編成である。この教育課程の編制において、大きく変わったところがある。これによって聴覚障がいをもつ児童生徒のニーズそれだけに絞らなくなり、多様化した様々なニーズをもった障がい児の受け入れで教職員の負担が多くなったということが1つ目の昔と今の違いである。

教職員の負担が多くなった1点目のポイントは何か。最も重用されるのは、「●●学校教諭免許状」である。ここで実は一種と二種に分かれている。聴覚障害の場合でいうとなぜが2つあるのだ。

一種:知的、肢体不自由、視覚、聴覚
二種:聴覚のみで他の障がいは一種に包括されている。

 私がもつ免許状は実は当初の背景だったら教科と聾学校教諭免許状という2つだけで十分だったが、たまたまタイミングがちょうど多様化してしまったために、現在は専門教科を含めて5つ所有している。履修している教科免許状(6つ目)を含めると本当に大変な負担を強いられながらも頑張ってきたのだ。でも特別支援教育で見ていくと、聴覚というのは2つ必要なのはなぜだろうかという疑問がある。二種免許状では足りない。

一種免許状が望ましいが、道内で受けられる大学はなく、通信教育や免許更新講習の中で、新しい単位を履修しなければならない。一度、愛媛大学の通信教育を受ける時期があったが、事情により途中で辞退し結局一種を取得出来ずに終わった。時間があれば再度挑戦するつもりで、いつか一種免許状を取ることが出来れば、国が定められている免許状は全て取得したという大きな実績となる。でも実は免許状をもつだけで良いとは言えない課題がある。

 その課題とは何か。大学で履修してようやく取った免許状が現場で活かされていないという全く矛盾していることが現場である。特別支援学校の免許状をもっていない先生が聾学校に異動され、担任をお願いすることもあれば教科指導をすることできこえない子どもに適切な指導を行っていない教員もまだまだ存在している現場である。(母校も未だに100%、免許状に応じた適切な配置をしていない現状であり、免許状をもっている意味が全くあっていないという矛盾な状況の中で勤務している先生方が多いことを保護者や外部から見ることは気付かないことを知って頂きたい。)教育委員会はそれを把握しているにも関わらず、校長の判断を適切だとみなされ事実上の評価を全くしない棚上げの評価を表向きとして学校運営していることが大きな課題としていることに変わらない。これがろう学校の昔より、今の方が教員の専門性としての在り方が悪くなっている一方であると私は指摘しておきたい。

 とここで、文部科学省が令和3年1月に示した「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」の報告書によると、こう記述されている。

(制度、現状)
○ 特別支援学校の教師には、小学校等教諭の免許状に加えて特別支援学校教諭の免許状を所 持することとされているが、教育職員免許法附則第 15 項の規定により、当分の間、特別支援 学校教諭の免許状を所持していなくても特別支援学校の教師になれることとされている。
(求められる専門性)
○ 特別支援学校では、幼稚部から高等部までの幅広い年齢や発達段階の子供が在籍し、障害の状態等は個々に違っており、また、特別支援学校に設置されている学級のうち約4割が重 複障害の学級であり、重複障害の子供が多く含まれていることから、一人一人の実態に応じ て指導に当たる必要がある。こうした多様な実態の子供の指導を行うため、特別支援学校の教師には、障害の状態や特性及び心身の発達の段階等を十分把握して、これを各教科等や自立活動の指導等に反映できる幅広い知識・技能の習得や、学校内外の専門家等とも連携しながら専門的な知見を活用して指導に当たる能力が必要である。

と記述されている。つまり、以前のように障がい別に応じた専門性に縛られる必要はなく多様に応じて適切に指導できることの専門性を身につけることが重視されている点は評価するが、現状として適切な配置ができないことは認めており、これらを改善しなければならないということは理解していると捉えている。しかしこの次にある部分をよく見てほしい。

(研修・人事交流)
○ 視覚障害や聴覚障害等に係る特別支援学校は都道府県内に1校しかない場合があり、専門的な研修実施体制を確保することが困難となっていたり、人事が停滞する懸念が生じていたりする。また、これらの特別支援学校においては、免許状保有率が低い状況にある。このため、特に視覚障害や聴覚障害については、教職課程を有する大学が、地域における教員養成の拠点としての役割を果たすことが期待されるとともに、都道府県域を超えた広域での研修の仕組みや人事交流を可能とする仕組みの構築などの工夫が必要である。その際、研修の内容については、例えば、点字や手話など、実際に学校現場で必要とされている内容も踏まえて、構成されることが必要である。

と記述されているが現状として、はっきり申し上げると実は研修に参加しない先生方が多く、管理職からも強い指導をしないことを私は何度か見てきた。その結果、免許状の所有関係なく担任業務や分掌主任などの業務を通して学校運営に舵を取ることは、子どもたちと向き合っていない裏の姿であって正しい教職員の適切な校内人事でもなく、研修を高めているとはいえない結果であることを教育委員会は現場を目視しないので、全く正しく把握したともいえないということを断言しておきたい。一方で私のように免許状を所有することの研修参加や履修単位を取得していることは、基本的な知識教養を理解している立場であって、次は実践機会の蓄積が求められるのにこの適切な提供の配慮をしないという管理職の判断、いわゆるパワハラとも言える強迫的な立場を不利にするような評価としていることも現場に起こっていることをしっかり受け止めなければ、教育委員会がやっていることは大変、矛盾するものだと強く訴えたいところである。

 この話は私の見た現場だけではなくきこえる学校でも、また他の聾学校でも似たような辛い経験話を聞いたことがあるだけに、文科省は示す報告書の内容が本当に教育委員会として、しっかり指導力を果たしているかどうかも信憑性を高くしないで欲しいと読者を通して保護者側や外部からも厳しく評価するべきであろう。と主張する。ところが次に挙げる内容に触れてみると、

特別支援学校では、経験豊富な教師の人事異動や定年退職により、学校としての専門性が蓄積されにくく、個々の教師の専門性の向上だけではなく、学校全体として高い専門性を担保・共有するための仕組みづくりが必要である。また、一定の専門性を有した教師の人事異 動により、学校としての専門性が大きく低下しないよう、学校が組織として専門性を担保・ 共有していく仕組みが必要である。

この文言の一文は、どうも信用出来ない。教育委員会にいるそのもの自体が正しい専門性を理解していないことがある課題もある。障がい当事者団体との繋がりを積極的に図ったり、障がい当事者の地域つながりを活用した研修機会の連携などの工夫を検討しない限り、教育委員会そのものの自体の専門性は大きな過ちをしていることに気付かないままである。

 聴覚障がい教育の例でいうと、はっきり言えるのは手話言語の理解認識について教員の手話活用能力を自己評価することで、人事の在り方を考える材料の一つになるのが現状であるのでこれは大きな間違いである。言語理解というのは別の視点でいうと甘い方であって、例えば児童生徒に通じない手話言語を使っている教職員が授業として適切に行っているのだと高評価を得ているという管理職などの判断がおかしいと指摘するのだ。これは私の働いていた勤務校でもいまだに続いている現状であることを知って頂きたい。まだ誰一人もこの課題を重く受け止めていないために、卒業生から色々な問題点を聞くことはまだ途絶えていない。これが聾学校における正しい評判であって、保護者側に伝える学校側の姿勢は建前の一つに過ぎないのだ。真の評価は、卒業生のコミュニティにある評判一つ一つが正解だからである。

 でもきこえる人が多数派であって、もう私のように厳しく考えていくことに向き合うことがない限り、永遠に改善することは多分時間がかかるだろう。そして文科省が目指す教職員の専門性というのは、まだまだ足りないし十分でない。むしろ「特殊教育」の背景より悪くなっている印象であることが正論である。多様化することのニーズに対応する指導力は大事でも、一番考えなければならないのは子どもたち一人一人に向き合うための姿勢、そのための専門性をしっかり備わっていくための環境づくりであることだと言いたい。