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私は役に立てない人間なのか。#1

あと1ヶ月で、YouTube配信の活動を始めてもうすぐ1年(8月1日)。note執筆活動を始めてもうすぐ半年(8月15日)となる今、精神的苦痛の波に苦しみながらも心理安定を心掛けるための生活習慣をしつつ、社会復帰を少しずつ努力してきた。お陰さまで以前のようにはまだまだ時間が必要なところはあるが、少しずつ戻している部分は多くなってきたし、多少自己コントロール出来るほどの判断力と生活維持できるための取り組む姿勢だけは作ることが出来ているじゃないかと感じる。

と最初に記述しておく私が、なぜこのタイトルで投稿しようと思ったのか。せっかくだから、みんなに吐いてスッキリすることも一つ必要がある時期(タイミング)かなと思っている。最後までお付き合いにご了承して頂ければ幸いである。3回に分けて振り返りつつ、心境を綴じるので読み辛いところがあるかもしれない。

#1では、まず過去の自分の生き方についてである。自己紹介で経歴はさらっと記述しているとおりである。(「ろう者の世界観に触れる」参照)この10〜20代を振り返ってみると、とにかく吸収することがたくさんあり過ぎてお金はかなり吹っ飛んだけれど、逆に仲間だったり、新しい知恵や人の繋がりそのものを楽しむことが多く増えてきた。という時期がある。

 ここで過ごしてきた私は、正直もしかしたら、自分のことを何にも自覚せずに無理矢理自己の気持ちを抑えつつ、目の前のことを乗り越えることにひたすら夢中で駆け回っていたかもしれない。だから振り返ることの時間の余裕は、気づかなかったままかもしれない。リフレッシュというが、本当に心の休暇を作ったことはもしかしたら、足りなかったかもしれない・・・。

余暇のリフレッシュ、心のゆとりがなく誰かにオープン的に悩み(ストレス)を話すことはなかった。一人自身で無理矢理、壁を乗り越えようとポジティブに仕事をしつつ、必要な課題はとにかく本などで勉強するということで新しい知識教養を蓄えることばかりだった。だから知識教養は増えたとしても経験値はそんなに上がっているわけではない。人間関係の信頼を築くことが出来ていなかったという結果なのだろうか。ということを今に振り返ると重く感じている。いや知識教養は誰よりも多く持っている自信がある。ただそれを活かせる場所のタイミングが悪かった。もしくは、発揮できないところに私がコントロールする方法を見失っていたかもしれない。と思う。

 こんな私が、駆け回った20代の最後に大きな挫折をする事件は起きた。でも私自身がこの日を後悔しているかと言ったら、それは多少あるが間違っていない選択かもしれないと自分で思う。私なりの正義で起こしたものであって、結果的に悪かったということなんだから、その正義を起こしてしまうような背景に原因がある。この原因を作ったのは誰だろうかという客観的な視点を追及することが、社会的に仕組みが出来てなかったというのが本当の事実である。

教育委員会、そして管理職は《パワハラ》という事実を隠して今もなお一人の人間が目指してきた夢を壊してあげていることを自覚せず、重い反省の気持ちを示していない。その一方で、学校側全体が私を悪者扱いとして注意されている模様である現状である。聾学校としての繋がりは狭いものなので、誤った情報がきこえる先生の間で出回っていることを耳に入っている。管理職つまり校長会が私を完全に否定している模様なので、現場復帰どころもない。全ては、あのパワハラを起こすそのものの背景を全く知らないだけの濡れ衣を被って、苦しめている私を助けようとする人は恩師さえも裏切っているし、もういない。これが現実であり、今もなお自殺した方が正解だったかもしれない。自殺することで、学校側の責任ゆえに教育委員会の姿勢そのものを改善する必要を訴えることが一つの手立てかもしれない。

 というのが、数日前までの私の生き方である。この思考は、他の社会問題として多く起きている日本である。他人事ではない。自殺、パワハラ報道の一因と同じものであって人間という精神的な苦痛は必ず、原因があるもの。これを聞く耳もつかどうかによってその人間の命を救うことが出来たかもしれない。という人間としての姿勢(責任)を作ることが今の日本の仕組みとしては、まだまだ悪い部分も多くあるということが社会の厳しさであろう。と新しく学んだのである。この社会的な学びを得た私は、より大きな経験としてこのことをしっかりみんなに伝えるためYouTube、そしてnote投稿活動などを通して世間に訴えていく別のアプローチを取ることが新しい30代の生き方であると決めた。

 3回に分けて執筆する「私は役に立てないのか。」という柱のテーマであるが、本当に自分の生き方は正しいだろうか。そして間違っているだろうか。答えは一つしかない。

生きる上でこれまで努力してきたことをどのようにして活かすべきなのか。
学びは何のためにあるのか。
自己欲求を高く維持することで幸せを得ることが人間としての方向として素晴らしいものなのか。

色々と言いたいことはあるが、少しでも私の思うことを綴じてみることで、30代の生き方をどのように過ごすのか。じっくり振り返ってみる。後もう少しで、また一歩成長する記念日なので、この日までのカウントダウンとしてぜひ考えてみようとしている。