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A店長と私

ここでは、最初のバイト面接で出会ったA店長について、振り返ってみる。大学時代の中で仕事をするにあたって初めて採用したからこそ印象が残っている。出会いの面接については、「大学と今の違い」に書いているのでぜひ読んで頂きたい。今回は、その続きである。

 A店長とは実にいうと卒店後に勤務している中で寄っていくお店の中で何度かお会いしたわけである。勤務先近くと、情報センターに予定がある度に寄る近隣のお店の計2店舗(8年の間に何度か異動したということを後で知った。現在は事情あって辞めたのは残念。)である。そのうち、社会人3年目辺りだったかな。ある日、私は苦労を抱えながらも役員活動のためにちょっと寄っていたお店でA店長が働いているということを知っていながらもいつも通り、食事しようと訪ねた。その時だった。

 久しぶりに一緒に働いていた先輩クルーが来店していたのだ。私から見たその先輩クルーをSさんとする。Sさんは、第一印象でいうと面白い先輩であり、ユーモアある動きでしっかりと見本を見せてくれたトレーナーでもあった。時には優しく語りかけてくれたクルーの一人だった彼が転職するにあたって、私より先に去ってしまった。あの日以来久しぶりの再会でもあった。そのSさんとA店長が雑談している席を見かけたのである。

 私は、軽くSさんに挨拶した。「久しぶりです。元気でしたか。」という程度のつもりだった。ところがA店長に促されて同席し、懐かしい話を30分程度していたのを覚えている。Sさんとはこの日以来、SNS上で繋がってくれている。近況を知っては応援したりとたまに連絡取れる程度しかない。笑!でもSさんの働くグリルストッカーの姿は今の私であり、追いついているかどうかぜひ見てもらいたい気持ちである。

さておき、そろそろ私が都合あるため終わろうと差し掛かったその時、A店長がSさんと私は似たような気持ちを抱えていることを察しているかのように最後にこう言った。

「人間関係で困ったことあるだろうか。ぜひ頑張ってほしい。マックで一緒に働いている繋がりなんだから、私も応援しているよ。」

「そうだ、君。ちょっと色々あって聞いたことだけど、聞こえる人との関わりについてちょっとアドバイスするよ。」と手帳を出して1枚の紙にこう書かれた。(トップ画像参照)

「天が人に大いなる任を降ろそうとする時、必ずまず、その心志を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その体を飢えさせ、三の身を窮乏させ、行うと事為す事に幾多の障害を与える」(孟子のことば)

 A店長の話を聞いた私の隣で、Sさんも同じ内容を聞いている。その時Sさんは、改めて自分に問いかけているように気持ちを切り替えている表情だった。しかし、当時の私はこの言葉の意味が理解出来ずに「ありがとうございます。」の言葉で終わっていた。

 その紙を私にくれたわけだか、今もなお、その紙を大事にしている。なぜかというと社会科教員を目指す私にとって、あの時は使える時がくると思って大事に保管したわけであるだか、活用することもなくたまたま整理していて出てきた。だからあの頃を思い出して、今回綴じたわけである。(汗)

 この紙を見ているとあの時のA店長が私に言いたかったのは、今の自分をもしかしたら予測していたかもしれない位、当時の私にある不安要素が見抜かされていたように伝えていたことだっただろうと感じた。まさにA店長の言葉がぐさっと刺さるほど、思い出した同時に当時の私は、ダメな返事だった。あの時にもっと理解するべきだったと自己反省する。

 マックで一緒に働いたのは2年近くではあるが、当初大学生だった私は多く時間を割っていたので働く中でのコミュニケーションの困難さを近くで見ていたわけである。また社会人1年目でもないわけだか、学生というよりは社会人としてコミュニケーションについて、感じていることを仕事上での心構えはもっと腰強く耐えて欲しいものだと願っていたかもしれないと、このメモから改めて気付かされたものである。

孟子の言葉とは、孔子の孫である子思から儒学を学び「人の本質は善である」とする性善説を唱えたことで有名な思想家であり、心理を励ます儒教の一つです。ここで挙げる名言を訳してみると・・・
訳)天が人に重大な任務を与えようとするときには、必ずまずその人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、その行動を失敗ばかりさせて、空回りするような大苦境に陥らせるものである。それは、天がその人のこころを鍛え、忍耐力を増大させ、大任を負わせるに足る人物に育てようとしているからである。                 (※「BizClipー読む・知る・活かすー」より引用)

 要するにここの解釈でいうと、人に大きな仕事を任せる場合には、必ずその人を奈落の底に突き落として厳しい試練を与えることがある。だけどそれは、大きな仕事を成し遂げる人物に育てようとしているからだ。このように考えていくようにすれば、くじけそうな困難にぶつかったときでも、それは次のステップへの試練であるんだと自分に言い聞かせて、逆に成長のチャンスなのだと前向きに捉えられるべきであるでしょう。という。

 このような解釈を理解しておくことで一歩前進な成長をする学びであったが、気付かないまま結局は「失敗という大きな過ち」の道を歩いてしまった。もう過去は、戻れないものであり後悔することを腹括るしかないのである。

と今回はここまでにする。A店長の関わりはこれだけではない。実はもう一つのエピソードがあり、このエピソードが現在働いている日々の中で、振り返っているように共感だと感じる部分であるのだ。続く。