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大学と今の違い

私、実は大学時代と社会人時代でもう一つの聞こえる世界を経験している。その世界があるバイト先である。実にいうと3ヶ所で経験しているわけだかそのうち、1ヶ所はとても長くお世話になっている。

それは、誰もか知る有名なファーストフード業で大手なマグドナルドである。北海道では、「マック」と呼ぶが関西辺り以降?では「マクド」と呼ぶらしい。地域ごとで呼び方が違うことも面白い。笑

 とはいえ、あるバイト先での苦労話になるわけだか実にぶっちゃけるとマックで働くということは嫌だった。当たり前のようなお店で働くというよりは、少ない規模の小さいお店だったり、または事務職のアルバイトをしたかった。ところが当時の大学生時代は、手話が言語と認められることも聴覚障がいの理解がまだ少なかったし。障害者差別解消法の制定前であり、合理的配慮の義務ということも分からない。聴覚障がい者を雇用するということは、厳しい世の中だった。

もうすでに10〜15社ぐらいは希望していても面談前の門前払いが多かった。電話が出来ないだけで簡単に不採用という障がい上の勘違いが理由でなかなかバイトが見つからなかった苦労があった。

 大学生として親に生活費を頼るわけいかないと強く決めていたので、なんとか早めに決めたいと思ったために渋々、条件を緩和してファーストフード業にも応募しまくった。その一つ、マクドナルドにも応募したわけである。すると当時の店長をAさんとする。そこのお店から電話があり、面接を受けることになった。その場でAさんがこう言ってくれた。

障がい者だからという理由は不採用にしない。ここマグドナルドは外国人も主婦だったりと多様に色々と公平に見ている。だから、出来ることはしてあげたい。それがファミリーという考えであって、そのお店のやり方だから安心して。」

その言葉のあとに履歴書を読んだ上で、それに応じたいくつかの質疑応答をした後A店長はさらにこう言った。

「耳が聞こえないというよりは、普通にお話しできるんだね。どの位聞こえないの?どうしたら仕事ができると思いますか?」

M「電話が出来ないと申し上げたんですけれど、それは口の形が読めないし、今付けている補聴器というものがあるんですけどこれは音を拾うだけで明確に発音を掴むわけではありません。だから聞こえないということを示していくことを注意しようと思っています。今のように口の形を見て会話することが出来れば、概ね問題ないと考えます。また筆談だったり、わかりやすく工夫することはあると思います。」

A「そうか。わかった。ではもう採用しましょう!」

 と即決。厨房にもすぐ入って正式な手続きをもらったことを今も覚えている。これが私にとって、マグドナルドの始まりだった。当時のクルー仲間で今も繋がっているのは、今後話しておく。だけどあの時のお店の雰囲気は忘れられなかった。A店長のお陰である。のちに異動して変わってしまい、また私が卒店後にお祝いしてくれたことも感謝したい。A店長の関わりについては、また後で詳しく書いていきたい。

 あれから数年後の現在、また事情あってアルバイト先を探さなくてはならないと生活費が苦しいわけである。一刻も精神的に安定出来るようにしたいと思ったので、バイト先を改めて探している。今もなお、掛け持ちしているわけだかそろそろ新しい掛け持ち先を変えなきゃ、いけない。コロナ禍のため、正職員という仕事は決まらない。しばらくは非正規雇用が続くだろう。(本音をいえば、正職員は1つしかないと決めており、ハード高い現状に苦しんでいる。自分一人では出来ない大きな問題である。)

 アルバイト先を探す時、またマグドナルドという選択肢もあった。4年間で全てのポジションの仕事を経験したということもありなんとなく仕事内容を覚えている状態であったし雰囲気も働くためのコツも身体にまだ感覚が残っていた。だから戻ることも悪くないだろうと考えていたわけだか、やっぱり別の仕事で色々な社会経験をしてみたいと考えた。

 でもやっぱり簡単に自分が応募していた希望先というのは、なかなか条件も合わず不採用だったり、面接を受けられる回数は上がってきた。(障害者差別解消法、雇用促進法改正によって障がいを理由とした拒否は、合理的配慮義務違反として職場上の責務問題に発展することが意識の変化として表れているし、浸透してきたわけであるが、当たり前というところまではまだまだ厳しいことは変わらない。)

 結局、10社以上も不採用となってはもう仕方ない。と思って、マグドナルドに応募する。そこに待ち受けていたのは・・・なんと当時、大学時代に一緒に働いたことあるM店長(現在オーナーなのでMオーナーと呼ぶ。)であった。A店長の後に着任したような・・・私が働いている中では、お世話になっ店長3人のその2人目である。非常にビックリした。

Mオーナー「久しぶりだね。覚えているかな?」

M「あっ、はい。まさかここで働いていたんですね。ビックリしました。お久しぶりです。」

Mオーナー「私、ここの店長です。もうすぐ店長交代する予定だけど。とりあえず、君働いた経験あること知っているから安心して。」

M「はい。ぜひここで働いて頂けたらと思っています。」(状況を説明し、生活費が必要である上で当分の間、働くこと。また大学時代の経験を踏まえてここに選んだことも伝える。)

Mオーナー「君の事情はよく分かった。それに前に働いた経験もあるし、仕事内容はほぼ分かっているし、覚えていることあるよね。」

M「あっはい。忘れていることもあるけど、取り戻すことは出来ると思うし、大丈夫です。」

Mオーナー「採用するから。制服のサイズや雇用契約書書いてくれるか。」

 はい。A店長よりは短く、即採用でしかも1週間後の勤務開始となる素早い対応となったわけである。また後になって知ったことだか、そのMオーナーが店長交代でオーナーとしてやっていくこともあり、採用は私がギリギリだったという。非常にビックリした運命である。そこに感謝したい。そこからあっという間に2年経つわけである。

とマクドナルドの採用にあたっては、他企業より障がい上の理由というハンデを重く感じない非常にフレンドリーな態度で真摯に向き合い、そして一人一人の実態を考えて雇用するということが大学当時のA店長に言われた「ファミリーの考え」という言葉を学んだわけである。今、一緒に働いているM店長(Mオーナーとは別のMさんである。)もフレンドリーな姿勢でいつも相談に乗ってくれたり、障がいのハンデに対して適切な助言や工夫をしてくれるなどの細かな配慮もして頂いており、非常に申し訳ないくらいだ。また中には衝突することもあるわけだか、嫌気もなく正直にぶつかり合うことが多かっただろう。そのうちにお店の足りないことを少しずつ改善できているじゃないかと感じる効果はあると言っておく。

 つまり、障がい者を雇用することは障がい上のハンデを支援することが雇用の迷惑さではなくて、ハンデを克服するための工夫が逆にお店の良いところを伸ばし、ダメなところも直していけるという多少の気付きが生まれてくる。ということを私は日々、感じている。これは障がい者だからではなく、外国人雇用でも同じこと。そして今でいうダイバーシティーの考えのところまでは行かないが、マクドナルドもスタバックスのようにもう少し一歩踏んでいくる見込みはあると伝えたい。

 ちなみにスタバックスは、聴覚障がいだからといって仕事内容に制限はなく接客の仕事においては工夫をすることで、オープン的に働くということの企業努力をしていると聞いたことある。しかし、マクドナルドは今コロナ禍の影響で接客することが厳しいため企業努力するほどの余裕はない。(店の状況によるため)だけど、私もいつかはキャリアアップという意味で接客あたりの仕事も経験したい。でもファーストフード業ならの悩みも抱えている。

この悩みについて、明日配信する「上下関係の対応に悩む」へ続く。