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生徒が2人しか居なかったお笑い養成所。

ボクが通っていたお笑い養成所は変だった。
 
まず衝撃だったのは同期が1人しか居なかった事。
吉本のNSCなんて東京だけでも毎年5、6百人生徒が入学してきた時代だって言うのに
養成所の初日、ボクの前に現れたのは同い年の男1人だった。
 
校長であり講師も務めていた『はらみつお』さんが言いました。
「三期生は君たち2人だけれども一期生と、二期生がいるから。」
 
何を言っているか分からなかった。何故卒業するはずの先輩が居るのだろうか?
別の部屋に行くと一期生二期生合わせて総勢7名が待ち構えていました。
 
「少な!!!」これが芸人を志して一発目のツッコみがでした。
 
要するに生徒数が少なすぎて卒業をさせてしまうと養成所が存続できない為、生徒を溜めていくという方式だったのです。
 
1年目は年間学費が40万円でした、2年目からは月1万円で良いと言われボクは喜びました。その状況がオカシイと言う事に気が付いていなかったのです。
3年目、月謝は5千円にまで下がり切りボクは「やったー!」と飛んで喜んだのです。
 
授業の内容は最初の1年間ほとんど早口言葉とういろう売りをずっとやっていました。
そして唯一の講師であり校長であった『はらみつお』さんは丁度1年で急死をします。ここから講師になったのが『コント山口君と竹田君』の山口さんと須磨和也さんと『BOOMER』の河田さんで、山口さんはずっと怒っていて須磨さんは演劇を教えてくれて
河田さんは何も教えてくれませんでした。
 
結局ボクはこの養成所に3年間通いました。卒業をした訳ではありません、
4年目新入生がゼロになり養成所が存続できなくなってしまったのです。
 
このお笑い養成所がまだ存続していたらボクは未だ通って居たかもしれません。
 
ちなみに相方の『さかまき。』は1期上の2期生で居ました。彼は大学を卒業して「俺、東京でお笑い芸人になる!」と言い岐阜から東京に出て来て大学と同じ年数
養成所に通ったのです。
こんなに変な1期2期3期合わせて9人しか居ない養成所出身の2人が未だにコンビを組んでお笑いをやっているのだから、何だか凄い事の様に感じますね。

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